無料ブログはココログ
フォト

カテゴリー「経済・政治・国際」の記事

2024年3月 5日 (火)

nostalgic narrative 12

ある視点
/マクロン氏はフランス内の極右ルペン氏などに対するひとつの毅然とした対峙姿勢としてロシアへの派兵(ウクライナに対する同盟)をやる気でいる。彼は本気だ。おそらくドイツなどもナチの亡霊に対する払拭を含めこれも毅然とした態度を持ってロシアに対峙することになるだろう。つい先日の盗聴問題においても、その決意は強い。アメリカがトランプになろうがバイデンであろうが納豆(NATO)はアメリカから自立したカタチで逆にアメリカと肩を並べる。その姿勢はかつての古きヨーロッパのいわば騎士道精神だ。イギリスはEUから一部離脱した反省を持って歩調を合わせるだろう。ロシアに近いバルト三国やフィンランド、ノルウェー、スウェーデン これらはロシアなどの独裁専制帝国主義国家からの受難に立ち向かうべき時宜を現在だと捉えるはずである。核保有国はロシアだけではない。つまり抑止力はNATOとロシアの戦争の狭間に存在、成立する。よって、通常兵器戦争になる確率のほうが高い。三次大戦は必ず起こる。どれだけガザで殺戮が行われようとも、好きなんだよ人類は戦争が。好きこそ戦がつづくなり、だ。/
/竹中平蔵は悪人である。悪知恵が働くという意味合いでだ。プーチンは悪人ではない。彼は狂人、狂った人である。悪人と狂人は違う。従って竹中平蔵の裏金に対するいい分にも一理ある。さて もしトランプ氏が大統領になり納豆(NATO)から離脱するということになれば、おそらくそういうことはナイと思われるのだが、理由は簡単でこれはトランプ氏にとって非常に損だからだ。誰もアメリカやトランプ大統領を信用しなくなるのではなく、アメリカの民主主義を信頼、信用しなくなる。波及はアジア、アフリカに及ぶ。いつまでもグローバルサウスなどと浮いている場合ではナイ。現状ではアメリカは独裁資本主義ではなく、孤立資本主義を招くだろう。ほぼトランプ大統領もそこまで阿呆ではナイ。日本を地位協定による手駒として、如何に上手く使うか。日本は獅子身中の虫、自家薬籠中を見出すしかナイ。岸田--自民党の虞れているのは、野党ではナイ。アメリカ合衆国だということに私たちは惚けていてはいけない。ヌケサク・トランプはロシアとの駆け引きだけは用心したほうがイイ。プーチン・ツルッパゲは元諜報工作員なんだから、さあ、不動産屋と元スパイの騙しあいだ。/
悲しいかな、日本はアメリカの属国であるゆえ、地位協定がある限り、アメリカ合衆国の一つの州としてしか機能出来ない。とはいえ、いまさら独立改憲などと阿呆なことをがなり立ててもなんの意味もナイ。出来ないことは出来ないのだ。戦争に負けるというのはそういうことだ。だから、ウクライナには復興の援助をする。せいぜいそれだけ、だけれど、精一杯とはそういうものだ。核保有などと、〈ど阿呆〉なことを喚くナ。核など無効化しようとすれば、出来ないことはナイ。なんらかのmilitary balanceにおける理由があるはずなのだけれど、そのへんは軍事に素人の私にはワカラナイ。
東南海プレート地震の眉唾確率で大衆を脅しているヒマがあるなら、もっと確率の高い首都直下の活断層地震への備えをしたほうがイイ。裏金で騒ぐのはもうそろそろ国税マルサを入れてオワリにしたほうがイイ。
EVはそれほど普及しないのではないか、というトヨタの読みはさすかだとおもう。だからそっちはみなマツダに回している。ダイハツと相似する失態に対する緊急手配も目を見張る。常に事業体の異常事態への対処準備が出来ているのだと思われる。
失敗、失態からしか学べない。しかし、学ばなければなんの価値もナイ。
私は後期高齢者まで生きるつもりはナイのだが、終わりのない敗北の傍には常に立っていよう。そのほうがカッコイイだろ。

2024年2月27日 (火)

nostalgic narrative 11

/国の調査は、全国の中学1000校の2年生(約10万人)と全日制高校350校の2年生(約6・8万人)にネットで回答を求めた。中2は約17人に1人、高2は約24人に1人が「世話をする家族がいる」と答えた。21年度に調査した公立の小学6年生は6・5%(約15人に1人)だった。きょうだいや両親らをケアする児童や生徒が1学級に1~2人いるとみられる。一方、ソニー生命保険がダブルケアを経験した1000人にアンケートした23年調査では、4割超が「子どもの頃から家族の世話をすることが多かった」と回答。ヤングケアラーが大人になって自身の家族を持つ中で、ダブルケアに移行している可能性が高いとみられる。/
/ロシアのウクライナ侵攻から2年という節目で新規加盟国を迎え、NATOは結束をアピールする機会を得た。ただ世界最大の軍事同盟であるNATO内にはガバナンス(統治)のほころびの兆しもみえる。最大の懸念はトランプ前米大統領が11月の大統領選で再選することだ。前大統領はNATO加盟国への防衛義務を順守しない可能性に言及した。前大統領はかねて、国防費を国内総生産(GDP)比で2%以上に増やすNATO目標を達成していない国への不満を表明してきた。ストルテンベルグ氏は14日、24年に現加盟31カ国のうち18カ国が国防費目標を達成する見込みだと発表した。仮にトランプ氏が再選すれば、欧州の加盟国は米国の説得という新たな課題に直面する。/
電子板から二つ抜き出してきた。なんの関係もナイようにみえるが、この地理的、政治的に離れたところには、現状世界の若者の立ち位置の苦境がある。ウクライナでは60歳以下の男子は越境を禁じられている。兵力だからだ。これが25歳からだったのが20歳からに変更されようとしている。つまり兵力が不足しているからだ。不足しているのは兵力だけではナイ。実弾も足らない。さらに肝腎のガバメントや軍では汚職問題が鬱積している。そうしてそれに連なる兵役遺棄も増加している。ただ、降伏は依然として拒否している。
本年(2024)の米大統領選挙において「もしトラ」といコトバがメディアに流布さているが、私は「ほぼトラ」だとかんがえている。理由は至極単純で、トランプ氏は大統領の資格を得るまで、暴動だろうが、反逆だろうが、大統領選を即時継続したままヤメナイだろうからだ。従って極端にいうと、合衆国は内戦状態となる。この戦闘は米国憲法が保証しているのだから、単なる混乱、混迷、混沌、ではすまなくなるのは目にみえている。これが民主主義というもののもつ、矛盾なのだ。
これらを総合してみれば、「ほぼトラ」でアメリカはNATOを抜ける。アメリカという中核に抜けられたNATOは、ある意味、アメリカを含む第三次大戦は避けられたと楽天的にかんがえることが出来る(つまり最終戦争はなんとか避けられる)。よって対峙する図式は欧州×ロシア連盟(+北朝鮮・イラン)とに変わる。(中国は括弧に入れておかないと、ワカラナイ)。まず、ウクライナはNATOという軍事同盟に加入させるのではなく、EUという経済同盟に加入することになる。停戦の可能性があるにせよ、アメリカの事変に乗じた三次大戦にはなる確率が高いとかんがえるのが常識だ。(核もまた括弧に入れないとしょうがない。通常兵器による戦争で充分だ)NATO加盟国は、揃ってか個別に、経済的損失を防ぐために闘わねば仕方がない。ともかく米ロの核戦争にだけはしたくはナイ。ウクライナのように資源と穀物の豊富な領地を手にすることは、それが、分割されたものであっても死守しなければならない。
世界は、トランプ独裁一国資本主義と反トランプ派合衆国連盟が闘う米内戦と、欧州の東西が闘う戦争という二つの戦争をいちどきに経験することになるだろう。
さて、そこで、日本なのだ。裏金ガバメントのこの国家だ。次回、何か考えがまとまったら、そのことについて書いてみたい。


2024年1月 3日 (水)

時世録・51

「限りなく続く敗北」が、まさか元日からいきなり始まるとは。
震(ゆ)れた、と、そのとき、あっそうか、出揃ったとはいったが、たしかに出揃ってはいるのだが、ひとつ忘れていたことがあった。
それが「日常化」し過ぎて、「忘れたころにヤッてくる」ではなくなっているということについて、如何にも鈍感になっていたことだ。
そうか、限りなく続いているゆえにからか「また始まった」という感度でしか捉えられなくなっているのだな。こいつぁ、クマさん、うっかりしていたねえ。落語じゃあるまいが、市中、町中、道路や家の庭に熊が出る。ということがめずらしくなくなったということだよ八つぁん。
で、この先どうなるか。観る眼、嗅ぐ鼻、天を読む。かつて私の若いころは、スターリニズムと称して(称されていた)ものが、いまはポピュリズムと呼ばれている。何でなのかは知らない。私のブログだってタイトルは『ネオ ポピュリズム』なのだが、これは揶揄だ。
変えようかな。たとえば『シン・アンチクリスト』ってのはどうだ。キリスト教と旧統一教会なんざ紙一重なんだが、ん、理由、だってどっちも脅し(カツアゲ)の狙い撃ちじゃないの。キリスト教は知らないが(未だにカトリックとクリスチャンの違いもハッキリと知らない)、イエス・キリストと名乗って磔刑で死んだ彼のことは釈迦シッダルータと同様にsympathizerなのだ。に、しても、ユダは苦労人だったなあ。さらに一休禅師なんかは実に上手く死んでいったなあ。この二人もsympathizerとしてなかまに入れておこう。
そうね、この先ね。興味本位でいうならば、たとえばロ×ウ戦争はこの前書いたからいいとして、よくはナイんだけど、もう時間の問題でウクライナは面従腹背でいいものを、いつまでも領土に拘って、停戦条件良くしようとしている間に、ロシアのなんぼでもいる兵隊さんが屍の山を乗り越えて攻め込んで来るだろうな。イスラエル×パレスチナはどうだ。あそこんところが全部イスラエルになって、パレスチナは追い出されて、やっぱりゲリラ戦かな。なんだ、むかしと立場が逆転しただけだ。そんなに国家や領土ってタイセツ、或いは必要かね。領土なき国家、国家なき国民というのも、AI時代じゃ可能だよ。北朝鮮、ね。一発撃てばどうかな。ICBM。アラスカあたりに落とせばどうだ。マンセー。中華大国は台湾がどうのなんていっているあいだに群雄割拠の三国志時代みたいになるよ。何しろ権力、権威がお好きなのが多すぎるから。マオトンチャンが2000万人政敵眷属処刑殺戮したって、国民はご立派。ついこないだまで、ホテル正月だったけど、朝飯にドリンクコーナーで、こっちはカップにコーヒー注いでいるのに、中華国民インバイダーの方々はその日消費のcoffeeをポットに注いでらっしゃるんだから。
いやあ、「限りなく続く敗北」がみみっちいハナシになりました。
じゃあ、まあとりあえず、明日っからは、「限りなく続く仕事」だな。
南無、自燈明。

2023年12月24日 (日)

時世録・49

なんだか、「出揃ったナア」という賑わいが地球を覆っている。ここにきて、脳梅毒の妄想で垣間見たニーチェの〈虚無〉は、心底見事に花開いた如くの様相だ。これだけ出揃ってしまうと、勝つも負けるもなんにもナイ。私たちはどうかんがえても悪性の精神異常をきたしている総理大臣閣下の手にある一冊の手帖に描かれたパラパラマンガのポン知恵(これでイイんてすよポンチ絵ではなくて)に「おい、大丈夫かい」などといっている暇も間もなく、特攻隊となった人生に終止符を打たねばならない。
と、これは悲観でも悲嘆でもナイ。『魔の山』のラストシーンを飾るハンス・カストルプの大滑降を『ペスト』の医師リウーの眼差しでやりぬくchanceだとおもえばイイ。怖いもの、恐ろしいものはもう出揃ったのだから。やっと「そうか、ここが地獄だったのか」という実感を覚悟して受け止めるべく、「そんならそれで、やらざるべきものなどナイ」とハムレットのdilemmaも解消するというところだ。終末のヨハネ黙示録の喇叭に間に合ったのだ。「おおっ、蕎麦屋かっ」と俵星玄蕃の如く、槍を翳して仁王立ちですよ。
病んでも生きた甲斐はあったなあ。
さて、蕪を煮てこよう。今夜は農園の蕪とほうれん草の煮物と、なんだか知らんけど、輸入ものの、鳥の足の燻製だ。メリークリスマス。

2023年8月24日 (木)

時世録・34

どうも原稿に忙しくてこういうネタ拾いしかやれないのだが。
都合により読むだけは読んでいるSNSの 一種Quoraに私とはまったく関係ナイが、面白い質問と答えがあったので、無断だが引っ張ってきてしまう(どうもスンマセン)。こういう傾向がこのSNSには多いので読みごたえはある。

ご質問「積立NISAで20年積立をして、20年後に暴落したらどう対処すべきですか」
お答え「株をやってる人はおそらく知っていますが、11年周期くらいでバブルを演出して弾けさせて、またバブルにしてというのを世界の金融機構が共謀してやってきたパターンが有りました。(これを見れない人は、経済を考えないほうが良いです。馬鹿にしてるのではなく、むいてないのです。)
そして今のバブルは規模が大きくなりすぎて、大きな破綻が起こりかけていた(ドイツ銀行デフォルトや農林中金破綻で検索すると、コロナ直前の経済の動きがよくわかります。これもやはり、記憶にない、重要な意味が感じれない人は、経済も投資も考えないほうが良いです。なぜかというと、これらの問題は、日本人やドイツ人がよく働いても他の先進国より楽にならない理由がよく分かる現象だからです)ところへ コロナ降臨❤!です。
これを説明すると本になってしまいますから、暴力的に簡単に言います。
バブルを演出(実質経済の6倍近い証券等=どうやって作ったかはリーマンの時は個人の債権を統合再度分割した証券を高い評価にして、売りつけることで一気にバブルにできました。現代のバブルは個人ではなく企業間の信用を統合した高度に難解な金融商品のオンパレードです。=ドイツ銀行破綻か?と言われた時期に頭取がどれくらいの量のハイイールド債(投資不適格な高利回りの危険な商品)をもっているのか把握できない、とあからさまに証言していました。
この例からわかるように 今のバブルは リーマンショック前のバブルを軽く超えています。5倍と見る人もいれば20倍と計量する人もいます。ぼくは10倍くらいかなと思いますが。
リーマンショックのときは 映画にもなっていますが逆張りで儲けた人がいますが、天才でもラッキーでもありません。経済を動かしている力が先を読むのは当たり前です。(トランプが明日なにを言うかを知っている人が儲けて、CNNの偏向報道に反応する人が損をするのは当たり前だという例がわかりやすいかもです)
<<<<長くなりましたが、お答えします。
大きな変動は 偶然おきるのではありません、今の株が維持できたのは明らかにコロナ騒動(マスコミも各国政府も一定の誘導があって盛り上げて、結果的に、中小企業を潰して金をばらまき、株価を支える効果がありました。それが一義的なコロナ騒動の役目ではありませんが(他にもいろんなファクターがあります)、株に関してはこのように働いていました。
20年またなくても バカみたいに派手な事件を起こして株は動きますよ。そのたびに一般投資家は損をして、超大手=政治や戦争をコントロールできるし、コロナ騒動も起こせる人たちが儲かるのです。
11年周期の神話はコロナというそれ以上の神の降臨で壊れました。
しかし、彼らも一応人間ですからそう長い周期を待てないです。最低でも10年以内に大きな動きがあります。身近な例では FRBが利上げに踏み切れば数十パーセントの乱高下をする可能性もあります。触らぬ神に祟りなし、今投資を語るのはコロナを語る以上に、、、です。

私なんか、そういう金融はぜんぜん駄目なひとなので、半分くらいしかワカラナイが、なんだか/世界がチガウな/と、背筋が寒くなった。

2023年6月15日 (木)

時世録・19

江戸時代の暮らしなど、時代劇でしか知らないから、日向子さんが生きてらっしゃったときに対談して、へーえ、そうだったのかという、驚きは多かったのだが、それとは、別に最近とあるSNSで仕入れた知識が「へーえ」だったので、紹介しておく。
/江戸時代に関する誤解の代表的なもの
「士農工商という身分社会だった」というのが、代表的。これは武士が学ぶ儒教の世界のお話で、実際にこのような身分は存在しなかった。あったのは、公家は公家の世界、武士は武士の世界、庶民は庶民、宗教は宗教とそれぞれ基本的には自治で成り立っていた。自治の中ではそれぞれ明確な身分があった。(これは、時代劇を観ていてもよくワカル。旗本と部屋住では大違い)
「農民は苦しい生活だった」というのも誤解。農家が苦しいのは飢饉の年。現在でも農村に行くととても大きなお屋敷が並んでいるのを見かけるように、農村経営(自治社会です)は武家に搾取されるだけの存在ではナイ。特にその村の名主が、元戦国武将だった地域では、領主との立場もかなり拮抗していた。
米以外の様々な産物が売買されるようになっても、商業取引は基本的に非課税ですから、農家もとても儲かった。献金をしたり、組合組織を作って、収益の透明性をはかって納税額を決めるなど、領主へ貢献した。
また、水呑百姓という耕作する権利のある田畑を持たない農民も、広い耕地を持つ大きな農家から請負で農業をする。耕作人には耕した田の1/2の権利があるが、その田の年貢は雇い主の分から支払われる。4割が年貢だとすると、雇う側は1割しか手に入らない計算になる。しかし、実際には検地で指定される収穫予定高は、実際に採れる量の半分くらいだった。つまり、2割くらいの課税。
年貢を強引に取ると、農村から大名や幕府に直訴(越訴)され、統治能力ナシと判断されれば領地を失う。失わない場合は農民が逃げてしまい、田畑を耕す人を失う。
農村では個人に「先祖の土地」もナイ。土地の所有という概念が生まれるのは明治以降。農村では農村の土地は存在したが、それぞれの農家は「耕作権」を持って居ただけ。村の中でも良い土地と悪い土地があるので、公平になるように振分けられ、数年に一度くじ引きで入れ換えが行われた。ですから、先祖代々の「村」が正しいといえる。/

/切腹は腹は切らない。
新渡戸稲造が広めた誤解。切腹における介錯は短刀へ手を伸ばして体がやや前のめりになった瞬間に行われ当人は短刀を手にする前に絶命する。言って見れば斬首刑だが、斬首刑との違いは名誉の有る無し。斬首刑の場合、河原などの野外で衆目の下で見世物として執行され、首は晒し物になる。
切腹の場合は基本的に屋敷の中で君主の見聞の元で執行され、辞世の句を作るなどの手順を踏むことで名誉に配慮されている。切腹は腹を切らないというのは当時の武士の中では当たり前だったようで、短刀ではなく扇子を代わりに置いた例もある。

以上。まあ、私たちはエンタメとして時代劇を楽しんでいればイイのだから、受信料とやらを強奪されてまで、チンケな歴史劇を観る必要はねえわな。

2023年5月25日 (木)

時世録・15

/私の中でくすぶり続けたのは、「ヒロシマ」という舞台の価値が利用され、消費されただけではないか――という、猜疑心(さいぎしん)に似た感情だった。カナダから来日した被爆者のサーロー節子さん(91)が「サミットは失敗だった」と批判したと知って、その思いは強まった。家族や同級生、大切な人々を原爆で失った。「4歳になるおいは、ひどいやけどで肉の塊のようになり、最期まで小さな声で『お水、お水』と求めて死にました」。原爆被害の実相を伝え、核兵器をなくそうと訴える活動を支えてきたのは、同じ苦しみを誰にも味わわせまい、という使命感である。「核兵器を議論する際には、人間を中心に語るべきです」/(元村有希子 毎日新聞2023/5/24 東京朝刊2面 オピニオン)
と、あるのだが、いっぽう、
/21日に閉幕した主要7カ国首脳会議(G7サミット)で各国首脳に体験を証言した被爆者の小倉桂子さん(85)=広島市中区=が22日、広島市内で記者団の取材に応じた。21日に原爆資料館(中区)で対面したウクライナのゼレンスキー大統領の様子について、「必死で泣くのをこらえているように見えた」と語った。
 小倉さんによると、ゼレンスキー氏は、館内で展示物のほか、広島の街に原爆が投下される瞬間を映像と音で再現するパノラマ展示を見学。厳しい面持ちで見入っていたという。毎日新聞 2023/5/22 13:59(最終更新 5/22 20:11)/
とある。
私はこの前のつづきのようにG7の後追い感想など書く気はなかったのだが、この両者の〈感覚・感性〉を読み比べて、こんなことを述べると「ネトウヨ」とやらに間違えられるのを覚悟で(というのは大袈裟。ネトウヨとか称されているフテーのおからみたいな連中については不問)後者に☆付けます。理由なんぞ説明も解説もしない。このブログ読者には無用だとおもうので。
アルゼンチンの大統領アルベルト・アンヘル・フェルナンデス氏(だとおもうんだけど)の記事も目にしたが、要するに「同じ考えの者どうしで議論など出来るワケがイ」とか、自分の名前より短いコメントだったとおもう。しかし、アベンジャーズにせよ、ジャスティス・リーグにせよ、昨今の流行りのようですから『G7&グローバルザウルス』といきたいんでしょう西側としては。
私はヒロシマの原爆ドームを観て、「で、このレプリカはいいとしてホンモノは何処にあるんですか」と、まぬけなことをご当地のひとに質問したことがありました。資料館はナガサキで、修学旅行のときに観てます。ちょうど昼飯時間で、不味い中華飯を食いつつ、誰かが「人命救助やっ」と大声で窓の外を指さしました。窓にかけつけ、外を観ると、河川のモーターボートの事故なんでしょう。スクリューに巻き込まれたらしく、緑藻の河に血の雲が水面に湧き上がってきていて、女生徒は殆どが気持ち悪くて中華飯はもう食べられないということで残しましたが、あれは不味くて食えなかったかっこうのいいわけだったんでしょう。
しかし、そいつを観たせいか、ここより先は未成年は立入禁止の展示場にもこっそり入って観たんですが、あの河川の澱む血が稚拙な被災人形をリアルにしてしまい、たしかに中華飯どころじゃねえなとはおもいましたワ。
そうそう、アルンゼンチン(だったとおもうんだけど)の大統領は「ウクライナは負けるから、負けるところに支援はしない」ともいうとったナ。これで、ロシア(+中国)陣営とウクライナ(+西側)陣営の算盤だけはよくワカッタG7でした。

2023年5月22日 (月)

時世録・14

G7が終わった。といってもヒロシマでの 仲良し会議が会議が終わったのであって、G7そのものがオワコンになったワケではナイ。では何らかの前進はあったか、いや、そんなものをハナから期待していたのはかなりの楽観派だけで、集合写真を観てのとおりの横並びだ。とはいえこれはこれで離ればなれのデカプリングよりはうんとマシといわねばならない。と、いうところだナ、野郎ども。主筆はあちこちからの、あるいはG7自体の自己評価を読んでいて、ふと、幼い、否、若い頃のゼンキョートーなんかおもいだしたりしたぜ、野郎ども。議長国日本の岸田親分の支持率ポイントは上がるだろう。上がったのだ。ゼレンスキー・ウクライナ・セールスマンのステルス誘致作戦なんかはお見事といわねばならない。またゼレンスキーそのものも、あちらこちらでの大統領業務は立派なもんだとおもう。岸田貸元も独楽鼠のようにけっこう働いた。グローバルサウスとやらの、なにやらジュラ白亜の恐竜みたいな連中は、たとえばインドのモディ首相のごとく「いまは戦争をしているときではナイ」と、これは自戒なんじゃないかともとれる発言で、自国の階層構造の矛盾を乗り切っていくのはタイヘンだなあと、心の内ではおもっているにチガイナイ。それは他の恐竜サウスも同じことだ。~好きと一言いえなくて~流す涙ぁの~、てな流行歌があったが、ここんところは~ロシアとひとこと云えなき子~だろうなあ。だからみなさん、ゼンキョートーみたいなことをおっしゃっている。切ないなあととおもう。
中国は「一部サークルが」と、G7を「小さなサークル」と蔑して見解を述べる。ほなったら、おまはんらはせめて「セクト」か。そうそう、それでええやないか。中ロもG7も恐竜サウスも「sect」でよろしい。みなさんゼンキョートーを彷彿とさせて、こちとらはnostalgieを感じたぜ、野郎ども。外野(ではナイんだけど)では場所の演出がヒロシマだけに、その方面の団体からは「失敗だった」といわれたが、その方面の方々のいいぶんの「核廃絶の具体策が示されていない」にはため息するしかナイのよ。そういのは、きみらがまず示したらどないやねん。私にはそんな便利な具体策なんぞ、とんとおもいつかへんねん。「こうしているあいだにも、ヒロシマの犠牲者たちは老齢化していなくなっていく」いやいや心配せんでよろしい。そういう/の/は、やがてそこら中に現れる。忘れちゃいけない、「チェルノブィリ」はウクライナに在るんだぜ。

アメリカがデフォルト(債務不履行)になったら世界が大混乱する。とかいう脅しがメディアで踊っているが、私ども庶民大衆には、どのような大根乱がスーパーマーケットのカット大根に出現するのか、なんにもワカランやない。そうじゃないのか野郎ども。
生成AIのチャットGPTとやらで書いた戯曲、脚本で演じる舞台など、ヤル側にとって、最もツマラナイのは、ヤル側がイチバン良くワカッテいる。それは廃れたとはいえ文芸だってそうだろう。
たしかに私、主筆は「あした来るひと」ではなく「きのう生きたひと」ではある。だが、現に「きょうも生き残っている」んだから、まだ書かせていただく。死に損ないには死に損ないの意地もあるんでい。

2023年2月 1日 (水)

アト千と一夜の晩飯 第四十七夜 little think・2

〇「悟り」というものには〈ルール〉があります。
① それ(悟り)は釈迦と「同じものでなければならない」
② それ(悟り)は釈迦と「同じものであってはならない」
これを「悟りのparadox」といいます。「悟り」は主に禅宗が重視した修行の目的です。(浄土系の宗派には「悟り」そのものがありません。従って菩薩という存在もありません。もちろん『般若心経』も読経しません)
では、このparadoxは文字通り〈矛盾〉なのでしょうか。
そうではナイのです。仏教用語でいう「不説」ではアリマセン。このparadoxからが悟りを拓く修行の始まりです。修行といえど、密教修験道のように危険で厳しいものだけをいうのではありません。火渡りなどのperformanceもまったく無縁です。山奥の日常からかけ離れた場所で悟ったところで、山から降りてくればたいていが役にたたないものばかりです。病傷が回復したり、超能力が身についたりするワケでもありません。
ここで、ひとつ、hintになるepisodeを挙げておきます。釈迦は阿南と説法をひろめる旅をしていました。あるとき、阿南がついつい口にしてしまいました。
「お師匠さま。私はこうして何年もご一緒に旅をつづけておりますが、悟ることなど何もありません。仲間たちはサンガ(宿坊・修行場)で毎日修練しているのでしょうが、私はいつまでお師匠さまと旅をつづけねばならないのでしょう」
釈迦は阿南に応えました。
「私が入滅の後、そこいら中の弟子たち高僧と称される者たちは、誰がイチバン私のコトバを理解しているか、誰が悟った者に近いかと、寄り集まって談合会議をするだろう。そのような集まりこそが危ない山間の夜の闇なのだ。阿南よ、私はおまえに私たちの行く手を照らす灯籠を預けた。灯籠は山間の夜の闇を照らすだろう。その灯のなかで観てごらん。魔物、妖怪がうようよしていることがワカルだろう。けれども、その灯で邪悪なものたちは私たちに近づくことすら出来ない」
釈迦の予想どおり、入滅後、何度も結集(けつじゅう)という会合が開かれました。阿南は位が低く羅漢でもなかったのですが、一回目の結集のとき、釈迦と最後までともにあったということで、結集に招かれました。さまざまな「如是我聞」が披瀝されるなか、阿南に発言の機会が与えられました。阿南は「私は師匠の歩く夜道を照らすため,灯籠(日本でいう提灯のこと)を持たされていただけです。師匠が最期に申されたコトバは、/阿南よ、自燈明 法燈明だよ/です。この結集の場に在るのは法燈明ばかりです。
その後、阿南が結集に召喚されることはありませんでした。

〇塩対応 というコトバがある。/そっけない、愛想のない、冷淡な接し方/を指す云い方のことで、 いわゆる「しょっぱい」対応という 意味。 「しょっぱい」は主に味の塩辛さを表現する語であるが、この他に、表情などに不快さが表 れている様子を指すことがある。「(相手を)舐めている」という表現が連想されている場合もある。
と、辞書にはあったが、さて、岸田首相は育児休業中のリスキリング(学び直し)を後押しするとした自身の国会答弁が批判されていることを巡り「本人が希望した場合にのみ取り組める環境整備をすることが大事だ、という趣旨だ」と、訂正した。これは、当人の岸田首相がリスキリングしたほうがイイ。こんな答弁は詭弁にしか過ぎない。長男が外遊で購入したお土産を公費だというくらいだから、なかなかの「育児」をヤってらしたのだとおもう。ほんとにリスキリングが必要だ。
「防衛費」ならびに、そのものに対する「増税」に反対している国民は/心情的には/さほど多くはナイ。このご時世だ。「ちょっと実験でもやんべえ」とかいって、日本近海にでも戦術核弾頭ミサイルを撃ち込む確率のある近隣国家があるのだから〈アタリマエ〉といえばそうなのだ。
しかし、アメリカから購入する反撃能力のトマホークは、何処を防衛するのかというと台湾有事における沖縄諸島だというくらいは、これもよほどのうすのろ莫迦でナイかぎり国民はすでに識っている。ところが、そんなこときは国会でも与野党含めひとこともコトバにったことはナイ。沖縄方面軍の旅団が師団に格上げされてもだ。
もう、国会自体が間違った意味で〈異次元〉になっちまっているナ。

2023年1月 9日 (月)

アト千と一夜の晩飯 第四十二夜 ゆんべ寝る前にベッドで

ふと、かんがえたことをスマホメールで、PCに送信したものをまとめると以下になる。
〇ブラックホールを漢字で書くと「虚無空洞」になります(と、かってにそうimageした。寝る前だからナ)。ではブラックホールというのは色即是空の色だろうか空だろうか。
〇私たちが色であり空であるということは量子が波でもあり粒でもあるということと同じような意味合いを持っているとして、ボーアのコペンハーゲン派解釈は否定されているので、私たちはとりあえずは波動であり、この状態ベクトル、波の重なりあったところが粒子として概念化されているのだが、要するに私たちは何であるのかそれがワカラナイまま命尽きるのは非常に悔しいことでありますナ。銀河系だけでなく宇宙のすべての象限において唯一の知的生命体であるヒトとは何なのか知りたいネ。私たちの生きざま、活動、行動、営為がどんな意味や価値を持っていたのかワカランことも悔しい。過去や未来は考える必要は無い。ただただ今現在生きるそのことの意味と価値が知りたい、あるいはかんがえるべきなんだけどねえ。
〇いい換えれば確率論的非線形微分方程式はいかにも数式のように見えますが現状世界の状況を数学的に言い表しているだけです。ここにおいてはマルクスの資本論もアインシュタインの相対性理論も決定論的線型微分方程式にしか過ぎません。宮沢賢治の『農民芸術概論綱要』にある「永久の未完成これ完成である」は、やっぱお見事だな。フーコーの地層的歴史観も何が積もっていくかワカラナイということであれば非線形でありましょう。何が起こるかワカラナイが、それが時に悲劇であり時に悦ばしきことであり、ワカラナイことが多いということが歴史原理なのかな。
〇とりあえずは殺し合うための準備などは避けたほうがよろしい。/生きていくためには殺さねばならない、食物連鎖だけでケッコー/防衛論は「ともかく敵を攻撃しない、人民に損害を与えない」という命題を解くところから始めるべく論議である。つまり「詰めれば勝ち」がイイんじゃないのかな。

おまけ: なんでこんなことをふとふとおもったのかというとですね、ラジオでね、若いミュージシャン・バンドが自分たちの歌の「僕にはきみが必要だ、しかし、きみには僕が必要だ」/(まとめるとそうなる)という歌詞に感動して泣いたというメールがきてますけど、そうだよね、ここの歌詞がスッゴクいいよね/と語り合ってらしたのにひどく焦燥感をおぼえたもんで、だとおもいます。相対的にいまの若いバンド、ミュージシャンには温故知新というものが欠落している気がしているもんでして。

より以前の記事一覧