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カテゴリー「日記・コラム・つぶやき」の記事

2026年4月 1日 (水)

番外・ブッディ・シフォスは山にいる

シンタ・ワリム・ナドクと申します。ケニアに生まれ、五才のときから北村想(想父と記すこと、します)の援助、十年、その後、五年、貿易と日本語の勉強。来日、二十歳の誕生日に日本に帰化しました。きょうは想父の代筆します。
想父は、現在は、読者のご心配のメールのとおり、心身良くなく、転居のための環境変化のためにうつ病が悪化、腰痛(仙腸関節炎)が神経痛を起こし、座りも寝るも痛い、です。注射と沈痛剤(タリージェ10㎎)でなんとか、おさんどん、とかををヤっています。つまり、想父は引越しのついでに結婚いたしました。ついでといっても、想父にしてみれば、七十三才の最後の縁だとおもわれます。ブログは、東京の演劇をスッパリやめた、食い扶持なくなり、この地方の演劇のひとのために、短いホン書いています。あまりゼニにならないようです。それでも、援助を四つ、やめず、ヤっていますです。東京の芝居、芸能界と付き合うのは二度とゴメンだ、と、いってました。でも、十年食えたのだから、やめた理由はいいません。でも、『ばけ、ばけ』観ていました。あれは大阪でした。『リプート』も観ていました。
読者の方から、ブログ休んでいる、心配メールきて、名古屋の貿易商社(小さい、とても)に勤めている私に電話あって、私が書きました。拙いです。お許しねがいます。

ひょっとして必要になるかと、転居の新住所、書いて記します。

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想父、ここは昭和だといいます。よくワカリマセンが、そうです。
シンタでした。失礼、しました。ありがとございます。

2025年10月23日 (木)

Sisyphus descending from the summit-32

高市新総理の組閣が決定したようです。きょう(10/23)の日経電子番の記事についてひとことコメントです。
/高市早苗政権が22日、本格的に始動した。新閣僚からは経済や防衛といった主要政策で石破茂政権から方針を修正する発言が相次いだ。石破政権が打ち出したコメ増産の方針は後退する可能性がある。鈴木憲和農相は22日の就任記者会見で「需要に応じた生産が何よりも原則」と述べた。前年の水準を上回り続けているコメ価格について「コミット(関与)しない。マーケットで決まるべきだ」と述べた。
鈴木氏は米価高騰への対応として「おこめ券」の配布などを検討すると述べた。対症療法にとどまり、生産や流通、輸出拡大といったコメ農政の抜本改革にはほど遠い。/
この鈴木農相の欠点(欠陥かな)は、経済学における驚くべき無知ですね。少なくとも私程度には無知です。くだいていえばこの無知は阿呆に近いです。地盤の農民の方々への配慮は議員としてはタイセツですので、popularity政治についての姿勢は達者のようです。けど阿呆議員を養っている余裕は現在の日本にはナイとかんがえます。まして大臣となると、おや、です。(このあたりは、さすが日経、見落としがアリマセン)この人選は、高市政治(ファン)の大衆の批判が向かうところですね。蟻の一穴にならなければいいのですが。さてと、未だに高い無洗米(私のところはカリフォルニア米ですから完全な無洗米ではアリマセンが、ジャポニカ種ですので栄養価も味も前述の阿呆大臣ほどの欠損はナイはずですし、これが安価)を買いに行こうっと。

2025年10月19日 (日)

Sisyphus descending from the summit-31

痛いですねえ。いま、坐骨神経痛が経年フレイルの疾病競争(実験台=私という固有値)に参加しております。
さて、日経さんの記事では、20~40代においての投資の金額は平均して300万円だそうです。政府なんかもNISAで/これからは預金より投資だ/と煽ってますからね。で、その使い道といいますか目的は/老後の蓄え/だそうです。しかし、みなさん(と、ボヤキ漫才のおっちゃんみたいに)、そういうことは、政府がやらなあかんのとちゃいますか。若いうちからなんで老後の心配せなあきませんねん。いっぺんしかナイ青春にもっと銭を使わないとねえ。だいたい、預金というのは何かというとタンス預金以外は、銀行預金ですから、銀行の仕事は、その預金を投資して儲けて利子を預金者に配分するのが健康的といいますか、正当なんじゃナイでしょうか。それをNISAの女衒業で儲ける銀行のあさましさ、汚さ、醜さ。NISAならNISAで若者を儲けさせて、どんどん消費活動出来るようにせなアカンのと違いますか。お前ら、青春は何処にヤったんやっ。老いて想う「あれは何だったのだろう」という幻は消えてしもたんかいな。

2025年10月17日 (金)

Sisyphus descending from the summit-30

通院、矢の如し。よって休載中。なのであります。とはいえ、なんとか短文でも。とおもいつつ、日にち薬のつもりで。シーシュポス(シジフォス)は病にだけはならんかったからなあ。

2025年8月22日 (金)

Sisyphus descending from the summit-29

/欧州を襲う熱波をもたらした高気圧によって偏西風が蛇行し、日本付近では平年に比べて北側に流れが移動しているという。「シルクロード・テレコネクション」と呼ばれる偏西風の蛇行パターンで、日本に猛暑をもたらしやすいことが知られている。気象庁によると、日本近海の7月の平均海面水温は平年(2020年までの30年平均)と比べて速報値で1.7度高かった。統計を始めた1982年以降の7月として最も高い値となった。日本列島が高気圧に覆われるといった気象条件は去年と変わっていないものの、「圧倒的に高い海面水温が気温を底上げしている」と説明する。/~これは何処でいつ拾ってメモしたのかは忘却しましたが、それはいつものことながら、私は『寿歌』という戯曲が書けた理由と、何を書いたのかを自身で内観、演繹、帰納とリサーチして答えらしきものを出すのに約40年余を費やしました。ジャック・ラカン小父さんについてフロイトの無意識を再度学び直して、やっとこひょっとこ理解が納得に及びました。それはさておき(簡単には教えませんのよ)、かの作品で述べたとおりのことが、いま地球規模で起こっていると、これも度々さまざまに書いてきたのですが、今年の夏で、もう確信確信、スケさんカクシンしました。二酸化炭素の壁が空の向こう(上ですね)に出来て、熱が地球地表、空間から放散出来ない、そこで反射して地球に戻ってくるので、地球の温度が上がる。などと、非科学的なことをようもいうてるワ。たとえばAIにこう訊いてみましょう。
〈酸素と二酸化炭素、どちらが重い〉⇒AIは便利です。すぐに答えてくれました。〔二酸化炭素の方が酸素より重いです。空気の約78%を占める窒素や約21%を占める酸素と比べると、二酸化炭素は密度が高く重い気体です〕~はい、であります。酸素より重い気体が酸素の空に浮かんでられるワケがあるかいな。海水温が上がる、海水の蒸散が活発になる。700年~2万年かけて(つまりいろんな説があるのです)海水はそのすべてが空に昇って降ってきて、また海水になるという入れ替えがある。そのサイクルが異常に速くなっている。なんでかというと、海水温が高くなっているから。なんでかというと、地球が熱くなっているから。これと巷でいわれている地球温暖化とは関係ナイです。これは地球という自然(量子活動なんですけど)の天然循環です。こうヤってすっかり熱が放出されると、地球はまた冷えてきます。スノーボール、氷河期ですネ。トランプさんも一つはまともなことをいうているのです。「二酸化炭素による地球温暖化などデマだ」。スコット・ベッセントアメリカ財務長官も、まともなことをいっています。「関税戦争で中国に後れをとったのは、基本構造のチガイなんや。ふつうは下部構造が上部構造を決定するのんやけど、中国は逆なんや。上が下を決定しとるでな」ほんま、どっちがマルクスの『資本論』を読んでいるのかワカランですね。
さらにもうイッチョ。
/35度を超す日は日常で、40度を超えても驚かない。温暖化に詳しい東京大学の江守正多教授は「『ニューノーマル』はさらに更新されることを理解しなければならない」と警鐘を鳴らす。「今年の異常な暑さも、数十年後には『まだ涼しかった』と振り返られる可能性がある」と話している。/~私は『ニュースタンダード』と称していますが、同じことです。これから地球はほとんど夏です。しかも尋常な暑さではナイ。熱さの暑さです。我等が祖、ホモ・サピエンスは氷河期を生き抜いてきました。寒さには強いのです。ですからクロマニヨン、ネアンデルタール、ホモ・エレキテスのように全身が毛で覆われることはありませんでした。我等が祖はスノーボール(氷河期)を耐えてきました。これも何度も書きましたね、池上線、千歳橋から。しかし、私たちはこの熱さの暑さの夏の地球に今後、まったく冬がなくなるまで(というか夏以外が無くなるまで)耐えられるでしょうか。耐えましょう。まさに命をかけて。アト、千年やそこらです。
と、いうワケで本日も市営プール(高齢者100円)に泳ぎに行ってきました。このプールの水がすべてお湯になり、また凍るのか。と、じっと水をみつめて。嘆くまい、明日は明るく、いや、せいぜい薄影の暗いところを歩きましょう。

2025年8月 6日 (水)

Sisyphus descending from the summit-28

久しぶりなので、情況的なことを書きましょう。情況的といったって、他人事を書いている暇はナイので、現在幾人かの、言説に信用を置いているインテリ(真面な学者や医者とかですヨ。昨今の政治家--こいつら殆ど選挙が商売--とか、タレント・コメンテーター--彼らを売名屋或いはギャラ泥という--、SNSインフルエンサー--この方たちは一発当てたい博徒ヤクザ--、ユーチューバー--いいヒトも多いのですが、娯楽関係以外の方々はまず駄目)で、本日は/和田 秀樹(わだ・ひでき)精神科医/さんの専門分野である高齢者健康管理についての談話(著作)を。そいつにちょいと私のリアル(生活経験)のコメントを付けていきます。
/臓器別診療が始まった1970年代当時の日本の高齢化率は、わずか7%程度。高齢者が少なかった時代には臓器別診療には意味があったのかもしれませんが、そこから50年が経過し、高齢化が問題になっているのに、いまだに医療は臓器別診療のまま。とても超高齢社会に対応できるとは思えません/~驚くべきほどの正論(つまりアタリマエのこと)だとおもいます。むかしもこの「臓器別診療」に批判的な医師(わりと高齢)だっていました。そのdoctorは、「どうも肝臓が~」と患者がいうと、トレイを患者の前に置いて「じゃあ、ここに肝臓を置いていきなさい。診ておくから」とまあ、こんな調子でした。現在、私の掛かりつけの医師は専門が消化器・循環器外科なのですが、あちこちの医院に出向して、総合内科をヤってらっしゃいます。昨今、どうも睡眠障害が内臓(特に膵臓などはその兆候が癌だったするんですが)に原因があるのではと疑って診察を受けたのです。診られるだけの(殆どの)内臓をエコー検診。それで異常はなかったのですが、さらに血液検査表を持たせ、内科専門医のところで、内視鏡ヤってもらいなさいとミッション。行きましたそこへ。で、便血をヤって大腸内視鏡はともかくクリア、そのアト胃カメラで、ピロリ菌存在判明。除去しますかというお薦めに「ついでですから」とクスリ(抗生剤)をもらったのですが、どうも、そこまでの検査の流れが「医療営業」のようで不満有り。いまだに実施してません(飲みだすと一週間、睡眠剤〈ベルソムラ〉の服用が出来ない。この暑さの中、効果が穏やか過ぎるとしても、睡眠剤ナシで眠るのは難しい)。結局、この専門医から睡眠障害と内臓疾患についてのコメントは何もなかったワケで意味ナシっ、です。かつてそこの医院はそんなふうじゃなかったのですがねえ。流れ作業で医療スンナって。肉屋じゃあるまいし。で、和田ドク。
/あなたの家の近所に内科のクリニックが開業したとしましょう。そのクリニックでは訪問診療も行うことをうたっています。こういうときに注意してほしいのは「医師の経歴」です。経歴を見ると、特定の臓器しか診てこなかった人が、いきなり内科医として訪問診療を行うと言っている。75歳になったら特定の臓器の専門家ではなく、総合診療をしてくれる医師に頼ることが肝心です。大学病院の専門家よりも、自分の体のことをわかってくれる町の掛かりつけ医を探すという発想に切り替えるべきです。/~これもとりあえずは卓見だとおもいます。とりあえずというのは、医師というのは相性やアタリハズレが多いからです。あまり高価なマシン(最近このマシン自慢の開業医が増えています)の置いていない開業医とはいえ、昔からの付き合いを私は信頼という科学的(医療的)価値で選択します。和田doctorは、掛かりつけ医を見つけるときのポイントを述べます。これはよくいわれていることでもあるのですが。
/一つ目は、薬について納得のいく説明をしてくれることです。/~薬理学をヤっていない医師の多いこと。私がかつて叱り飛ばした医師は、ともかく何にでも抗生剤を出しました。「何故、これが必要なのよ」と問うと、「飲まないと治りませんよ」という。「何を治すのよ」とさらに問うと「飲まないと~」を繰り返すだけ。この医院、ひとりしか診察者として医師がいないのですが、表には十種類以上の「~科」看板がかかっている。待合室に患者数が多いのは、クスリを大量に出すためだとおもわれました。和田ドク続けます。
/話にまともに向き合わない医者もいます。患者を見ずに数値だけを見ている医者の言うことに疑問を感じたとき、セカンドオピニオン、サードオピニオンで別の医者に診てもらう方法はあります。ただし、医者は基本的に同じ教育を受けていますから、同じようなことを言われる可能性が大です。信じるべきは、たくさんの患者をちゃんと診ている医者です。/~何処も同じの、いわゆる定食医師ネ。いまだに『白い巨塔』に住んでいるような医師がいるんだから。ある医師なんか、「薬手帳」をみせると「たくさん、飲んでるねえ」と嘲笑していうんですから、阿呆なんじゃナイノ。誰が処方しているとおもっているノ。同じ教育によるあんたと同じ医師ナノヨ。薬剤師はプライドもって前に出てイイよ。
/健康診断で示される「正常値」は、40代〜60代くらいの人のデータをもとに作成された基準値にすぎません。これを高齢者にとっての正常値とするのは無理があります。もっというと、正常値は一人ひとり違うのです。/~正常値誤差は、血液検査では常識の範囲なんですけど、それが読めないのだなあ、昨今の数値(データ)医師は。で、和田doctorの結論はというと/病気とともに生きたほうが長生きできる。/~でありました。ごもっともだとおもいます。長生きを望んでいるワケではナイですが、ともかく自分の心身ですから出来ることはヤったほうがイイ。血圧ひとつ取り上げても、どのような数値のとき、心身の具合はどうだったか、くらいは毎日、朝と就寝時に自分で測定して、日々、自身で研鑽したほうがイイです。高齢者になったら病気(疾病)もんになるのはアタリマエです。死ぬのが怖いなんて高齢者になってから云うな、です。誰だって死ぬの。死ぬまでの苦痛を如何に越境するか、釈尊がおかんがえになったこともそういうことです。

2025年7月31日 (木)

Sisyphus descending from the summit-27

チャールズ・ロートン監督『狩人の夜』リリアン・ギッシュ/~『想流私塾(そりゅうしじゅく』という戯曲の塾を伊丹アイホールの企画で、二十数年続けました。毎度、「これだけは観ておけ、読んでおけ」みたいな案内ペーパー(一種のガイダンスですかね)を十二~十三人程度の入塾者には渡したのですが(毎年更新)、最初から最後までそこにあったのが(他にもたくさんあるのですが)この映画ですね。いやもう、これを劇場で観たときの、あの震えるような高揚感、忘れられませんね。その後もDVDで何回も観ているのですが、こういう映画をキリスト教王国の亜米利加合衆国が創ったのかというのも、驚きでしたが、なんつうても、リリアン・ギッシュ(後半にしか出てこないのですが)の凛とした、毅然とした存在感。彼女はとにかく私の中では最高の女優ですし、この映画は、永遠のbest oneです。ワンッ、吠えるぞモウ、牛です。魔法のような映像美。あの時代にかくなるモノクロ映像が撮れたことの奇蹟。日活ロマン・ポルノにも『夜の狩人』というタイトルのものがありますが、きっと監督は観たんでしょうね、この映画。
安宅(あたか)は、『義経記』などに取材した能楽作品である。/~歌舞伎では『勧進帳』というタイトルですね。弁慶が偽物の「勧進帳(お寺に寄付を募るお願いが書いてある巻物)」を安宅の関所で読むのです。白紙です。しかしまあ、書いてあることはたいてい同じてすから、タモリさんが読んだ赤塚さんへの弔辞よりは簡単だったでしょう。原題の『安宅』は能の演目です。『義経記』は「ぎけいき」と読んで、さまざまな源義経ものの原曲です。私の記憶では、源平の合戦が終わって後、兄の頼朝の追手から逃れていく義経の逸話の一つです。『船弁慶』とともに人気があります。能楽をもとにした歌舞伎は多いのですが、能狂言は四百年以上の歴史があるものの、実際に舞台を観た一般庶民はいません。百姓どころでは庄屋、名主クラスの帯刀を許された者しか観る機会はなかったからです。何故なら能狂言は武家のたしなむ「芸」だったからです。よって、装束も派手で豪華、贅沢です。金糸銀糸です。ですので、ときどき「能はインテリのもので、狂言は大衆のものだ」などと、教える方(私も高校生のとき、そう教わりました)がいますが、それはマチガイです。私は狂言のほうはオリジナルを書いています。『武悪』をシェイクスピア劇に脚色したもの。これは、そのまま狂言の演目として上演出来ると主役の方に励行されまして、かなり気をよくしました。もう一つ「異流能」として太宰治さんの『こぶとり』を用いましたが、東京から和泉流の有名な親子が、京都から「お豆腐狂言」の茂山家(大蔵流)。茂山の千作師匠はほんとうに面白い方でした。見事な方でした。人間国宝なのに私のことを「せんせ、せんせ」とよんで下さって、恐縮至極。それはもう、ただ舞台へ橋懸を歩いて出てこられるだけで和むのです。東京の親子ですか、親は「家」に対してのコンプレックス持ち、子はただの莫迦でした。堅苦しいだけでツマンナイのなんの。「狂言は不条理劇なのだ」とかいいなすってねえ。これだけでも莫迦の露呈です。二人して親子丼でも食べる狂言が出来るならヤってみてごらん。芳沢あやめ(『あやめ草』の作者・関西歌舞伎役者の女形、芸の理論家としても才気活発です。『役者論語(守屋毅・編訳、徳間書店)』にちょくちょく登場されます)ならなんというだろうなあ。子のほうが、私がオリジナルのホンに書いたせりふ「鬼に鉄棒」を「おににてつぼう」と語ったのには笑ったな。本番で。そいで「かなぼう」と正しく語るようにマネージャーに提言したら、「彼、きょうは疲れているので」といわれました。能に『鉄輪』と書いて「かなわ」というのがあるのです。ですからわざわざ私、「鬼に金棒」を「鉄棒」と書いて「かなぼう」と読むようにしたのです。辞書には「金棒」とあります。しかし、鬼が手にしているのは「鉄」の棒です。これは辞書屋さんの怠慢だとおもいます。この船には乗れません。しかし、息子のほうはそういう教養も知恵も無い。簡単に「疲れて」舞台に上がってはイケマセン。いまは偉い御仁におなりです。低音の魅力だそうです。DXで『唐人相撲』をおやりになる(なった)そうで。大蔵流が上演された舞台はテレビで観ました。能舞台ででした。(大蔵流では脇狂言、和泉流では雑狂言に分類する)芸能も時代と寝なければ存続していけません。要は「寝方」の問題なんですけどね。~暑いので、ぼちぼちです。

2025年7月25日 (金)

Sisyphus descending from the summit-26

/般若心経は、紀元前5世紀に宇宙の真理を悟った釈迦の口述を弟子達が書き写した教典を、(釈迦入滅の約500年後の)紀元前後に編纂された八千頌般若経 (Wikipedia)の内容が余りに難解すぎて誰にも理解できないからと(更に2~300年後の)2~3世紀頃に百巻の注釈書へとエッセンス(心)のみを拾って書き換えられた『大智度論』の粗筋書きの漢訳なんです。釈迦の知り得た真理がどの位残っているのかは分かりません。可能性が高いのは、唐代の玄奘三蔵がインドから持ち帰った大般若波羅蜜多経 (Wikipedia)全600巻の方が釈迦口述に依る原典に近いのでは無いかと思います。/~だそうです。八千頌般若経は「はっせんじゅはんにゃきょう」と読みます。内容が難解とはいえ、大乗仏教の教典です。解釈のメモはこれはこれで一説です。おもうに、釈尊の口述筆記があるとして、もですね、正確に書き写された教典は存在しないだろうと私は私なりの浅学でかんがえています。釈尊自身は自身の悟りについての 教義などを書き残してはいませんが〈語り残す〉ということは他者によって可能でした。それが最初に行われたのは第一回の結集(弟子たちの集会会議、論議、4回或いは数回行われている)における釈尊口述の〈まとめ〉なんですが、弟子の阿南は第一回結集でこの〈まとめ〉を否定しています。阿南は最後まで釈迦牟尼の行脚(あんぎゃ)のお伴をしていたので、位が低い(阿羅漢に上がる修行はそっちのけであった)ので、ほんらい結集には出席出来なかったのですが、ともかく行脚のお伴でしたから、特別に結集への参加を許されたのでした。しかし、それは釈迦牟尼が予想(危惧)したとおりの様相でした。釈尊は阿南にはその旨は伝えておいたのです。阿南(アーナンダ)は釈迦の教えとおり、「それ、チガイマス。釈尊はそんなことはお諭しになっていません。説いておられません」と、反論したのですが、ともかく当時のそこら辺は部族社会国家ですから、長老の意見は権威高く、阿南の反論は認められませんでした。だいたい釈尊の教えは待機(対機)説法ですから、相手によって応えがチガイマス。それを一つにまとめることは出来ないことは、釈尊が最もよく理解し、阿南も了解していたのです(と、これはあくまで私の雑読researchです。まったく、まったくチガウ記録もあります。阿南は結集の書記を務めたというのもあります。まったく、ネ)。
キリスト教の聖書(Bible)は一冊(ザ・ブック)ですが、四つの福音書から成っている「共感福音書」(キリスト教の『新約聖書』の四つの福音書のうち、「ヨハネによる福音書」を除く「マタイによる福音書」、「マルコによる福音書」、「ルカによる福音書」のこと。この辺りについては専門書を読んだほうがヨロシイです)が中心です。イエスもまた辻説法のヒトです。それを弟子のペテロ(最初のローマ教皇。もともとは漁師だったかな)が一冊にまとめたのですが、そのせい(辻説法の編纂だから)で矛盾点が多いことは、ユダヤ教徒のミステリ作家(『九マイルは遠すぎる』やラビ・シリーズが有名) ハリイ・ケメルマンが指摘しています。また一冊にまとめるために破棄された文書(もんじょ)は多くあります。ユダ文書というものも存在はしています。これは学術的にホンモノだと認められているのですが、イエスを裏切ったユダのものだという理由でか、内容がちょいと恐ろしいでか、共感福音書とは毛色がチガイ過ぎるでか、まんず棄てられています(こういったものも諸説ありますからネ)。私、読んでみたのですが、共感福音書とはチガッテ、イエスとユダの対話になっていました。語っていることは、なるほどケッコウ物騒なことでした。
仏教の現状は、原始仏教(釈尊の時代のもの)と、葬式仏教(現在の坊主がヤっているもの)とに大別出来ますので、いま、ブッディストと自称したところで、単なる檀家系仏教徒なのか、釈尊に帰依する者なのか初耳の相手には判別はつきません。「(神よ)雨を降らせたければ降らせるがいい。されど私はその雨の中を犀の角の如く真っ直ぐに進む」こういう急進的なことも釈尊は初期説話では述べているのです。日照りの中、枯れた田畑に立って「神よ、雨を降らせたまえ」と祈ってもいるのです。
私は下衆なモノですから、釈迦(シッダールタ)が出家するさい、捨てた妻子は釈迦のことをどう了解したのか知りたかったので、その辺りをresearchしたことがあります。奥さんやっぱり烈火の如く、罵声に怒声だったようです。アタリマエでしょうけど。しかしまあ、歴史上実在した仏陀は釈迦牟尼だけですから、日蓮さんなどは、「阿弥陀仏などという架空の存在を持ち上げるのは邪教でしかナイ」と『妙法蓮華教』を推します。この教典は歴史的に古い、つまり釈迦入滅に近いです(最も近いのは『華厳教』かな)。それだけに日蓮も自信があったのでしょう。とはいえ、これがサンスクリット語(上級社会語)、パーリ語(通俗語)から漢語訳され、さらに和訳されるまでに、さまざまいじくられていることも学術的に示されています。それが因なのか日蓮宗には分派宗家が多いですね。浄土系も割れているので/本願寺どっちが「西」やら「東」やら/、てなことになります。これは葬式仏教になってから仕来りまで(焼香とか、線香の置き方とか、御布施が幾らか)がチガウので、よくいわれる「門徒物知らず」ではなくなっています。かなり面倒になっています。こういうところは縄文弥生の呪術の名残でしょう。
合衆国も六割がプロテスタント(これまた教派は多い)ですが、残りの四割はカトリック、ユタ州のモルモン教会(末日聖徒イエスキリスト教会)、イスラムだってありますし、伝導教会(テレビ伝導というのもある)やらね、新興宗教もあるし、無宗教の方もいますが(ニヒリストだっています)、ともかく、宗教は政治経済とは切っても切れない関係です。そういうことで無宗教哲学が見直されているということもアリです。ニーチェ旦那の『アンチクライスト』では、「キリスト教徒はただ一人存在した。その彼は十字架に架けられて死んだ」とイエスをこれでも礼賛(らいさん)しているのです(「神は死んだ」との有名な文言はここからきています)。ニーチェ旦那はキリスト教がキライなんですね。というか、キリスト教会を目の敵にしているということですが、イエスだけは認めているようです。私はギリシャ哲学のエピクロス兄さんや、ユダヤ教を破門されたスピノザくんなどは、釈迦(原始)仏教に通じているように感じますし、法然、親鸞などの浄土系はカトリックでしょう。私はインテリジェンス(情報)として構造主義者と名指されることがたまにありますが、べつに何でもかまいません。構造的な思考はよくやりますが、希求する形態からして〈アフリカ的段階〉逍遥派のほうがしっくりですかね。では、では。

2025年7月23日 (水)

Sisyphus descending from the summit-25

/1753年、ダニエル・ベルヌーイは、波動方程式の解として三角関数を想定することにより、弦の振動は基本周波数とその整数倍の周波数の成分(倍音)の重ね合わせとして表せることを発見した。/~このメモはいま読んでもチンプンカンプンです。たぶん、「弦の振動は基本周波数」この〈弦の振動〉と、「周波数の成分(倍音)」の〈重ね合わせ〉という部分が気になって残したものだとおもいます。どこかで「超弦理論」と「量子の重ね合わせ」が無意識にカサネアワセとなったのでしょう。「超弦理論」はタイヘンに「美しい理論」として登場しました。この理論によると、「宇宙は或るハーモニー」ということになります。もちろん、あたしゃ、飛びつきましたネ。しかし、その後下火になって、次に登場したときは「超ひも理論」と称されていました。それはチガウよ。と悔しいおもいをしたのを憶えています。〈ひも〉ではなく〈弦〉だからこそ、倍音(基本となる音に重なって聞こえる、より高い音。 ベースの音のほかに鳴っている、2~4倍周波数が高い音。基音がドの音であれば、2倍音はオクターブ上のド、3倍音はソの音など、基音の周波数の整数倍の音程で聞こえます。マチガッテいるかも知れませんが、electriciteit・guitarの独奏なんか、そうなんじゃないのかな)になるワケで、〈ひも〉はそんなふうにはなりませぬ。ところが、最近再々度「超弦理論」が蘇ってきました。私、トランペットを2オクターブ程度ですが、吹きます。トランペットも倍音が多く知られています。昨今は指を痛めているので、マウスピースだけでおもいだしたように練習したりしますが。
/Paradox of Ghosh⇒ゴーシュは町の活動写真館の楽団「金星音楽団」でセロ(チェロ)を弾く係。楽団では近く町の音楽会で演奏予定の『第六交響曲』の練習を続けていたが、あまりにも下手なためにいつも楽長に厳しく叱責されていた。そんなゴーシュのもとに、郭公(クワッコウ)を始め様々な動物が夜毎に訪れ、いろいろと理由を付けてゴーシュに演奏を依頼する。そうした経験を経た後の音楽会本番で「第六交響曲」の演奏は成功し「ああかっこう。あのときはすまなかったなあ。おれは怒ったんじゃなかったんだ」という不思議なゴーシュの独り言で終わるサクセスストーリー/~音楽の話題ついでで『セロ弾きのゴーシュ』(宮澤賢治)というのが、ふつうのストーリー展開の解説ですが、私は、これはチガウのではないかとおもいました。このストーリーですと、水車小屋ての動物たちとの練習がゴーシュの幻想、町の楽団が現実というふうになっていますが、私は、それはまったく反対で、動物たちとの練習が現実で(描かれた物語という虚構の中ではですが)、町の楽団が幻想であるとかんがえました(拙作『ゴーシュの夜の夜』)。ですから、サブ・タイトルがParadox of Ghoshなのです。現実に登場する動物たちはみな「菩薩の化身」です。それは近隣の村人たちでもあるのですが、すべて菩薩です。賢治にとっては楽団で成功などするよりも、この水車小屋でのエピソードのほうがほんとうのことなのです。この賢治童話では、郭公(クワッコウ)の部分は念入りに描写されています。それは、郭公が最も位(くらい)の高い菩薩だからだとおもわれます。(これはそのまま『マリヴロンと少女』に移行されますし、『妙法蓮華教』にもたしかあったと記憶しているのですが)。そうしてその菩薩は「空」そのものでもあります。「空」からの視線、それは賢治童話の新しい着眼点です。この賢治童話は空からの視線で貫かれているからです。似た位相の童話に『やまなし』があります。ここでは川底から水中、水面への視線が用いられています。賢治童話の特徴は幾つかの視線の重なりにありそです。と、いうことで、と。

2025年7月21日 (月)

Sisyphus descending from the summit-24

ひと握り(っ屁)の感想。
参院選挙が終わったので、す。メディアなんてのは「花」が好きなんだなあ。で、花の話題を。当選者でまず画面に出てきたのが、参政党と国民民主党の女性当選者。AI党だったかの若者も出てきましたけど。花ですねえ。選挙は民主主義においてのお祭ですから。テレビ局の報道部はこれからドンチャンの「お疲れ会」だそうで。最近はいろいろ他にも仕事が増えてきたから、やんないのかな。私が舞台の裏方でアルバイトしているときは(18才の頃かな)パネル立て作業なんかで忙しかったです。そのときは、そうだったです。で、今回の結果を観て、これならもう「AI」(党ではナイ)に任せておいたほうが、まだ安心出来そうと、おもいました。そのAIについて、PRESIDENT Online2025/07/20 17:00での茂木 健一郎さんのご意見を無断抜粋ペースト。
/ AI(人工知能)がいよいよ本格的に社会に実装され始めている昨今、60代以降の人こそ、ぜひテクノロジーをフル活用すべきだと僕は思います。AIを自分の人生や仕事にどう取り入れるかは個人の自由です。受け入れることを選ぶのであれば、積極的にAIを使いこなすことで、その恩恵を最大限に享受できます。今、私たちの前に現れているのが、第三の黒船とも言うべきAIです。メタ(旧フェイスブック)のCEOであるマーク・ザッカーバーグは、AIが今後は一つに統一された絶対的な存在としてではなく、数多くの異なるAIがそれぞれの場面やニーズに応じて活躍する未来を描いています。これは、日本人が古来より持つ、八百万の神々を受け入れる柔軟な感覚と非常によく似た考え方だと言えます。
『ドラえもん』や『鉄腕アトム』を通じて人間と機械が自然に共存する世界を描いてきた日本人にとって、AIとの共生はむしろ得意な分野です。このような日本人ならではの特性を活かして、世界に先駆けて新しいAIサービスを生み出していくことも可能だと僕は考えます。黒船から八百万の神々ときて、『ドラえもん』『鉄腕アトム』です。そうして真打ちが、ある時、養老先生がこのアプリを見せながら、嬉しそうに僕にこう言いました。「茂木君、見てごらん。このアプリで植物の種類が簡単にわかるんだよ」僕はその言葉を聞いて、思わず笑顔になってしまいました。というのも、虫が大好きな僕や養老先生は虫が食べる植物には詳しいものの、一般的な植物に関する知識はあまり多くなく、以前から植物の知識は深めたいね、という会話を交わしていたのです。だからこそ養老先生の「このアプリがあれば、知らない植物の名前がわかる!」という喜びがよく伝わってきたのです。80代になっても新しいアプリをスマホに入れて、子どものように無邪気に楽しむ。その姿は本当に素敵です。/~ステキですね。でもあのアプリ、ときどき間違うからネ。チガウよく似た植物を同じものとして判断することもありますから。まあ、それはご愛嬌ですか。「それ、チガウんじゃねえか」で、ハナシがはずみますから。やはり、以前ここに書いたようにAIと老人(老境)は相性がよろしいようです。ということで、本日は以上。

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