無料ブログはココログ
フォト

カテゴリー「テキヤの祈り」の記事

2016年1月14日 (木)

♡~12

『老人と海』(Ernest Miller Hemingway)を憶い出しながら、やっとあの小説が読めたような気がしている。あまりに早く(若いときに)読むべき本じゃなかったな。おそらく十代のときに読んで(何しろ、有名な小説だっつうんで)、何処がナニがどう面白いのかまったくワカラナカッタ。いうなれば、この本は、私のフィクション嫌いを助長させた一冊にはチガイナイ。けれども、いまなら記憶だけでワカルのだ。これはヘミングウェイ晩年の小説だ。彼も老境にいた。んで、まあ、うつ病で自殺したんだけど。マラリア、炭疽病、肺炎、赤痢、皮膚ガン、肝炎、貧血症、糖尿病、高血圧症、2回の飛行機事故、腎臓破裂、脾臓破裂、肝臓破裂、脊椎骨折、頭骨骨折と、さまざまな困難、窮地、絶望に立ち向かって克服しながら、けっきょく61歳で、彼を死に追いやったのは〈うつ病〉だったのだ。具体的にどういう症状に陥ったのかは本人以外にはワカラナイと思うが、通説でいわれているのは・・・「書けなくなった」らしい。
だからっ、
はっ、
えーと、私は二十代前半、うつ病が現出する前、大須観音近隣に稽古場、劇場を兼ねたスタジオで劇団活動をしており、その近所に四畳半の部屋を借りて仕事場にしていた。妻とは別居中だ。で、場所柄、「大道芸」のイベントをやろうと、閑古鳥鳴く商店街の若旦那たちが立ち上がり、これはいまでも「大須大道町人祭」として継続されている。
タカマチ(祭り)ならテキ屋の出番なのだが、その辺りを庭場(縄張り)にしていた親分に頼まれて始めたのがテキ屋のバイトだ。この祭りについて、若旦那衆を集めてテキ屋の親分のレクチャーがあったのだが、その極めて貴重な話は(書けないこともあるのだが)いつかの機会にということにして、このバイト時代に、テキ屋の方法論をいろいろとみようみまねでおぼえていった。実際、それを東京で試したことがある。
場所は下北沢の50人ばかりの定員の小さな劇場。演目は二人芝居で、ちょっとした不条理ミステリ。ここで、簡便に綴じただけの上演台本を販売したのだが、一日目は受付ブースの女性劇団員(後見・・手伝いのこと・・で一緒に来ていた)に任せたので、売れたのは一冊。「一冊しか売れませんでした」というコトバを聞いて、それはチガウ、一冊しか売らなかっただけだと、「じゃあ、明日は40部ばかりコピーしてきなはれ」と、次の日、舞台が終わった直後(ここがタイセツ)、舞台にさっと机を持ち出して、10冊ばかりをその上に置き、「きょうの舞台はちょっと難しかったかと思います。なんしろ,不条理ミステリですので、どの事件がほんとうの事件なのか、わかりにくくしてあります。とはいえ、演じた役者には、キチンと解るように台本は書かれております。で、どうしても真相が知りたいとお考えのお客様に、台本を売るつもりでいました。ところが、係のものがその台本を積み忘れまして、急遽、ここでコピープリントすることになったのですが、あいにく、素の本がなく、演者の持ってきた本をコピープリント、簡易台本をつくりました。ですので、これは売り物なんですが、役者のメモ、書き込みがやたらと入っております。(と、ここも大事)そういう本でもよろしければ、コピー料金を差っ引くと、儲けにはならないんですけど、机の上に10冊置いてあります(ここも重要)。これを一部千円で、よろしければお分けいたしますが」。これが口上(あるいは口舌)。
一つもウソはついていない。「役者のメモ、書き込み」が入っているなんてのは貴重で、垂涎だと思う。机の上には10冊しか置いてないが、足下のダンボールにはアト30冊入っている。芝居が終わってすぐなので、客の頭はコーフン状態にある。真相が書かれているとはいっていない。演じた役者に解るように書かれているかどうかは、読み方次第。
と、これは仕込み(トーハ)ではナイのだが、客席から千円札片手に舞台に駆け上がった客がいた。これは天の助け。それに続けと、千円札片手に客が群がった。で、では、お並び下さい。ということで、40冊売り切った。50人の観客の40人が買ったのだからスゴイもんだと思う。10冊だったのが、ダンボール箱から出てくることについては、誰も何もいわない。その場では誰も問題にしない、ということだ。目的は「書き込みの入った真相のワカル台本」なのだから。粗利は4万円、5~6ステージほどやったから、20万円以上の粗利は出ている。それだけで、劇場使用料は払えた。
のちのち、一通だけクレームの手紙をもらったが(つまり読んでも真相がワカラナイと)、テキ屋にアフターサービスはナイ。「売ったキリ」だから。by the way,これもむかしの話だなあ。
ヘミングウェイにこういうコトバがある。
/我々はいつも恋人を持っている。彼女の名前はノスタルジーだ/

2013年8月 6日 (火)

ココロに遺るコトバ『銀河鉄道の夜』(宮沢賢治)

さそりは一生けん命遁げて遁げたけどとうとういたちに押おさえられそうになったわ、そのときいきなり前に井戸があってその中に落ちてしまったわ、もうどうしてもあがられないでさそりは溺れはじめたのよ。そのときさそりは斯う云ってお祈りしたというの、
 ああ、わたしはいままでいくつのものの命をとったかわからない、そしてその私がこんどいたちにとられようとしたときはあんなに一生けん命にげた。それでもとうとうこんなになってしまった。ああなんにもあてにならない。どうしてわたしはわたしのからだをだまっていたちに呉れてやらなかったろう。そしたらいたちも一日生きのびたろうに。どうか神さま。私の心をごらん下さい。こんなにむなしく命をすてずどうかこの次にはまことのみんなの幸いのために私のからだをおつかい下さい。って云ったというの。そしたらいつか蝎はじぶんのからだがまっ赤なうつくしい火になって燃えてよるのやみを照らしているのを見たって。

2010年9月22日 (水)

たいしたことではナイ

地球に生命体が出現してから38億年。ダーウィンの種の「起源」はそれだ。それから38億年、私のDNAの遺伝子には、38億年の生命体のココロが記録されているんだろうが、そう考えると、私の個体としての私などは、38億年のアーカイブスにおいて、「かけがいのナイ私」なんてものは、あるのかどうか、あってもそうたいしたことではナイのではないかと思われてくる。・・・中津川での「北村想」仕事を終えて、ああ、この夏は、猛暑なのにかなりの仕事をこなしたなあと、呆れているし、この八ヶ月、通帳の数字にほとんど変動がナイないのは、タダ飯を食ってるせいもあるだろうけれど、適度に入金もあったからだろうと、そんなもんかと妙に納得している。このあいだ、法的に離婚が成立して、財産分与と、慰謝料と、そっちのほうも滞りなく終了し、no sideということになった。失ったもの、得たものもあったろうが、お約束どおりというか、鬱病のdownがゆるやかに始まって、兆候としての希死念慮と、自責が訪れる。こういうときの判断はまず間違っているのだが、私は、私以外のひとの人生の責務を担うようなことは、もうやるべきではナイと、自身を叱責しているし、ただただ、私は適宜死ぬまで、北村想の仕事をやっていればいいのだと、孤独に認識している。鬱病との死闘(まさに死を賭しての、だ。それだけは、罹患したものにしかわかるまい)を切り抜けてはきたが、いつ疲れ果てて、3万余人の中に数えられるか、ワカッタもんじゃナイ。しかし、それもこれも、たいしたことではナイのだ。そう思って頂ければ、それに越したことはナイ。この38億年のいま、偶然の確率で生まれ合わせた同胞たちに、心から、感謝の挨拶。

2010年1月16日 (土)

ピカレスト・続々々々

ハンフリー・ボガードとローレン・バコールの初共演『脱出』(ハワード・ホークス監督、原作アーネスト・ヘミングウェイ)は、アクション映画ファンには物足りないかも知れないが、ボガードとバコールの存在感は、この映画の右に出るものはナイ。とくに傑出しているのはそのラストシーンだ。ネタバレとかいうのになるといけないので、書かないが、かの終幕は、いつか舞台でもやってみたいと思わせる。大概だけいえば、決死の場に、つまり生きてはもどれないだろうというところに、ピクニックにでも出かけるようにして、この映画は終わる。そのあまりの投げ出し方に茫然自失。いまの映画ならば、ここからくどく始まるのだが、それはやんない。まさにホークス監督の真骨頂だ。だから、この欄での主題めいたものと結びつけるならば、シーシュポスの下山も、そんなふうだったんだろうなと想像してしまうのだ。齢を重ねて、唯一の特権というものがあるとするならば、「反復」というものにこだわらなくてよくなったことだ。シーシュポスの刑罰もある意味では「反復」にみえて、「反復」を搾取されるところが、その刑罰たるゆえんなのだが、私にとっては、未来など、もう間近にみえているもので、これからのことなどとくにどうなってもかまやしない。これは投げやりにみえるかも知れないが、獲得した自由だとも抗弁出来るものだ。どこからもとやかくだけはいわれぬようにだけはしてきたつもりだから、アトは面々のお計らいとでもしておけば足りる。シーシュポスやボガードのようにはいかないが、躓き、引っくり返り、もん取り打って転がりつつも、ともかくは、「これでよしとするか」というふうに思いつつ下山している。

2010年1月15日 (金)

ピカレスト・続々々

「耐える」ということは、道徳的にはある感動や共鳴、共感をもって受け入れられているが、かならずしも美徳ではナイ。「耐える」というのは、いってみれば憎悪を隠蔽した心的状態でしかない。「耐え抜く」というのはしたがって「憎悪の増幅」ということになる。というのが、私の通俗的美徳に対する異論だ。花田秀次郎と風間重吉が、敵役の悪行に、耐えに耐え抜くというのも、観客の私たちとともに憎悪を増幅させているのにすぎないのだが、彼らが耐えるのをやめて、その憎悪をバクハツさせるとき、一曲の主題歌に合わせて、雪の降る花道が二人のために用意されているのは、この憎悪を天誅に転換するための決意としての描写として、当然のことだ。スコラ哲学の「弁神論」は論理的に矛盾している。この世界を神が統治しているのなら、いったい大災害はナンの理由で起こるのか、という私たちの疑問について、弁神論では、神の御業は大きなもので、人間の未完成、未熟な理性では計り知れないものであるのだから、大災害においても、何か神の御業が働いているはずで、その善悪を人間の理性において判断はできない(してはならない)ということを「人間の理性」で考案しているのだから、自己矛盾に陥っているだけだ。シーシュポスは、自分に課せられた刑罰に対して耐えたりはしない。ただ、それを甘受、受諾して、黙々粛々と、岩を山頂に持ち上げるだけだ。下山の足どりは、そのご褒美でもなんでもナイ。当然である、だけだ。カミュのいう「不条理」が、「人間の存在が本質存在であるか、実存(事実存在)であるか」という問いかけを超えてしまっているのは、「いずれにせよ」というひとことでいいきれるものだ。『ペスト』における医師たちの働きがたとえ微弱で無力なものであったにせよ、医師たちは働かねばならない。大災害においても同じだ。それが神の御業であろうが、人間の存在がなんであろうが、いずれにせよ、ひとびとは黙々、粛々と、救援救助の活動をするのだ。そんな現場で「神が」というコトバを聞こうものなら、ただ、「引っ込んでいろ」と一喝するだけでイイはずだ。

2010年1月14日 (木)

ピカレスト・続々

「俳優は滅びやすいもののなかに君臨している」「あらゆる栄光のうちで、もっともひとを欺かぬものは、栄光それ自体を生きている栄光である」(『シーシュポスの神話』「劇」)と、カミュはそれこそ手放しで、演劇に賛美と羨望のコトバを繰り出す。なぜ、カミュがこと演劇に対して(自らも劇団を組織して戯曲も書いているのだが、私はここで、カミュの戯曲についてを云々いおうとしているのではナイ)、一章を設けて論じるほどご執心だったのかは、憶測するしかナイが、おそらくは、その俳優の生き方が、舞台の上だけのものであるという宿命に、感動を余儀なくされていたのではないだろうか。たしかに、俳優は、カミュのいうように三時間の舞台を終えれば、何処かの食堂で食事をしている存在だし(いやいや、居酒屋で、口説いた女にふられて、やけ酒で酩酊しているかも知れない)、最近では、マスコミの要請で、舞台を降りたアトの顔さへ創らねばならず、下半身に人格はナイなどともいっていられないのだが、まあ、それは趣味それぞれとして、カミュのように臆面もなくいわせてもらえば「演劇は青春であり、それゆえに、齢を経た演劇はnostalgieであるべきだ」。と私は最近になって思うようになってきたし、ついでにいうと「革命とはノスタルジアの表現である」(レイモン・アロー)という、若い日、ペンで線を引いた「故事名文句辞典」を先程も確かめたばかりだ。たしかに、フーコーのとらえたように、マルクスの哲学はヒューマニズムなのかも知れない。(というふうに、私は理解しているのだけれど、誤謬かどうかは気にしないですすめる)とはいえ、サルトルが、自らの実存主義こそは、マルキシズムの人間部分を補うところであると明言して、マルキスト宣言をしたのに対し、カミュは、不条理というのは自然に対しての人間の理性との関係の本質だと、どこかで疎外概念と重なるようでまた、まったくチガウような、曖昧ではあるが実感があるという理念を置き土産に交通事故で世を去ったのは、ニーチェが晩年の10年を精神病院(脳梅毒のためとも、そうでないとも幾つか説はあるようだが)で過ごしたのと同じように、またその哲学的意思を継承したようにみえるフーコーがエイズで他界したような、どこか芝居じみて、からくりに仕組まれたこのキミョウな世界の晩年の末席の末席に坐らせた気分を紅潮させる。とはいえ、稽古場で夢想することといえば、ここにいる俳優女優たちもまた、アト100年とは存在せず、私たちもいずれ考古学の対象となるのかネ、という皮肉な「栄光」の瞬きだけなのだが。

2010年1月12日 (火)

ピカレスト・続

「何故、ひとを殺してはいけないのか」などという問いは、キリスト教世界では意味をなさない。というか、答えはあらかじめ用意されている。「神の意に背くから」だ。誰も、ひとが死ぬことについて、ほんとうは倫理的にも社会的にも、生命体としても、どうでもいいことだと思っている。なぜなら、大事なのは、自分の死だけだからだ。たいていのひとびとは、他人の死など、どうでもいいことではないか、とさほど意に介していないハズだ。とはいえ、私の戯曲創作の弟子のひとりは、神戸淡路島震災で、知人友人の多くを失い、のち、棄教した。ほかには、元劇団員の男性は、第一子が未熟児で死んだとき、私に涙ながらに「もう俺は神さまなんか絶対に信じない」と訴えた。そうやってみると、ひとの死というものは神の采配とつながっているように判じられる。私がキリスト教に対して持っている畏敬は、ともかくも神が死んでみせたということだ。ニーチェもそのことについては言及している。「神は死んだ」と。ニーチェに対しては「ニーチェは暗い」とだけ述べたのが、チェスタートンだが、チェスタートンもまたキリスト教を(彼自身はカソリックであった)「神が神を疑った唯一の宗教」というふうに『正統とは何か』に記している。・・・前稿のカミュは、自殺について「熟考のすえ自殺をするということは(そういう仮説をたてることができないわけではないが)まずほとんどない」(『シーシュポスの神話』)と述べる。無頼派の安吾もまた私の読んだ限り、二度ほど自殺に傾斜している。一度めは、ジュネの『泥棒日記』を読むことで克服し、二度目は大量の睡眠薬を服用するが、効果がなく、彼のエッセーによると、ずいぶんの量の小便をして、スッキリしてしまったとある。・・・私はあるとき、ふと黙想した。「善人や悪人などというものがこの世に存在するものだろうか」「人格者などというものがこの世にいるものだろうか」「それがひとの生や死といかほどの関連性を持つのだろうか」おそらく、暴力団と称される「組」の中にも、それなりの人格者がいなくては組はまとまらない。なによりも下の者に敬意を払われる存在でなくては、上は務まらぬ。あるとき私は新幹線の車内で、オモシロイ経験をした。その車両には、私以外には、組関係らしい服装の人々が10名くらいしか乗っておらず(それがワカッタのは、打ち合わせらしきものの内容で、次の会合に招聘する団体の名前を幾つか口にしたからだが)、さて昼飯の時間となって、配下らしき者は、それぞれ駅弁を食したが、中枢の人物は配下のものが握ったらしい大きな麦飯のおむすびを食べはじめた。「長年のムショ暮しで、すっかりこういうものしか食えなくなってな」と話すのを私は聞いた。そのアト、幹部らしい者が私の席に来て、丁寧に「もし、よろしければ、離れた席に座っている者と、席を交替してはいただけませんか」というのだ。なんとまあ、律儀に、その者は、ポツンと指定席のとおりの席に座っていたのだ。またあるとき、私は、最終近くの新幹線の指定席に座っていたことがあって、私の他にはその車両には乗客は無かったので適当に座っていたのだが、途中駅から乗り込んできた乗客が、たまたま、私の席を買っており、私を糾弾して、車掌まで呼びつけて、これだから国鉄はダメになったと車掌に怒鳴り散らす、という情況に巻き込まれたことがある。この乗客も、帰宅すれば嫁の尻の下に敷かれる哀れな夫であるのかも知れないのだ。善人だの、悪人だの、人格者だの、おそらくそういう「仕分け」をしなくなったのは、それくらいの年齢からだ。

2010年1月11日 (月)

ピカレスト

これから記すことは、すでにスコラ哲学などでは慎重に考察ずみのことかも知れない。あいにく私はその方面には詳しくナイので、多くは知らない。スコラ哲学は教養程度でいうなら、「神」の哲学だが、その存在の有無を問うものではナイ。スコラ哲学では「神」の存在は前提となっているからだ。だから、「神」とはどういうものかを哲学する学問だ。私が知っているのは、神学にアリストテレス哲学が融合したものだということくらいだ。・・・あるとき、私はぼんやりと思考したことがある。「もし神が存在するのなら、悪魔も当然、存在しなければならないはずだ」これが第一命題。「もし神が全能であるのなら、神は無神論者で在るという存在にもならねばならない」これが第二命題。「もし神が善で悪魔が悪ならば、人間の営為(の責任)は善は神に、悪は悪魔にゆだねられることになるので、人間には本質的に責任というものは存在しない」これが第三命題。・・・私はまたあるとき、漠然と考えたことがある。「この人生というものが、創造主のギフトであるのなら、死というものに向っての道程は、いいかえれば〔刑罰〕のようなものだ」「生まれて死ぬまでの時間の中になんらかの生きる目的を見出せないならば、人生を支配しているものは虚無である」・・・まだ実存主義の残存があった頃(高校生あたりだったか)、私はサルトルよりも、アルベール・カミュの『シーシュポスの神話』にだけは影響された。〔真に重大な哲学上の問題はひとつしかない。自殺ということだ。人生が生きるに値するか否かを判断する、これが哲学の根本問題に答えることなのだ〕から始まり、ガリレオの例を持ち出して、彼が火刑より自身の信念を棄てたのは賢明であり、地球と太陽と、どちらが中心かなどは、取るに足らぬことであると論じ、おのれを殺すとは「苦労するまでもない」とと告白することだ、といいきる姿勢には、震えたものだ。この震えは、生活者となったいまでも、「〔生活に〕苦労するまでもない」といってしまえば通用する。原口統三の『二十歳のエチュード』は自作『ヴァイアス』によっていちおう越えることは出来たが(これも積年の課題だった)、カミュの投げかけた課題は、近年いよいよ増していく。・・・私たちの〔生〕において、それがシーシュポスの刑罰のごときものであるとしたら、カミュの描いたシーシュポスと同様に、下山するとき、転がって麓に落ちて行った岩をみながら「いいんじゃないの」とひとこといいたいのも、同じだ。刑罰は岩を麓から山頂に持ち上げることで、下山するあいだは、解放の境地にある。なかにし礼『時には娼婦のように』では、~ばかばかしい人生よりばかばかしいひとときがうれしい~と歌われる。たしかに人生はばかばかしいものだ。とはいえ、前世紀の中国(たとえば殷王朝)の奴隷のように、妲己によって考え出された悶死必絶の刑罰で虫けら以下に殺されることもナイ。あれも人生なら、これも人生。どのみち贈与であるのなら、虚無に供物をささげるごとく働きもするし、虚無に抱かれて眠りもすればイイ。善悪は神と悪魔にまかせておいて、こっちは無責任を決め込むだけだ。シーシュポスもまた、下山するとき、その責任の無さに、足どりは軽かったにチガイナイ。