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カテゴリー「暮らし」の記事

2019年9月28日 (土)

港町memory 46

最初にことわっておきますが、わたしは、不平、不満、嫉妬、羨望、憤怒、劣等意識(inferiority complex)、損した気分、後悔、慙愧、等々の負的感情で下記の記事を読んだのではありません。
下記の記事は、本日(2019/09/28)のネット記事でやんす。
/サラリーマンなど民間企業で働く人の去年の平均年収が、およそ441万円で、6年連続で増加したことが国税庁の調べでわかりました。
 国税庁によりますと、去年1年間、民間企業で働いた給与所得者の平均年収はおよそ440万7000円で、前の年と比べて8万5000円増え、6年連続の増加となりました。このうち、女性の給与所得者はおよそ2081万人で、平均年収はおよそ293万円と、いずれも過去最高となりました。
 おととしの税制改正により、去年から配偶者特別控除の対象となる配偶者の合計所得金額が76万円未満から123万円以下に拡大されたことで、女性の就労者数や所得額が増えたものとみられます。
 一方で、正社員と非正規雇用の労働者の平均年収の差はおよそ325万円で、調査が始まった2012年から7年連続で拡大しています。(27日17:56)/

女性の給与(給り与えられるもの。ほんらいは賃金と表記するのが正当だと、常ながらわたしはおもうちょりますが)所得者の数が2081万人になって、この平均年収が293万円ですから、男性を含んだ平均年収より、148万円少ないワケですので、これが年収の平均値を下げているとすると、男性の平均年収は441万円より増加するはずです。そこで、おそらく/正社員と非正規雇用の労働者の平均年収の差はおよそ325万円/という数値が算盤に並ぶのだろうだとおもわれます。(と、おもったら、給与所得者とあるんだけど、うーん)
これは国税庁の統計ですから、マトモなものだとしなければなりません。(マトモな統計なんかアルワケナイんだけど)
そこで、たとえば昨年(平成26年)9月に発表された国税庁の民間給与実態統計調査をセカンド・オピニオン的にみてみますと、
全体:415 万円(対前年比0.3%増)
男性:514 万円(同0.6%増)
女性:272 万円(同0.3%増)
となっています。たしかに、令和元年は、給与所得は増加しております。しかしこれをさらに正社員と非正規雇用(給与所得者として)の労働者の平均年収でみてみますてえと、
正規男性:532 万円(同1.1%増)
正規女性:359 万円(同0.9%増)
非正規男性:222 万円(同1.1%減)
非正規女性:148 万円(同2.9%増)
てなことになります。予想通りかなといったところです(予想の意味-nuance-が異なりますが)。正規男性社員と正規女性社員と非正規社員(従業員というんだけど)の年収を足して平均すると、令和元年は先に記したようなおよそ給与所得者平均年収441万円てな計算になるんでやんしょ(ならねぇよっ)。非正規男性、非正規女性がどう計算されているのか、どういう計算なんだかわたしにはよくワカリマセンが、驚くほどのもんじゃアリマセン。統計なんてそんなもんです。大企業から中小企業、下請け子会社、「名前だけ正社員」に「とっぱらい日雇い労働」とイロイロありますから。どこかをなんだかんだとfunction(操作)して、それなりにcategorize(分類)すれば、平均年収は平成26年から増加して441万円になるんでしょう。
/満月の夜は殺人事件が多いという統計がある/ということから、月の光と人間の精神にはなんらかの関係があるのではナイかというreportもありますが、/満月の夜は殺人事件が少ない/という統計もありますから、統計というのは要するに単なる〈数字〉です。
よく似たものに〈確率〉があります。統計と確率の違いとはなんでしょう。統計は統計学と称され、確率は確率論と称されます。よくサイコロの目が例に出されます。1~6のサイコロの目が出る確率は1/6です。つまり、確率論は、ある事象が起こる確率が決まっていて、それに基づいて物事を考えることです(この確率が決まっているというのも変なんだけどね。事象の起き方が決まっていないから確率でしかいえないので確率というのであって、それなら、その確率が当たる確率はなんぼという無限連鎖になります)。しかしまあサイコロの場合、1が出る確率は1/6と決まっているワケです。逆に、統計学では、得られた事実やデータから、どんな事象が起きているのか、などについて何らかの結論を導こうとします(結果に対して都合のいい統計を選ぶのはアタリマエですから、そういう結果が出るまで統計を繰り返せばいいので、これもどんどん連鎖になるデス)。確率は変えることは難しいのですが(そのはずなんだけど、地震の確率なんか、なんぼでも変わるんやなあ)、統計を動かすことはさまざまなチガッタ統計があるように、そう難しいことでもなさそうです(むしろ簡単なんや)。ともあれ、確率論が演繹的な考え方なのに対し、統計学は観測された事象やデータから出発して、その背後にあることを説明しようとする帰納的なアプローチといえます。
と、そういうことをいうと、なんや科学的やなあ、エビデンス(科学的根拠)やなあという気がします(これこれ、これでんがな)。ただし、この平均年収についても、わたしと同様、首をひねっておられる読者もあるように、よくワカランのです。それは、統計とはあくまでも〈数字〉ですが、あくまで〈量〉だということです。けして〈質〉ではござんせん。としか、わたしにいえることはありませんが。
さてと、最後に私と似たような年齢の方々の年収を記しておきましょうか。
●60~64歳
男性平均年収:477万円
女性平均年収:227万円
合計平均年収:373万円
わたしは、67歳ですが、年収は年金を含めて平均年収とほぼ同じです。もちろん、わたしの仕事は変動所得ですので、ここ十年で二回、低額所得者で、市県民税を免除されております。
とはいえ、あくまで、銭には「量」と「質」の両面の〈価値〉があることを忘れてはナリマセン。(とってつけたようですが、これしかいうことはありまへん)

2019年9月23日 (月)

港町memory 44

落語『大言壮語』
「大言壮語」というコトバがございます。辞書に載っておりますとおりにいいますてえと、「おおげさに言うこと。できそうにもないことや威勢のいいことを言うこと。また、その言葉。▽「壮語」は威勢のよい言葉の意」になりますが、似たようなコトバに【針小棒大】てのもあります。「些細な物事を、おおげさに誇張して言うこと」ですな。同じようなコトバに 【狂言綺語】というのもあります。「道理に合わない言葉や、巧みに表面だけを飾った言葉」。さらに似たコトバといますと、【巧言令色】てのがある。「口先だけでうまいことを言ったり、うわべだけ愛想よくとりつくろったりすること」
こういう類のことが現実、世間で罷り通っている例というのもあります。
「日本年金機構」がお出しになっている「年金生活者を支援する給付金を受け取るためのお知らせ」というものでござんして、/このハガキは、あなたの年金に上乗せして支給される年金生活者を支援する給付金を受け取るための請求書です/とありますな。おまけに/年金生活者支援給付金は消費税引き上げ分を活用し、公的年金の収入金額や所得金額が一定基準以下の方に、生活の支援を図ることを目的として、年金に上乗せして支給するものです/とあります。
で、わたくしなんざ、老齢年金に年金基金をプラスしておりますので、いえいえ、収入なんざたいしたことはごさんせん。一度、低額所得者として6000円頂いたこともございますし、昨年は収入が少なくて、今年、市県民税は0でした。(プレミアム商品券なんざ、もらいまして、26000円のものかが2万円で買えるってんですが、その2万円が・・・)
で、いったい、いくら上乗せしてくれたんだい。
見込みだけどね、
いくらだい。
月額でね、
やっぱり1万円なんて高額にはならねえよな。
なかなかそうはいきません。
で、いくらだい。
これが〔170円〕。
えっ、それって、一日、いや時給とか、いや、おい、月に170円の上乗せなのっ。
そうでござんす。
年金生活者への支援なもんですから。
請求したら、170円貰えるの。
ええ、請求書のハガキを出さなきゃいけないんですが、
そんなの出すの。
で、このハガキ、日本郵便ですから、切手を貼らなきゃならないんです。
切手は63円するんでしょ。
そりゃまあ、タダで配達はしてくれません。
じゃあ、けっきょくナニ、差し引き100円そこそこか。
ところが、近所に郵便局がなくて、切手を買いに行くのにバスに乗ると片道で200円かかります。月額170円もらうのも道のりが遠いですナ。
けっきょく、何の支援なの。
こういうのを、なんつうか、大言壮語とかというんじゃナイんでしょうか。
いやあ、ちょっとそれはチガウとおもうなあ。
じゃあ、大原寒河(タイゲンソウゴ・広大な野に流れている河の水もけっこう冷たいの意)とでもいうんでしょうか。
語感からすれば、あたらずとも遠からずだナ。

まあ、落語にしてみりゃ、これだけのことですが、そういうものが封書で送られてきたんですけど、こういうものを扱うヒト(公務員でしょうけど)というのは、ほんとに〈正気〉なんですかね。まあ、世間では、「正気で公務員やってるヤツなんかいねえよ」ともいいますけど。
年金の諸問題は、私、いつも申しております。公務員の賃金を一割cutすればそれでカタがつくと。一割cutされても、ふつうのサラリーマンより高給取りなんですからねえ。退職金だって多いし。
毎年、確定申告するたんびにおもいますよ。この銭(税金)の48%が、公務員の賃金になるんだなあ。そりゃあ、世間の親は投資のつもりで、ガキ、いえお子さまを小学校から塾に通わせて、将来は立派な公務員にしたがるのも無理はねえな、と。

2019年8月18日 (日)

港町memory 34

そういうことには素人ですが、電気代ということに関してはいろいろと工夫はしているつもりなので、『人気インスタグラマーが教える!夏のエアコン代をお得に、楽しく節約する方法』(アット・ニフティの記事)で、ワカランことについて書きました。
記事では、
/<目次> •エアコンは1人で使わない!皆とシェアして電気代を節約する方法を紹介
•1. リビングだけ、エアコンをつける
•2. 勉強は図書館でする
•3. 外に出かける
•4. 親戚や友達とみんなで集まる
•5. 旅行に出かける
•まとめ/
となっています。
まず、(1)については私のマンションはエアコンは一台きりですので、意味ナシ。
(2)ですが、/受験生は自分の部屋にこもって勉強するより、図書館や自習室で勉強することをおすすめします。エアコンがきいていて涼しいですし、他に勉強している人も大勢いますから、さらに勉強を頑張ろうという思いがわいてきます。自分の部屋のように、気が散る原因である玩具や漫画も無いので、集中できます。/
となっています。
私は現在受験生ではありませんが、そういう時期もあり、そんなふうに図書館で勉強もしました。
が、周囲の方々の邪魔になってはイケナイと、静かに微塵も音を立てずにと注意を払うことに集中、一度消しゴムを転がして床に落とし、それを拾うという行為だけなのに、「出て行け」というメモが手渡されました。周囲からも睨まれました。周囲が気になってエアコンがどうのというどころではありません。それに、設定温度が28度では、満員の勉強室では、蒸し暑くてたまりませんでした。このあいだ、三時間二十六分のドキュメント映画『ニューヨーク公共図書館』を観ましたが、いまの日本の図書館はあんなふうに図書館と教育が、拡張と収縮の関係を持っているんでしょうか。(そういえば、数年前、図書館に「ここは受験勉強をする場所ではありません、読書する場所です」という受験勉強禁止の貼り紙は観ましたけど)。
(3)です。ハッキリいって外のほうが暑いです。40度くらいでしょうか、都市部ですから。それで、涼しい場所に入ります。すると、coffee代金などの飲み物代金は発生します。なんの〈節約〉にもなりません。ですからイチバンはパチンコ屋です。タダで、お茶くらいなら飲めます。ただし、ウルサイのは我慢せねばなりません。ショッピングモール、映画館、美術館、無料のところは、ありませんナ。
(4)ですが、この何処が節約なんでしょうか。飲み物、食い物買いにいったり、集まれば熱量が増大して、とても28度では過ごせません。
(5)ですが、「別荘を建てる」と書かれたほうが納得出来ます。そんなん無理やわっ、とすぐに理解出来ますから。一回旅に出ると一ヶ月分の電気代くらいになるのではないでしょうか。
さて、私なりのまとめ。
まず「28度」適温というエビデンス(科学的根拠)を解説して頂きたい。いろいろ調べまくりましたが、そういうことが納得出来るよう述べてあるものには残念ながらアタリませんでした。
たとえば、28度でも、湿度が60%以下の場合は、比較的に楽です。しかし、26度に落としても、湿度が70%を上回れば、暑くてイライラするだけです。日本という島国は、それぞれの地方によって、気候(気温ではナイ)がチガイマス。
気象庁はサボってナイで、この地方なら、気温〇度のとき、エアコン設定〇度あるいは、除湿〇%てなふうに、統計調査(科学的根拠)をやってみなさい。
公共放送も、「こまめに水分をとって・・・」てな熱中症注意ばかり放送していないで、経口保水液の正しい摂り方でもヤってみればイイんだ。薄めて飲んでるバカもいるんだから。そうかとおもうと、一日3本飲んでいる豪傑バカもいる。
ああ、今夜も五回、六回と、私は鬱疾患の中途覚醒と頸椎狭窄の痛みに加わる暑さ(湿気)で起こされて、暗闇の中、布団に座り込むんだなあ。
ちなみに、夜は(1)~(5)までみんな無効です。一日24時間には昼も夜もあります。

2019年7月24日 (水)

港町memory 31

参院選終わったんですけど、そういうことはもうどうでもイイらしく、吉本興業紛争(になってしまった)ほうに世間の目はいっているようです。ありゃ、吉本興行の問題なんですか、それとも、芸能界の問題なんですか。その、なんですか、「反社会的勢力」とかにも会見ヤってもらえばどうですかね。
参院選は、安倍さんが「勝利」というているんですから、自公勝利なんでしょうけど、過半数を当選させたことでの勝利ということなら、ふーん、ですねえ。だって、勝負ってのは、勝つか負けるかヤってみないとワカランところで、ヤってみて勝ったら勝利なワケですから。まさか、自公で過半数割れは誰も予想もしていませんし、確率として0ですから。
改憲の三分の二には届かなかったので、負けということでもなく、そういうことなら衆参両院で過半数持っているワケですから、まず改憲の必要定数の三分の二を二分の一に法改定すりゃ、なんぼでも改憲出来ますしねえ。
日本共産党は、ワカルんです。何がかというと、そういう公約(大企業から税金搾り取る)とかは無理や、というのは。マルクス・スターリン主義もわかります。ワカンナイのは公明党だなあ。創価学会は宗教団体なワケでしょ。一応檀家集団ということになってますけど。国家権力がそういうところと手を組んでエエんですかね。今上陛下とかとの帳尻はどうなってんですかね。
私は法人税は安くしてもイイとおもってます。損はナイとおもってます。国際的経済の競争力からみて、そりゃ、そのほうがイイに決まっている。消費税、上げてもイイですよ。使い方次第ですから。ですから、所得税をそのぶん下げたほうが、イイんじゃナイでしょうか。下げられない理由は、公務員の賃金が減るからだけなんじゃないの。なんしろ、かの税金の48%は彼らの給金ですから。
私は源泉徴収で全て支払ってますので、還付金でかえってくる状態でいままでヤってきてますが、鶴屋南北賞を受賞した年は、その賞金くらいしか収入がなく、低額所得者ということで、市からかな、六千円頂戴したこともありますが、出版不況とか関係ねえですね、劇作家は。書くものでは食えないのでどっかでなんかしてタツキをたててますね皆さん。幸い、私はなんとか書くことで糊口をしのいでいますが。教えるとか、そういうの出来るほどもう体力がナイから。それに名古屋で仕事とると、他の劇作家の方の仕事の邪魔することになるとマズイんで遠慮してます。
いまさらに、『寿歌』ばっかヤってますけど、いろんなところが。昨今じゃ、たとえばトム・プロジェクトの『A列車に乗っていこう』(【演出】日澤雄介【出 演】 石田ひかり 松風理咲)は逸品だと自負しているんですが、名古屋の演劇関係・事業団は見向きもしない。名古屋40年の文化の遅れは未だケイゾクですね。
以上、この辺のアホラシサもあって、気抜け、鬱気ている今日この頃です。

2019年6月18日 (火)

港町memory 17

ラジオから(テレビは無いので)、多くはニュース関連なのだけど、「東京オリンピック」というコトバが聞こえると、戦後派で戦中のことなど知らないはずなのに、官製用語(非常時、進め一億火の玉だ、贅沢は敵だ、八紘一宇、五族共和・・・まあ、なんでもイイんですけどね)と同じnuanceでそいつを聞いてる気分になるから不思議なもんですナ。
そんでもって、地震関連で「ともかく地震になったら命を守れっ」なんてことを朝のあいさつおはようさん、みたいに(そいつをややヒステリックにしたみたいに)アナウンサーが口にするから、このひとたちは/どこまで正気なのだろうか/と疑ってしまう。ここはいっそ「命を投げ出せっ」といわれたほうが、覚悟が決まるってもんです。誰だって命を守ることに一所懸命になるのはアタリマエです。それが命令一下でそうさせられるような、このmission、command、めいたコトバはなんなのだろう。このコトバは聞いているだけですが、書き言葉にすると、やはり「地震ニナッタラ命ヲ守レッ」とカタカナになってきます。
カタカナは軍用によく使われます。
かつては漢字しかなかった敷島の国でござんすが、(ですから万葉集だってみんな漢字)ひらかなの発明で、紫式部たちの文学も誕生しました。(色事も柔らかい)
そうして、カタカナの発明は上位下達の感触をもって存在することが多いんです。(なんでかなあ。たぶん、逆なんでしょうけどね。そういうふうに軍部が命令に多く使ったから、がマトモな解釈なんだろうけど)
それから、「ブロック塀」。バカの一つ覚えのように「ブロック塀に気をつけろ」。
うちの近所にも幾つかあります。今年亡くなった知人の画伯などは、病床で「うちのブロック塀は、まず、端っこの・・・」と、高さ1m未満の自宅のブロック塀のことを気にして、その対策まで講じてらっしゃいましたが。地震で倒壊するのはブロック塀だけみたいな様相ですナ。

いまの若いひとは(いや、私のような還暦を遠に過ぎたものにしても)みんな「猫」です。
『猫に未来はない』(長田 弘・作)という本もありますが、猫は前頭葉が小さい(のか、まったく無いのか)ので、だいたいが、その瞬間(現在)のことしか考えないのだということが生物学的にもいわれています。
いま、この世界において、だれが、未来や将来について真面目にかんがえることが出来ましょう。
とはいえ、目的がなければ生きていけないのもニンゲン。とりあえず、未来、将来は在るという、あくまで〈仮定〉のもとにそいつを考慮し、実際(ほんとうのところ)は、現在を実感で乗り切るしか手立てはナイようです。
「東京オリンピック」はパンドラの箱の底が抜けた世界では、まったく効き目のナイ呪文だとおもってます。「希望」は箱の底に在ったんですが、抜けちゃってんだからなあ。どこに落っこちたかなあ。
メーテルリンクの『青い鳥』のラストシーンは、たいていのひとが誤解してるか錯覚していすが、/青い鳥がいなくなるところで〈終わり〉/ます。

2016年11月23日 (水)

百姓日記⑩

 

手塚治虫さんの大予言

 

 

当たってしまったんだから畏ろしいとしかいいようがナイ。

ロボットが開発される。人間の労働をロボットがやるようになる。そのぶん人間は楽になる。という楽観的なSFに対して手塚さんは、ロボットと人間の闘いを描いた。つまり、労働をロボットに奪われて、失業した人々と、何の罪もナイ、ロボットとの戦闘だ。

これ、いまの世相そのまんま。

『鉄腕アトム』の最終話の悲惨さをみよ。救いようのナイ、手塚さんのペシミズムの行き着いたところだ。いうなれば、ブラック・ジャックに勝利したキリコのあの逸話のように。

おおよそのことを機械(あるいは電化製品)がやることになって、しばらくはバラ色だった。主婦の仕事は軽減した。冷凍食品と電子レンジがあればずいぶん事足りる。それを批判するインテリも多いけれど、少なくとも私の生活も電子レンジ抜きではやっていけない。さらにオーブン・レンジがくっつくとなれば、クックパッドみながらたいていのものは料理出来る。いまさら七輪で何が出来る。だから、現状、主婦の料理の腕の善し悪しは包丁の使い方(扱い方)くらいだ。糟糠の妻の時代は終わった。おふくろの味も幻想に過ぎなかったことは、なんとまあ、統計調査で歴然としている。あなたの母親の母親の時代、もっとも食べたかった、美味しいと思った料理は「コロッケ」だったんだよ、きみ。

さらに母親の母親が味噌汁をつくっていた割合は、極めて低い。そうして、母親の世代、もっともご馳走だったのはカレーライスで、誕生日のpartyといえば、必ず登場したのがカレーライスなのだ。

生活からビシネスに視線を移そう。ビジネスも楽になった。ノートパソコンの登場で、雇用しなければならなかった労働者は激減した。人間を雇わなくてもイイという部分が多くなったので、当然、賃金を支払わなくて済む。要するに、たいていのことはノートパソコンがやってくれるので、ヒトがやることといえば、歩いての営業くらいだ。会社もofficeも不要。(とはいえ、名刺とゴルフの心得は必要なんだけどね)。独り暮らしも楽だ。交通系カードがあれば、コンビニ・スーパーで、買い物は完結する。なんしろ、生鮮食品まであるんだから。飯はイート・インで食えばイイ。たいてい笑い話になるのが、モーニングにせよ、昼の弁当にせよ、コーヒータイムにせよ、さて、水をと思ったとき、「そうか、水も買わなきゃいけないんだ」という事実。水はタダでは飲めなくなった。

かつてマグドナルド興隆の頃、あそこのハンバーガーは猫の肉を使っているという噂を流したのが、どんな業者だったのかは知らないが、マック(マグド)はすぐに材料を公表した。これと同じことがつい最近(いやいまでも)コンビニ弁当は、一週間放置しても腐らないという「都市伝説」になっている。保存料にソルビン酸が使われているかららしい。しかし、これはまったくの嘘だった。たしかにソルビン酸は使われているが(コンビニのサンドイッチなどは、現在不使用)、これは普遍的に食品に用いられている保存料だし、コンビニ弁当(の中の個々の食品にはもちろん使用されているものもある)は、それでもなおかつ、その量を100分の一まで少なくして、店頭にはたいてい二日の消費期限でしか弁当を置かなくなった。流通時間を考慮して、だいたい72時間耐久保存のようだ。(ただし、おでんはちょっとオカシイらしい・・・おでん屋にいわせるとだけど、具材が浮くというのは妙なんだそうで、あれはおでんではナイと明言しているおでん屋さんもいる・・・)。

閑話休題。

「しばらくはバラ色だった」と先述したのは、つまりは「バラ色じゃネエよな」、になってきたからだ。「楽になっ」てはいないのだ。なんだか辛くなったのよ。働くことも、職にありつくことも難しくなった。働いても貧乏で、「稼ぎに追いつく貧乏」ばかりになった。マスコミはこれを〈格差〉という。じゃあ、いったい何の、どんな〈格〉に差がついたというのだ。どういう理由(ワケ)で。

少し前までは、いまの貧乏は、貧乏だから家が買えないので車でも買うか。てな具合の貧乏で、むかしのように今日食う米がナイなんて貧乏ではナイ、なんていわれていたが、昨今は、その、今日食う米がナイという貧困、貧窮になっちゃった。韓国なんかの若者の貧窮は深刻で「3放世代」が増大、自殺も増えている。「3放世代」というのは、「恋愛・結婚・出産」を放棄せざるを得ない世代のことで、いやこれは人ごとではナイぞ。

私とて、いわゆる「老後」はヤメタ。六十四年生きてきたんだから、もう、生きられるところまでだなと、楽観すればそうなるが、悲観的にみれば、アト3年持てばヨシで、だからといってこの3年を慎ましくさらにもう3年延ばしたところで、なんかオモシロイことあるか。六十四が六十八になっても似たよなもんだよなあ。

若い女性はもちろん好きだが、六十過ぎると真面目に相手してくれる娘さんなんてよほどの運か縁か円がナイとダメだしな。それにどうしても、「明日来るひと」を「昨日生きたひと」が扱うとなると気が引けるのだ。結婚は三回して離婚も三回したから、ヨシ、じゃあ、今度はgirl friendを三、四人てのはどうかと思うのだが、どうも私はそういうタチ(資質)じゃないから、困ったもんだ。年の差婚てのは、先立つものがナイとね。こっちが先立つんだから。

まあ、いま生きている理由は、

〇死ぬのはツマラナイ。(なんだ、人生ってこんなもんなのとアホラシクて死ねやしない)

〇美味いラーメンと、美味しいお肉(この場合は比喩で女性のことも含む)が食いたい(これも比喩になるが、sexのことに限定していっているのではナイ。つまりは恋情全般をいう)。

〇ひょっとして世界が滅びるのが観られるかも知れないという、ワクワク感がある

からでござんす。

2016年7月 6日 (水)

涙、壊れているけれど⑮

ロウカ と思う

 

朝っぱらから電話が入って、昨日取材で京都へ仕事で出かけていたA女史が「暑さと、また風邪を引いて・・・」今夜予定の食事会には欠席の連絡。このひとは年間300日は風邪を引いているひとだし、きっとクーラー風邪というアレだなあ。京都は蒸し暑さが尋常じゃナイから、今夜は無理だろうと昨日彼女が出かける前に予想していたので、「ああ、いいです、いいです」と返事。私よりたしか二つ上だから、気持ちは少女でも、老化は容赦なく、熱中症で倒れなかったのがなにより。

 

私のばあい、還暦を過ぎたあたりから老化というものを如実に体験してきたが、イチバン困っているのは〈耳〉なのだ。いわゆる難聴というもので、これは耳鼻科で聴力検査を受けたことがあるが、異常はなかった。けれども、あの聴力検査はあまり科学的ではナイと思う。聞こえてくるのは「音」なのだから。

いまでも、「音」はちゃんと聞こえる。(ただし、どういうワケか蝉の声はダメだ。まったく聞こえない)。ただ、低音難聴と遅延難聴というものがあって、低音難聴は、低音の「声」がワカラナイ。これはDVDを何度か戻して耳を近づけても、ワカラナイ〈声〉はワカラナイ。それと、遅延難聴は、相手が早口の場合に起こる。聴力がそれを聞き取っても、脳内で「声」に変換するのに〈0,5から2Second時間がかかるのだ。私たちは一種のテンプレートを利用するような感触で音声を記憶している部分がある。「おはようございます」は、ハッキリそう聞こえなくとも、そのように理解出来る。「おあおうさいあす」といわれても「おはようございます」と聞き取ることが出来る。しかし、早口で何かいわれると(たとえば、コンビニのレジ店員氏などは、マニュアルどおり喋っているものだから、必ず早口になる)聞き直すというより、その音を脳内で変換する操作に時間をとられてしまう。「袋はどうされますか」というこれだけのいつものコトバを早口でやられると、音は捉えられているのだが、「ううおあとおあえうか」になる。ここから「記憶」が「袋はどうされますか」を探索するのに〈0,5から2Secondかかる。たとえば「ありがとうございました」も「あとうました」といえば、たいていのひとは「ありがとうございました」に変換する。演劇の仕事で韓国に行ったとき、食事で店に入ると「アンニョンハセヨ」と店員はいっているのだが、それは予めこちらがそういう韓国語を知っているからそう聞こえるワケで、韓国語はまったく知らないスタッフのひとりは、「ちゃんと、日本人にはイラッシャイマセというんだなあ」と驚いていた。彼の耳はそう(変換して)聞いているのだ。

吉本さんが、ワードプロセッサーの(活躍した時代に)キイボードについて、文字数はもっと少なく出来るという提案をされたことがあった。まず「あいうえお」は、そのままで、次の「かきくけこ」は「くぁ、くぃ、くぅ、くぇ、くぉ」と、すれば、か行は「く」だけで済む。同じように、さ行は「す」だけだ。た行は「と」だけ。と、まあ、これは、『涙、壊れているけれど⑨』で慰み物にしたアホに対しての、音声としての言語のレクチャーにもなっているかな。つまり、・・・「夢を」は「ユメヲ」であって「ユウメヲ」ではナイ・・・のではナイ。正確に音声言語論的に扱うと「夢を」は「ィウムェウォ」であり、「燃ゆる」は「モユル」ではなく「ムォイゥルゥ」になる。これが「歴(れっき)とした」日本語の音声言語の特徴だと考えてイイ。プロの歌手に対して、「出直せ」というからには、それなりの言語学を勉強してからにしたほうがイイ。エビデンスもなしに、伊藤久男センセとかいう、たかが歌手に「勝手に」寄り添って、聞きかじり学問しかナイ、チンピラふぜい、三下インテリのバラケツが、ゴロまくから、私の精神疾患の症状のaggressiveに慰み物にされるのだ。

なんなら、コトバにおける「書き体(文書体)」「語り体(話体)」「歌い体(歌謡体)」について、訓戒、教示してあげてもイイが、そうなると銭とらないとな。

2016年4月11日 (月)

背負って勝負

私の祖母の生まれは京都
ひとにはいえぬところで ございます
隠し通した 出自の因は そこんところにあるんでしょう
それからマレーに逃げまして 馬賊の賄い 務めました
ほとぼり冷めて 日本に戻り 始めた商売 アイスクリン屋
昭和の初めでございます
妾奉公 西向きャ 紅屋 赤い花緒の下駄はいて
子供背負って ジャムパン 一缶
土曜の花会 短冊散らし 更けゆく夜の 勢多の唐橋
母の名を呼ぶ ボートの子らが
聞いた鐘の音 いまはむかしの 哀歌であります
もらい湯の 北斗の星の 帰りの坂道
我は星のこ 不知火の
そうそう 大火事ありまして 学校全焼 焼け棒杭
憶えております 祖母の背中は やっぱり燃えて 
大縁側には 火がいっぱい とんとんとんと 肩たたき
すこうし 地平が傾いて シャボン玉に 丸髷の
くずすくずすは 口説きのもんく
ビィードロ ホッペン おちょぼ口
長患いで 亡くなりましたと ディスクジョッキー いいましたね
悔い改めなさいと 神に談判
したのはこっちだ お門違いのボンズはつんぼ
いちかけ にかけ さんかけまする
このあたりからでしょう 罪とやらを 背負ったのは
背負われて 背負って拝む 石地蔵
ちょうど時間と おかみさん
行きな 黒塀 神輿でワッショイ あとの祭りの盆踊り

あんまりひとにやさしくするもんじゃナイ。我慢にも限度、堪忍袋の緒だって磨り減れば自ずとキレル。意地でささえる夢さへなくなって、莫迦にだけはならないように、コトバの鍛練をしているけれど、和剃刀の研ぎ方も忘れないように心がけている。

ああっ斬りたいな、切りたいな、喉元スパッとやりたいな。

あんたの、だよっ。

2016年4月10日 (日)

でたとこ勝負

ちょいとどこまで お出かけで
月面着陸失敗しまして 女がひとり 泣いております
落とし物はUSB 私の世界のデータです
さがしものなら 隅田川
仕掛け花火の 火の粉をあびて
まぶしいったら ありゃしない
宅配きました 飴のご褒美 ええ いつものように
現世に未練はござんせんと いうんですなあ その
豆苗の小さな花です 道端でひろった娘です
いつもの水割り ドアの把っ手に引っ掛けまして
時間計れぬ 砂時計
ああ 悔しいったら ありゃしない
これでは いつ何処で 死んだらいいのか 困ってしまって
ココロは荒野を 駈けております
ごめんなすって 急いでおります
いいえ 浮いたことなどしちゃいません
振り返れば 出刃包丁
誘っておいて 知らぬ顔
いつものことです もう懲りましたので
潜ってみせましょ 夏まで待てりゃ
それが証拠に 裸足は 人魚の成れの果て
地の果て 氷の海の底
獄(ひとや)に収監されております
あれから 一年 ふた月 三月
律儀に生きてまいりましたが
世間はすっかり 亡んだようで
きょうも 町内会の役員さんが
路頭に迷っておいでです

私は、いままで学んだことをすっかり忘れてしまい、遠いむかしに生きている。
分単位で、相転移して、情緒も思想もはっきりせずになるものだから、こうして、かろうじて、生存の証を刻んでいる。

2016年1月20日 (水)

♡~15

「貧しい人々は、幸いである、神の国はあなたがたのものである」(ルカ福音書6/20)。
この「神の国」というのが「天国」のことなのかどうなのかは、教派によってさまざまで、もともと「天国」という概念は「ゾロアスター教」からのパクリだという説もある。その辺りは今回関係ナイ。ともかくも「いまのこの世界」ではナイことは確かだということだ。「いまのこの世界」は「富むもの」に都合よく出来ている。
2015年、世界の上位1%の富裕層が、残り99%全員分を合わせたよりも多くの富を所有していた。いいかえれば、世界の富の殆どを、わずか1%の人たちが保有していたことになる。(世界の貧困問題に取り組む国際組織オックスファムが、18日に発表した報告書「1%のための経済」)
それを換算してみると、世界で最も裕福な62人の総資産が、貧しい36億人分に相当、36億人というのは世界人口の約半数だ。世界の上位1%とは、どれほどの富裕者になるかというと(オックスファムはこの報告書の作成にあたって、クレディ・スイスが昨年10月に発表した「2015年度グローバル・ウェルス・レポート」を主要なソースとしている)、純資産で75万9900米ドル、約8901万円というのが上位1%のラインになる。
ところで、BBCは「もしあなたがロンドンに、抵当権の設定されていない(支払いの完了した)平均的な一軒家を所有していれば、おそらくあなたは上位1%に入っている」と語っている。これは日本でも、地価が高い都市部などでは当てはまる。クレディ・スイスの「レポート」によると、2015年時点、日本には米ドル建てで純資産100万ドル以上のミリオネアが212万人いたそうだ。
な~んで、そんなに差がつくのというと、これは殆どタックス・ヘイブンの存在に因る。タックス・ヘイブン(直訳なら「税金天国」だが)とは、日本語に訳すると「租税回避地」という意味で、外国資本&外貨獲得の為に、意図的に税金を優遇(無税または極めて低い税率)して、企業や富裕層の資産を誘致している国や地域のことをいう。大企業や富裕層などの資金が、自国からタックス・ヘイブンに流出すれば、当然ながら税収は減ってしまう。日本の一般庶民でも、タックス・ヘイブン諸国に銀行口座を持つ事が可能だ。すでに一部の資産家は、金利ゼロなうえ税金だけはべらぼうに高い日本から、これらタックス・ヘイブン諸国に預貯金を移動させている。
老後、一カ月の生活費はひとり15万円だと算出されている(厚生労働省)。母親は15万円受け取っていて(年金の種別がチガウ)85歳の独居。私は前倒ししているので、老齢年金だけで、一カ月5万円弱だ。40年支払い続けたが、月5万円では家賃にしかならない。2004年(平成16年)4月7日、自由民主党衆議院議員(当時)の安倍晋三は、衆議院厚生労働委員会で、自営業者らが加入する国民年金について、現状のままだと積立金は2017年(平成29年)度に枯渇するとの見通しを述べた。また厚生労働省年金局長(当時)の吉武民樹は、毎年280円の引き上げでも2023年(平成35年)に積立金が枯渇するとの見通しを示した。で、現在、どう改正されているのか、枯渇してんのか、有るのかナイのか、気になるなら調べればイイ。どのみち、年金など支払ってるものは、私の知る限り皆無だ。みな三十代だが、30年後に日本があるのかナイのかもワカンネエんだから。「一億総活躍社会」、悪い冗談だ。「国家総動員法」か、「進め一億、火ダルマだ」か、、んっ。

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