港町memory 24
/『無法松の一生』)は、岩下俊作の小説。福岡県小倉(現在の北九州市)を舞台に、荒くれ者の人力車夫・富島松五郎(通称無法松)と、よき友人となった矢先に急病死した陸軍大尉・吉岡の遺族(未亡人・良子と幼い息子・敏雄)との交流を描く。
1943年(昭和18年)に大映が『無法松の一生』の題名で映画化して以降、映画・テレビ・舞台で度々取り上げられ、後に作者本人が『無法松の一生』と改題した。/(ウィキペディアより抜粋。当方月々2500円のkampanijaでござんす)
私はこれをまず、貸本屋の貸本マンガで読んだのが最初です。(生涯でもっとも読書量の多い)小学生の頃でした。なんだか好みの作品で、何処が好きなんだか、よくワカラナイんですけど、何度も借りて読んでます。
で、次はテレビ・ドラマで配役が、富島松五郎:南原宏治、吉岡良子:南田洋子でした。
伊丹万作老師の脚本で、ベネチア映画祭大賞受賞作は、三船敏郎、高峰秀子さんのコンビでした。他にも多数の方々が映画や舞台で演じられておりますが、映画のほうは、三船敏郎、高峰秀子さんのコンビのorthodox standardだけは観ています。で、ドラマ自体はベタなドラマなんですけど、なんで私、このハナシが好きなんだろうとずっと不思議でした。ワカラナイけど、泣くんですナ。泣くんだけどワカラナイんです。
で、ご贔屓のFM番組『歌謡スクランブル』で中村美津子さんのデビュー30周年記念のアルバム、歌唱時間21分余の長編歌謡浪曲『無法松の恋 ~松五郎と吉岡夫人~』をいつものようにふっと聴いていたんですが、(この番組、不思議なことにふっと聴いた歌でインスパイアされることが多い)なるほど、無法松の恋で、~松五郎と吉岡夫人~というタイトルからして(えらく説明的でダサいタイトルだなあとはおもうんですけど、そのとおりの内容です)「ぼんぼんが~」とかなんとかよりも、そのふたりの「恋」に傾斜していってまして、松五郎が雪の中(雪の中は将棋の阪田三吉だったかな)で最後は死んでるワケですが、その亡骸に縋り付いて、良子夫人、自身の心情の本音を吐露する部分が入っています。(原作を読んだことがナイ、というより興味がナイので原作の表現は知りません。たぶんアルんでしょうけど)ここで、松五郎が自分(未亡人・良子)に恋をしていたことは充分に知っていたと告白するワケです。これはもうキリスト教的にいえば告解ですナ。しかし、時代が時代(いまと、そんなに変わらんのですが)だったんでしょう。人力車夫と軍人の未亡人の恋というのは、法規上は未亡人ですから問題はナイとしても、世間からすればこれはもう銃殺刑並みです。しかし、純愛なんです。矢島正雄老師の『人間交差点』に移行してもどうにもならないでしょうねえ。ともかく、この部分はこのドラマの中でのイチバンのdramatic、highlight、climaxでござんす。
ですから、幼少ではありましたが、そういうことはうすうすだか、ズキズキだか、感じながらマンガを読み、テレビ・ドラマを観て、映画も観たんでしょう。別に、無法松の松五郎の献身なんてどうでも良かったんです、私にしてみれば。この吉岡の奥さん、未亡人・良子の葛藤、表にはけして出さない葛藤を/愛と孤独/として、哀しみとして感じていたのだとおもいます。
私にとって/愛と孤独/というものは、そういうものなんだなあと、最近、少しずつワカッテきております。アスペルガーとしてはなかなかの奮闘でござんす。
〔愛と孤独〕は、人生の/疾病/です。疫病といってもイイ。
罹患すると、特効薬どころか対症療法もありません。致死率も高い。
とはいえ、治ってしまえば、後遺症はまったくありません。稀に、アルコールやドラッグに逃げるひともいますけど。銭に逃げるひともいます。異性交遊に逃げるひともいます。それらは後遺症ではなく、それはそれで、一つの疾病です。
では、ハートランドの時間になりました。
本日も私、仕事がナイんで、ビール飲んでは昼寝です(家飲みしかしないんですけど)。で、ときどき書いてます。
寝てる時間と書いてる時間だけは痛みと鬱から、逃げられますので。