無料ブログはココログ

カテゴリー「病歴」の記事

2017年3月12日 (日)

尿酸を集めて痛し今朝の指

 

尿酸値を下げるクスリ(つまり、小水とともに尿酸を排出させる)を服用しているのだが、このクスリは新薬で有能らしいが、ともかく尿酸というのは排泄される前に一度関節に集まるのだそうだ。当然、関節は痛くなる。今朝は足の親指が両方とも痛いので(特に右足、いつもは左なのに)歩きづらく、痛風用の鎮痛剤をロキソニンと一緒に服用。

 

セロトニン症候群の離脱作用でセロトニン分泌がままならず、ただでさへ痛みが治まらないのに、疾病もfactorが二つあると、難儀、ナンギ。かたや低体温で温めねばならず、かたや尿酸を排泄させるのに温めてはイケナイのことアルよ、で、関数にならない。方程式が解けない。このばあいy=f(x)のfをfunctionからfactorに変えてのことだが、x、つまり入力(input)すべきものがいまのコトバでいう真逆なので、始末が悪い。『法華経』と『浄土教』は一緒には入れられない。なんとか『般若心経』だけでしのいでいるといったふうかな、たとえていえば。(といってもどんなたとえなのかワカランやろけど)。つまり情況論が相いれないので、本質論だけに頼っているということで、とはいえ、ほんとに頼りになるのは鎮痛剤だけだな。

きのうのうちに、茄子と鶏肉を煮ておいてよかった。一日置けば、味がしみとおるだろうと、いま鉄鍋に待機中。なんだけど、食欲ナイしなあ。まあ、小一時間もすれば空腹感もやって来るだろうと、これを色即是空、あるいは諸行無常という。お経というのは高級品ではなく、生活密着でなくてはイケマセン。難しい哲学になるときもあるが、日常生活の指針となることもあるのだ。

2016年12月 1日 (木)

百姓日記⑬

 

脳の損壊とプランク定数

 

セロトニン症候群とその離脱症状との具合は、十月半ばに服用ゼロとし、その後、いわゆる離脱症状が半年ばかり続くので、そいつとの闘病みたいになってきたが、最近(ここんとこ)これはそうだな、30年の向精神薬(現在も三種類ケイゾク)で、脳のレセプターあたりからの損壊ではナイかなと思うようになった。つまり、思考、あるいは精神がコンピュータでいうところのフラグメンテーションを起こしているのではナイかと、そういうことだ。

PCは脳を模したmachine、つまりは道具なので、身体や思考の状態、作用をこれに置き換えて説明したり考えたりすると、逆にワカリヤスイことがある。(注意を喚起しておくがPCはあくまで機械、道具です)

PCなら毎日やってるようにデフラグしてやれば、状態(運動量)は向上するのでそれてOKなのだが、こと、脳になると、もう少し複雑だと思われる。とはいえ、なんとなく(その気配としては)フラグメンテーションなので、つまり、いま少しワカリヤスク書き直すと、ほんらいなら、

AAAABBBBCCCCDDDD

あるいはこれが順序数であれば、

ABCDABCDABCDABCD

であるところを、

ABDCCBADADCBCCAB

というふうに〈飛びとび〉(たぶん3040パーセントの断片化)になっているということなので、じゃあ、デフラグかければということになるのだが、脳は機械ではナイので、損壊したところにデフラグしようと試みても、出来るワケがナイ。

ゆんべ、avecビーズの稽古に参加したんだけど、フラグメントがキツクて、思考が断片化さているなあと(そういうことはチャンと認識するんですね、脳の別の部分が)、ベントマンで買った弁当を食いながら、この幕の内は、原価100円くらいなんじゃないかなあ、なんて思いつつ、ほかほか弁当が出店されたときなどは、もう少し何だかワカラナイけど、衝撃的だったんだけど、てなことをも思いつつ、演出者のKが来たので、どういワケか、老化について歌手の場合は、声は衰えないとはいうものの、それは、ちゃんと声楽を学んだひとたち、いわゆる『懐かしのメロディ』に登場する八十代の歌手のことで、映画俳優の傍ら、あるいは女優活動のついでに歌っていたその後のひとたちは、やっぱり音が♭したりするのは、本人が気付いてナイとするなら声帯の老化ではなく、聴覚の老化だろうなあてな話をして、最近、私も歌うと高音部が10年前に比して不安定で、かつて出た音が出ないのはそのためだなとか、思いつつ、前マエの嫁さんだったTが次に来たので、初めて真っ直ぐにちゃんと顔を観て丁寧に「おはようございます」と挨拶している自分の脳がオカシクて、しかし悪いことじゃナイからまあイイかと思った瞬間、ちょっと待てよ、このフラグメンテーションを負に捉えるのではなく、プランク定数にみられる量子エネルギーの飛躍として認識してしまえば、つまり、日常言語の運動量にプランク定数を乗算していると解釈すれば、それはそれで、主観的に自他を観測出来るのではないだろうかと、そういうことにまさに飛躍的に気付いて、うん、そうすることにしようと、決めたのでありました。

だって、身体的苦痛は自分だけが耐えればイイことなんだけど、思考のフラグメンテーションは、他人に迷惑かかるからなあ。

そんで、私にしてはめずらしく、出過ぎたマネかなとは思いつつ、演技指導なんてやってんだから、まあ、しばらくは、こんな具合で堪忍してよ。

2016年7月15日 (金)

涙、壊れているけれど・22

シェキニンシャ 出てこいっ

 

いよいよ世間も気がつき始めたみたいですね。近隣に二階建ての大きな書店、あるんですが、私は書店では本は買いません。けれど、見学にはいきます。そうすると、いま、世間の方々がどんなものに興味をお持ちなのかがワカル。

最初は「こころの風邪」なんていわれていた「うつ病」が、とんでもナイ、エイズやデング熱より恐ろしいという告発本が幾種類か平積みされだした。何が恐ろしいって、要するに医療関係者の〈無知〉とマチガッタ治療。それによって患者は壊れる、人生はパーになる。

私、40年患ってますが、治らない。けっきょくセロトニン症候群になっちゃって、いまセロトニンの減薬を苦行中。

ついこないだ、火曜日、主治医と9㎎の一日二回で、なんとかうまいこといきそうですな、てなミーティングをしたばかりなのに、たしかにうまいことバランスをとってたのに、ゆんべ、いきなり、キツーイ離脱症状がきて、ウディ・アレンの映画(DVD)観てたんだけど、どうも様子が変、話がワカラナイ、気分が悪い、これは、と、血圧を測ったら、上がってる、頻脈110。意識はハッキリしているんだけど、なんだか貧血しているように、集中が出来ない。そのうち意識も薄濁(てな熟語になっていく)。

救急車呼んでも、病態を説明するのが面倒だな。しょうがねえな、セロトニン3㎎投与、βブロッカー25㎎投与。これでダメならそれまでだ。そこで、気になったのが、来週月曜のシス・カンパニー稽古初日。もちろん、東京に行く予定。これ、本番も観られないのかな。ここで倒れたら無理だろうな。デートはどうなる。あの娘、楽しみにしてたのに、すまないな。

よし、まず、この病態について書いて、いざとなったら、それを救急病院でみせて、それで、医師の反応を観て、知識の具合を推察して、こいつはアカンと解したら、逃げて帰ろう。と、パソコン打鍵してんだから、執念ですね。

ふらつきながら、三回トイレいって、ともかく何か出せば少しはマシかと。でも出ないね。

これからいろいろと、私の関係している催しあるのに、そうか、残念無念。

横になるとよけいにひどくなるから、椅子にもたれて、ちょっとマシになって、試しにビデオの続きを観始めたら、また、クラクラクラ。ほんと、死ぬってのは吸って吐いてだなあ。

生きてますけど。

2016年7月 2日 (土)

涙、壊れているけれど⑪

呉越同舟という関数における絶対値

 

6/30で、抗鬱剤(セロトニン含有)を全廃したのだが(これをふつう断薬という)、名古屋のクリニック時代に1~2週間で、それが出来たのは、それに変わるクスリの投与があったからで、ということにウッカリしていたワケでもナイんだけんど、三週間での減薬はちと無理だったようで、昨夜、強い離脱症状があって、方針転換は余儀なく、もっとslow 時間をかけて離脱症状が消えていくのを待つことにした。

離脱症状といっても、幽体離脱ではナイ。幽体離脱なら、かなり前に半分だけ経験したことがある。半分は抜けた。それを前々嫁に話したら、そういう危険な場合はちゃんと電話してと叱られたが、幽体離脱している途中でどうやって電話すればイイのだろうか、そのときは気がつかなかった。まだガラ携さへナイ時代なのに。と、こんな調子の文章になるのは、いま古屋兎丸の『Π(パイ)』を読んでるせいだな。林、待ってろ、次はきみのところにこのフザケた名作を届けるからな。(で、『人生スイッチ』のメールは届いたのかな)と、こんな調子のコミックスなんだけど、前回、前々回と、談志家元のマネをしてブログでアホ二人慰み物にしたので、バチでもあたったのか、罰(バツ)はキリスト教をはじめ、さまざまな宗教の戒律にみられるが、「バチがあたる」というのは罰を呉音読みしているワケで、// 末子音を持つ入声には「チ」が使われることが多い。従って、バチ」は「バツ」なのだ。ちなみに漢音では「ツ」だから「罰」は「バツ」と読む。もっとも、東北地方の訛りでは「おめえ、そんだらことすてるど、バチがあたるど」とは、あんまし関係ナイと思う。と、まあ、こんな調子のコミックスなんだ。

ところで、セロトニン症候群を治癒させるためには、セロトニン含有の抗鬱剤は服用出来ないので、その減薬をしているのだが、そのために離脱症状が起きる。これはこれで、痺れ、だるさ、息苦しさ、痛みと、けっこうキツイのだが、いまのところは、呉越同舟ということで、このセロトニン症候群と離脱症状の関数の絶対値がなかなか決まらない。つまり、セロトニン症候群と離脱症状の座標を決める偏角sineθが手探りなのだ。だから、当分は呉越同舟の、鬱陶しい情況がつづくだろうが、セロトニン症候群のほうはだいぶ治まって、いつもならこの時期、水下痢や微熱や頻脈に悩まされているところのだが、それがナイだけ、方針の正しさは感じる。これも一重に、もう少しはいい戯曲を書いて、いいオマンコがしたいという、生命のゲノムのアフリカ的段階を経験したいという願望によるのだろう。というふうな感じのコミックスなんだけどネ。いままでの古屋さんのマンガの中では、オレは、こういうフザケたのがイチバン好きだな。なんか諸星さんの『栞と紙魚子』シリーズみたいでさ。

 

我が病は精神疾患なれば、狂気。気とはenergieのこと。しからば、狂気も時には要。

色即是空、空は時間。時間とは重力の変容。色即ち宇宙を支配するは重力の変容。消滅するも膨張するも重力次第。狂気思惟したること。

「私は、信じていない者以外は、ちゃんと信じている」

 

2016年6月29日 (水)

涙、壊れているけれど⑧

ズルズルと、しかし押し上げろ

 

/生きるちゅうのは引きずることです。ズルズルズルズル引きずっていくことですよ。ズルズルズルズル音をたててみっともないですよ(『人間交差点』「扉」・・・弘兼賢史(画)、矢島正雄(原作))/

いない、いない、いない、のだからしょうがナイ。つまり世界(宇宙)は、いない、いない、いないの世界に変容したのだから、私を表現している世界もチガウし、私が表現している世界もチガウ。いつか私が「いない」になったら、また、世界(宇宙)も変わるだろう。

たしかに、生きるというはズルズルと引きずっていくことにはチガイナイ。「いない」ということはもう引きずらなくていいのだから。

だが、生き残った私(たち)は、ナニを引きずる。と、これが問題じゃないの。そう思うんだけどねえ。現存する芸人における歴史上最高のギャグは、間寛平さんの「引きずり女でございます」だとあちきは考えてるからね。みっともない、たしかにそうなんだけど、あの完全に意味のナイ、というより、この世のものではナイ、あのギャグ。神も仏も凍りつく、あの・・・まあ、いいですよ。とにかくスゴイということで。で、ズルズルズルと、生きるということの何か、いやそのものを引きずっていくんだと思います。しかし、私は芸人じゃありませんから、カッコイイことの一つもいわないといけない。だから「しかし押し上げろ」です。押し上げていきます。何の意味もナイのに。足がズルッ、ズルッズルズルズル、といきまさあね。それでも押し上げていく。意地なんですから、意地でささえる夢すらなくなって、なお、意地なんですから。

てなこと書いて、カッコイイんですが、さっき、晩飯のおかずに買ったシュウマイを台所でパックのふたを開けたとたん引っ繰り返してしまって、一個は食える状態ではなかったものの、四個、拾って食いました。どういうワケか、近所のコンビニスーパーのデリカが美味いんです。ロース豚カツなんてサイコー、これが二枚で200円かな。きっと食べることの好きなひとがつくってんだと思います。ソーメン、贅沢して、「揖保の糸」二把。んなことやってる生活者ですから、な~にが、「生きるちゅうのは引きずることです。ズルズルズルズル引きずっていくことですよ。ズルズルズルズル音をたててみっともないですよ」なもんか。て、ところでしょうねえ。シューマイ引っ繰り返しているほうが、よっぽどみっともナイんだから。

 

本日、精神科の主治医とミーティング(診療なんですけど、どうも私という患者とは、そんなふうになりますねえ)しまして、結論は、セロトニン症候群だと、決まりました。決まったから治るというもんでもナイんですけどね。

要するに十数年前の、名古屋で通院していた精神科医の誤診です。セロトニン症候群を男性更年期障害と思い込んで、抗鬱剤はそのまんま、自律神経の安定に効果がある(と、当時はガイドラインでそうなっていた)レキソタンを投薬したんですね。おかげで、私は、ずううっと、微熱、頻脈、下痢、目眩、要するにセロトニン症候群で苦しんできたというワケで、ともかく、まず、こいつを何とかスル。ということで、三週間かけて、一日25㎎服用していた抗鬱剤(セロトニン含有)をゼロにしました。かつては、多いときは一日100㎎服用してましたからねえ。

いまのdoctorが悔やんでました。「そうか、しまったなあ、あのとき、前の医師が何故レキソタンを投与したか、理由をもっとキチンと訊くべきでした」。このdoctor、のそういう診療態度が好きですね私。だって、そうでないと医学(科学ですからね)の進歩はナイですよ。医療ガイドラインに沿って、というか、それに頼ってだけの治療が多すぎます。

セロトニン症候群は、何とかなりそうなんですが、うつ病が治ったワケでなく、今夜は久しぶりに痛みが出ましたワ。しかし、「ワカッタ」ということは私にとってはとて重要なことなんです。私、ワカルまで考えるほうなんで。

ですから、これからは、闘い方も変わります。世界は変わった。いない、いない、いない、ときた。今朝、新幹線でdoctorの診療に向かうとき、初めて、いないいないいない、ことについて、その世界に対して涙がこぼれました。いないのか、でも、ズルズルズルと押し上げナイとなあ。シューマイ引っ繰り返さないように気をつけないと。

2016年3月 1日 (火)

♡~29

「死ぬ気で頑張るのはイカンっ、死んでしまうからナ。殺す気でやるんじゃっ」。
どこの爺様か知らないが、市井のこの年寄りのコトバが、ツイッターで話題になっている。いまだからいえるが、私が役者として舞台をやる場合、出番を袖で待つとき、いつもやってたのが、観客との一対一の果たし合いのイメージで、「必ず倒す」と、剣を持ったつもりで構えていた。
以前も書いたが、「自分との闘い」などは無い。「自分」の〈ナニ〉と闘うのか具体的に敵を明確にしないと闘えないか、マチガッタ闘いになる。
かつて、うつ病の養生法に「従病(しょうびょう)」というのがあった。おそらくいまでもある。つまり、無理な闘いはやめて、疾病(うつ病)と仲良くやっていく、という医療従事者、つまり医師の提唱なのだが、それが不可能なことは、罹患者が最もよく知っている。外国(主に米国)では、うつ病のことを dependent(従属)と通称している。症状に従わざるを得ない。苦痛に従う他ナイ。人を強烈に従わせる疾病だ。というふうなニュアンスによる。いい得て妙だと、私も同感する。
還暦を過ぎて、若い頃と症状が変容してきたので、いまは暗中模索、試行錯誤、五里霧中で、半ば翻弄されているが、これから、夏をこさなければ、ナ。
ちなみに、以前も書いたが、『老人と海』(ノーベル賞受賞)で知られるアメリカの作家ヘミングウェイは、マラリア、炭疽病、肺炎、赤痢、皮膚ガン、肝炎、貧血症、糖尿病、高血圧症、2回の飛行機事故、腎臓破裂、脾臓破裂、肝臓破裂、脊椎骨折、頭骨骨折、を克服し、その頑強な肉体もウリだったが、死因はうつ病によるライフル自殺だ。幸い、私は頑強な肉体を持ち合わせていないので、死ぬ気で頑張ることなど出来ないが、紳士ではナイので、おそらく「殺し」はわりあい、淡々とやってしまうのではないかと推測している。

2016年2月18日 (木)

♡~26

うつ病の症状の苦痛に耐えている毎日。されど、脳(思考力)、カラダ(感性)、銭、まだ使える。もったいないので、使える限り使う。ポツンと死んでも、よし。使えなくなったら、そうなるだろう。
絶望など何もナイ。数多経験してきて、そんなものに意味はナイと学習した。たとえ逸しても、失しても、〈希望〉だけ持っていればイイ。ただし、ego な希望は持たざるがよし。これは他者に対して迷惑千万。それがワカラヌ者、在るが、呪わぬ。勝手にすればイイ。利他は即ち自利。これが近江商人の遺伝子の現出と、信ずる。
かつ、生存意志は、ホモサピエンスの遺伝子に依る。

2016年2月10日 (水)

♡~24

報告になりますが、視野欠損が現出したので、眼科で、視野検査、眼底精密検査、視力測定などやりました。で、結果、緑内障に結びつくものとは関係ナイ。つまりその点では異常ナシ。眼底も安定しており異常ナシ。という医師の所見。視力は、助手のお嬢さんに訊くと、眼鏡着の場合、右1,5に左1,2で見えてる(ハズ)なんですけどねえ。何で、見えにくいのか、次回よろしければ検査して、処方箋出します。とのことで、そうする。だって、このお姉ちゃんが、(以下、略)
名古屋に眼精疲労専門の鍼灸師が在るとの情報を得たので、精神科医の合意書をもらってから、そこへも、行ってみることにします。
いやあ、なんつうか、加齢でうつ病の発症、症状が以前とチガウのだ。1年以上、闘病はつづいております。

2015年12月15日 (火)

私想的生活-0

このまま眠ると、明日の朝死んでいるのではないだろうか、という一種の強迫観念がいつまでも片隅にあるうちは布団に入る気になれず、ウヰスキーの水割りが時々5杯になることもある。
これには理由がある。父親の臨終が「眠るように」ではなく、ほんとうに眠りに入ってそのまま逝ってしまったからだ。看護師が病室に慌てて数人入ってくるまで、看護していた母親も、気がつかなかったという。こういうのを大往生といのかどうかは知らぬが、私としては「悪人なおもて往生をとげる」と思うことにしている。

うつ病期の闘病時は、酒の味もしなくなる。何を飲んでいるのかワカラヌが、酔うために飲んで、さて寝床に入ると、酔いがまわって気持ちよく眠りに入るかというとそうでもなく、うつ病特有の身体的苦痛(だるさや痺れ、息苦しさ)にしばらく耐えねばならない。これは目覚めもそうで、朝にせよ、昼寝のアトにせよ、たいてい30分は生きるか死ぬかに迫られる。これをうつ病の「ハムレット症候群」と自分では称している。この状態が脱けきらないうちは寛解(かんかい、Remission.永続的であるか一時的であるかを問わず、病気による症状が好転または、ほぼ消失し、臨床的にコントロールされた状態を指す)といかない。日常生活はほぼなんとかなるのだが、突然、ほんとうに何かの発作のようにうつ病症状が所嫌わず襲ってきて、ハムレットになる。現在はそんなような情況で、寛解率50%てなふうだ。

うつ病の典型的症状に、中途覚醒というのがある(あるいは早朝覚醒)。こいつは一度夜半や明け方にでも目覚めると、そこから眠れない。当然、その日一日は消耗のままダメになることが多い。これを私はメジャートランキライザー2,5㎎(通常5㎎)を就寝時1時間前に服用することで切り抜ける。変に抗鬱剤を増量するよりも、こちらのほうが楽なのだ。だから中途覚醒からは逃れている。とはいえハムレット症候群は現出して、長いときは2時間ばかり、これにつきあわされる。もっとも、うつ病の現出期は半日はこの症状がつづき、そこに痛みがともなう。こういうことは何度もこのブログに書いたが、痛みの現出は、うつ病罹患者の4割で、出方はさまざま。私の場合は左右の手首関節と指関節の鈍痛と疼痛、酷いときは、足首や手肘もやられる。ここに全身のだるさと痺れが加わる。
抗鬱剤の服用(62,5㎎・・・通常は75~100㎎だが、年齢的に60㎎程度まで下げている)で、抗鬱剤の成分のノルアドレナリンの作用で痛みは緩和されるが、如何せん自殺念慮と不可思議な重力の異常付加は突然、ところかまわず、やってくる。これが数分で終わるか数時間になるか。これらは抗鬱剤の副作用によってももたらされる。セロトニンによる口渇、吐き気、ノルアドレナリンによる、ふらつき、頻脈、そこで、徐々に抗鬱剤の減量を試みる。いまのところ25㎎まで減らしてなんとかなっているが、それでも、β-ブロッカーの扶けがいる場合がある。これも寝起きに多いが、脈拍が120を超えることもある。105あたりまでは、半身浴や瘀血(おけつ・伝統中国医学において、鬱血や血行障害など、血の流れの滞り、またはそれによって起きる様々な症状。東洋医学の解説書などにはよく「ふる血」や「汚れた血」などと解説してあり、また、瘀が特殊な字で、「悪血」と書かれることもある)を抜いたりして対症する(刺絡と称する。方法はさほど難しくなく、糖尿病検査の鍼器具を用いて、足の指から15滴~30滴ばかり搾る)。
5年くらい前に独居していたときは、起床は6時、それからしばらく待って6時半から開店の早朝喫茶にモーニングで朝食、8時頃から11時までデスクワーク、近隣の中華屋で瓶ビール(500㎖)を一本飲んで昼食、帰って1~1時間半ほど昼寝。そのアト何をしていたか、あまり記憶にナイが、試写のある日はビールはやめて、試写室に出向いて映画を観て、自炊で晩飯。たぶん、読書とかに空き時間はアテていたんだろう、就寝は12時前後だった。このときも、9時頃から水割りを4杯。この頃はまだ目が大丈夫だったので、出来ることも多かった。この頃までは、抗鬱剤も3日~遅くても5日くらいで効き始め、副作用もなかった。
加齢が関係するのだろうか、同種の抗鬱剤と自律神経(交感神経)の折り合いが現在はあまり良くなく、前述したように匙加減が微妙に難しい。やっと、12,5㎎を朝と昼に一錠ずつ服用で、ほぼ50%寛解までこぎつけたいまも目のほうが減衰して、舞台なら1時間、映画でも90分を超えると、眼鏡をしていてもしていなくても同じで、ピントもフォーカスもオジャンになる。
実にやっかいな疾病だが、この疾病で死ぬことだけは、拒絶する。
I don't succumb.(アイ ドォント スカム ・ 我、屈せず)
At least today only.(せめて今日だけでも)

2015年11月27日 (金)

Words of the nincompoop ⑬

半月くらいの開店休業で、だからといって本日より新台入れ替え、開店というワケでもナイ。私がブログを更新しないときは、たいていが闘病と思ってもらってマチガイはナイ。
老化によってうつ病のほうも変容しているようで、どうも一進一退、良くなったかなと楽観すると、本日は晩飯が食えそうにナイ。ここ数日眠り方が変だなと感じていたが、とにかくふつうに生活しているのに、その「ふつう」をするのに常態の数倍エネルギーが必要らしく、痩せるというより、窶(やつ)れるといったふうで、かなり食っても、消耗が激しいので、食えなくなるのは困るなと要心していたが、食欲というより、食べる気力が減衰している。適当に惣菜を見繕って、ともかく熱量の補給をしなければ、本日はえらく寒い。こういう急激な気温の変化が、身に沁みて堪えるのが老化というものだろう。

より以前の記事一覧