Sisyphus descending from the summit-53
prompt /マスメディアからソーシャルメディアとは
AIanswer/マスメディアからソーシャルメディアへの変化とは、情報の流れが「一方向」から「双方向(多方向)」へとシフトしたメディア環境のパラダイムシフトを意味します。かつては少数の企業が一般大衆へ一斉にニュースを届ける時代でしたが、現在は誰もが世界に向けて瞬時に情報を発信し、相互に交流できる時代へと変わりました。ソーシャルメディアは、人と人との繋がり(社会=ソーシャル)を生み出すインターネット上のインタラクティブなサービス全般を指します。SNSはその一部に過ぎません。
SNS(交流系)
X(旧Twitter)、Instagram、Facebook など動画・画像共有系
YouTube、TikTok などテキスト・ブログ系: 各種ブログサービス、Note など知識・共同編集系
Wikipedia など。
(主筆)つまりは、現代はかくなる幻想(イメージ)の拡散と凝縮なのだ。
(情報)鍵となるのは、「データ化」だ。米グーグルなどテック企業が巨大化し、あるいは米オープンAIといった新興企業が台頭しつつあるのは、これらの組織がビッグデータを活用しえたということだ。そして一連のデータの収集、加工・処理や製品化が資本主義のあり方そのものを変容させた。すなわち、データを収集することを最優先とする新たな資本主義の原理が、現代的な大衆=マスを生み出すのである。
(主筆)そういうことなら、未だに/情報化社会/としかいいようがないのだけど。
(情報)現代のメディア環境は、この原理に基づいてより容易なデータ収集を可能にするように設計されている。それゆえ、アテンションの獲得や習慣的・持続的なアクセスを促す手段として、炎上や論争、さらには対立・分断の拡大が正当化される。現代的なマスがつくられるのは、メッセージの訴求力よりもこうしたメディア環境の仕組みによる側面が大きく、収益目的のアカウントやポピュリズムの仕掛け人たちはそれを理解し、巧妙に活用している。
(主筆)そうなんだろうなあ。毎日のニュースとやらを電子でみていると、同じ顔ぶればかりが、偉そうなこといってるからな。
(情報)また、オンライン内外の活動、身体、心理状態やパーソナリティーなど、公的・私的生活にかかわるあらゆるものがデータとして収集される。その手法は半ば「強奪」とさえ呼べる。収集されたデータの分析を通じて私たちはプロファイリングされ、何らかの集団カテゴリーに分類される。そのうえで、さらなるデータ収集や他の目的のために私たちの行動や態度は予測され、判断や思考に先回りして干渉がなされ、変容が促される。このデータ抽出を容易にする環境づくりの中で、私たちはネガティブな感情や他者に対する敵対意識が喚起され、あるいは批判的思考、自己決定や自己判断の能力と機会を奪われ、本来的に多様であるにもかかわらずマス化するのである。
問われるべきは、こうした不安や怒り、不信が今日のメディア環境の下でマス化するプロセスである。
(主筆)つまり〔→イメージ(幻想)化していくルート〕が、どこらあたりにあるのか。或いは、そうならざるを得ない現在とは。といいますか、こういう時代(環境社会)って、何だか〈記憶〉の中にあるのだけど。ナニかな、こいつは。

