無料ブログはココログ

カテゴリー「日記・コラム・つぶやき」の記事

2017年9月19日 (火)

ナマケモノ

「怠け者」のことではナイ。あの、森(密林、ジャングル)に生息する動物なんだけど、ありゃあ、ナンのためにいるのかがまずワカラナイ。一日20時間は寝ている。従って、あまり食わなくてイイ(一日およそ8グラムの木の葉っぱを喰う)。イイどころの話ではナイ。食わなくてそのまま餓死することも多い。一週間から十日に一度、排便をする。自分の住んでる木の根元まで降りていって、そこであたかも肥料でもヤルようにする。完全なる自給自足。ところで、食物連鎖の世界で生きているワケだから捕食される。抵抗しない。ただ、食われるだけ。それでも種が存続しているのは、殆ど動かないので目立たないからだ。

釈尊も達磨もここまでは悟れないナイだろう。

ニンゲンはどうだ。ナマケモノより酷いといえば酷い。国境なき医師団のresearchでは、5秒に一人、子供(5歳未満)が死んでいる。毎度、寄付するたんびに、自分の貧乏がイヤになる。せいぜいが五千円から1万円(老齢年金、月6万円の中からね)。いくら貧者の一灯とはいえ、これはもう、ペストに対する反抗(カミュ・『ペスト』のベルナール・リウー)にも及ばない。ほんとうに貧者なんだから仕方ないのだが。

現在(2017年)の飢餓人口は約8億人。この世界の9人に一人が、食えていない。かつて、マルクスが「全世界のプロレタリアート(無産階級)よ、団結せよ」と『共産党宣言』で雄叫びをあげたとき、誰だったか、ちょっと記憶にナイんだけど、「搾取とか、剰余価値とかいうけれど、要するに、飢えて死にたくないだけなんじゃナイかな」と、ボソっというた市井の民が在ったとさ。

「ウォール街を占拠せよ」と叫んでも、「働いて、競争して、勝ち残ったものが富を得るのだ」というのが、アメリカ資本主義の基本だから、本質的に、いいですか本質的にですよ、アメリカは、北朝鮮をとやかくいう資格なんざ基よりナイのだ。北朝鮮は、アメリカに対して、競争して勝ち残って、生き残るるつもりなんだから。

北朝鮮では、餓死するものも、貧困ももうすぐ根絶することになる。なぜなら、餓死するものは、みな餓死し、貧困者はみな餓死するだろうから、北朝鮮国家から餓死も貧困も消えるという寸法だ。

銭を出せっ、さもなくば、核攻撃するぞっ。そういう方法的生存ネ。

核は国家を救う、だ。

しかし待てよと、歌謡曲、演歌でもポップスでもなんでもいいんだけど、歌詞の中によく出てくるのが「愛」だよな。あの「愛」を「核」に置き換えても、そんなに違和感ナイんだよな。具体的に書くと、JASRACに叱られそうなんでヤメルけど。「夢」もそうだな。

~いっているいるお持ちなさいな いつでも核を いつでも核を~(古いところですけど)

で、ナマケモノだけど、一日20時間寝るのなら,起きてる4時間なんて大したことナイから、いっそ24時間寝たらどうか。つまり一生寝てんの。そうすりゃナンの苦労も不安も悩みもなくなるね。そういうひと、いるよ実際に、不治の病かなんかで、人工冬眠(冷凍保存)されちゃって、100年後くらいに起きるらしいけど、人類自体が100年もつかなあ。

えーと、次回は未来は明るいって話にします。

2017年9月12日 (火)

総長賭博

 

去年の二十一期を最後に塾を退任したので、今期からは『想流劇塾』と塾も刷新され、私は名誉塾長として、年に一度、劇塾、劇塾マスターコースを揃えてのlectureいたしますことになりたましたでありますが(機械翻訳してみた)、それが、昨日の夜。なんとまあ、三十人近くの雁首が揃って、御前会議か、総長賭博。会議室、練習室ぶち抜きの円卓で、一応マイクの準備もしてもらったが、必要なかった。

で、けっきょく二時間半近く(休憩一回)喋りましたねえ。何を喋ったのかは殆ど記憶にナイのだが、それには理由があって、私の場合、あるナニナニを話し始めると、当初は着地点は設けてあるのだが、どういうわけか(どういうワケもなにも、錯乱だな)ハナシが横道に逸れだすと、さらにそのハナシが横道に逸れ、ついに着地点など忘却して、そうなるともう不確定性関係というもので、収拾をつける気など遠に失せ、ノアの洪水に塾生たちを巻き込んで終了。

で、アトの飲み会はいつものごとく断って、ホテルで地元ラジオ聞きながら飲んで、たぶん12時前には就寝したとおもうのだが、起きたのが9時。それでも起きられない。早朝頻脈こそ出なかったが、けっこうな血圧で、つまり脳がコーフンしてんだけど、カラダは、低体温で起きられない。

とはいえ、とは家に帰り着くと、ほっと一息なんざなく、心臓が停止したので、慌てて五黄を服用しているあいだに、また動き出したので、うーん、かなり負担をかけたんだなあと、反省などしなくて、まあ、30秒以内に動き出したんだから、エエわと、最近ちょっと胸が苦しくなることが多いので、次の定期検診のときは心電図をしさしぶりに(江戸っ子タイプの翻訳)とってもらうかと、思いつつ、12時前にやっと体温が36度。メンタルがキツイと、いまだにセロトニン症候群の後遺症が出るんだなあと、認識、認識。

生命危機になると、性欲(生殖欲なんだなあ)が、おそろしく昂ぶって、なんとまあニンゲンは動物なんだろうと、認識、認識。高ぶってもまったく勃起しないというのは、これも動物なんだから、そうなんだろう。勃起、射精した気持ちだけになってしまうというのは、神戸淡路島震災のときに、アダルト・ビデオの男優被災者の避難所に、女優連れていって、撮られた貴重なアダルト作品があるので、(男優はスッキリしましたといって喜んでんだけど、ゴム製品の中は空なのよ)人間は動物だからなんだなあと、何の根拠もナイのに納得。

いやあ、疲れたワ。

2017年5月22日 (月)

スクリューボール

だんだん少なくなっていく生きる楽しみを増やしていただいて、感謝しております/

という、観劇(『シス・カンパニー『黒塚家の娘』初日)の感想を、親しい知人から頂戴して、ふと、プレストン・スタージェス監督の、いわゆるスクリューボール・コメディの一作を思い出した。スクリューボール・コメディについても、誤解があり、ある解説などでは「頭のヘンな人々が登場する喜劇」などと大マジメに書かれているし、それをそのまんま解説している映画評論家もあるのだが、ほんとうは、「急転直下」「drastic」なストーリー展開する映画なのだ。スタージェスはハリウッドでは、天才、革命児として業界人の評価は高く、その影響も多大なものがあるのだが、日本ではあまり知られていない。ウィキペディアでも、作品について書かれているのは、ほんの数本だ。

私が観たものも、ずいぶんむかしで、DVDではなく、まだテープだった頃だったが、タイトルを逸してしまっているものの、内容は、簡単に書くと、エンタメばかり創っている映画監督が、芸術系の文学系の映画監督たちの作品に対してcomplexを持ってしまう。で、ひょんなことからその自棄が原因で事件を犯して、留置所送りになる。前科者になっちまう。もう、どん底だ。ところが、ここからがスクリューボールで(もともとは、大リーグの投手が発案した変化球で、まるでスクリューのように急激に変化する球)、囚人慰安に映画鑑賞があって、なんとまあ、それが、自身の監督した映画なのだ。娯楽のナイ囚人たちは、大喜びの大笑い、すんごく楽しむのよね。そこで主人公の犯罪者にまで落ち込んだ監督は、その情景を観て、自身の映画が、こんなに影響力を、こんなに力を、こんなに役に立っていることを認識し、自信を取り戻す。そういうの。

あのね、私はあと一ヶ月半ばかりすると、六十五歳で高齢者の仲間入りするの。誰でもそんなもんなのだろうけど、こういう経験は人生に一度しかナイから、まあ、私も自身の人生みたいなものを振り返り、難しくいうと内観してみて、「オレのやってきたことは徒労に過ぎなかったのではナイだろうか」という、根拠のナイ不安、強迫観念を持ってしまうのだ。だって世の中、なんにも良くなってネエもんなあ。役立たずだったなあオレ、と、まるで、世間のことがことごとく私の責任でもあるかのようなドクサ(思い込み)の波にのまれるの。

これが続くと、鬱疾患なんかになっちまう。そういうときに、エンタメ重視で書いている芝居の感想を前述したようなふうに頂くと、ほっとしますよ。そうよ、娯楽。娯楽になってるんだなあ。息抜き以上の、楽しみになってるんだなあ、と。

/本日、「黒塚家の娘」拝見しました。か、感涙でした。。。ありがとうございます。/

これは、私の弟子の感想。これにも感謝だなあ。とはいえ、殆どは、寺十演出と役者さんの手柄なんだけどね。「人情喜劇にしちゃったわよ。あのままのホンだと、観客、寝ちゃうからね」という、shyproducerのおコトバにも、苦笑しつつ、感謝しましたけど。

 

2017年4月26日 (水)

厭世っ、わたくしたちは・・・

もちろん、「宣誓、わたくしたちは・・・」の似非コトバなのだが(parodyともいう)、ここんとこ、そういうのばかり思いついて、困ったナだ。

「千里の道も一歩から、踏み外すこともある」

「ヤな余生だなぁ」(映画、座頭市の「ヤな渡世だなぁ」が元コトなんだけど、どっちもあんまり良くないよねえ)。

「老いたるは及ばざるが如し」(これはもう元コトはご存知でしょうけど)

たまのブログなのに、ちょっと暗いので、

/人生とは、ゆっくり時間をかけておこなう自殺である。しかし権力は一瞬にして人生を他殺する/(ベローナール・仏蘭西のjournalist・1969パリにて没)

と、これも、あんまり明るくはナイか。

2017年3月31日 (金)

エイプリル・リル

 

テレビを買い換えた(半年しか経っていないので、3,000円で前のは売れた)。32inchから39inchに画面をアップして、サンスイ製品(中国製だけれども)の和紙スピーカー。わたくしももうすぐ高齢者と称されますんでね。眼や耳にいいものにしなきゃね。

枕を買い換えた。ウレタン系はやめて、中綿で、眼の疲れに肩凝り(肩痛)首の痛みが影響しているとするならば、32個の磁石まで入っていて、ともかく面積の広いものにした。ゆんべの寝心地は良かった。

コルネットを買った。演奏出来るまで活きようと思った。

生き残ることと、いつ死んでもイイという覚悟とは、同じナンダヨ。

最近は韓国映画を多く観ている。昨日は『見えない目撃者』。いやあ、驚いた。プロットにオードリー・ヘプバーンの『暗くなるまで待って』をまんま使っている。これはマネとかパクリとかというものではなく、ハングク映画界の「勉強ぶり」でしょう。

斬新なところも多々あったが、まだまだツギハギというところがナイでもナイ。けれども、こういう真似の努力がEnergieとなり、powerとなる。

/四月の風の青空のなんだかわからん新しさ/

2017年3月10日 (金)

枯れても花の咲かんとぞおもふ

考えに考え、いわゆる思索に明け暮れてもみたが、けっきょくワカランものはワカラン。

突然、忽然、アッ、てなぐあいにワカルとき、コト、があるのかも知れないが、それならそれで、とくにどうでもイイや。

いわゆる〈道〉などというものはナイ。武道、芸道、とかく〈道〉などというものを付けて、それを「極めん」とスルのが人の道とやらいうが、「極麺」とかいうインスタントラーメンと大差はナイ。生きるしか仕様がナイから生きているまでで、それでは虚無だろうてんで、キリスト教は「天国」を創造したし、仏教は「悟り」を設定した。かたや信仰で、かたや修行で、それ自体が方法ではなく目的になる。そうするしか他、無かったろうと諦念するしか、こちとらにすべはナイのだ。「あの世」のことなど考えても所詮は答えは出ないと釈尊は弟子に諭したが、そこで、弟子は、では「この世」とは何です、という質し方ではなく、なぜ、現に在るこの世は穢土なのかと問うてみればよかったのだ。そうしたら、それを克己するために修行あり、としか釈尊も応えようがなかったろう。修行というものこそ、「方便」なのだから。(「浄土」というのは、鎌倉仏教からこっち広まった他力本願で、そらまあ、穢土があるなら浄土もあると説くのは、簡単なことだとは思うが、釈迦牟尼ではなく、阿弥陀如来、大日如来と、仏の数が増えていくというのが、何だか家元制度のようで、あまりオモシロクナイ。ついでながら、浄土宗、真宗では『般若心経』は唱えない。絶対他力の宗派にとっては、般若心経は自力の経典になる。このあたりで、わたくしとは解釈に隔たりがある。菩薩が出てきたからって、そう排他的になることはナイと思うけど)。

 

オモロウて、やがて哀しき舞台かな、なんてのを生きてきたので、まあ、それで終わるしかナイわなあと、なんだかワカランのに生まれて、なんだかワカランのに死んでいく身の上は、誰しも同じ。

 

昨今、「ヤサグレ」というのを、なんだか語感からヤクザっぽくグレているというふうに解している連中がいるが、ヤサグレるというのは「宿無し」のことで、今晩、寝るところすらナイという、路頭に迷った姿なのだ。そんなにカッコつけていうものではナイ。

路頭に迷わぬようにするには、わたくしのヨウに荒野をリヤカー引っ張って歩くしかナイのだ。あっちはどっちやワカランし、どこへいってもどこでもナイのが、わたくしの全情況なのだから。そうなのだ。荒野を彷徨うのではなく、地球のほうから廻ってくるのにまかせて、ただ、ただ、ゆくだけでイイのだ。ちゃんとワカッテるじゃナイか。

しかしまあ、半壊した心身で、明日の飯の献立なんぞを考えるときに、どうしてちっとばかし、悦びがあるのだろうか。/食うことの思案ができるありがたさ/というものかな。この冬を越した豆苗が半分以上枯れながら、それでも花を咲かせた。こいつは、オレより偉いナ。何にも考えず、何も思わずに、ただ、無心、ココロなど無いのに、活きることをやめようとしない〈自然〉は、我が小さな居庵にあっても、やはりスゴイのだ。

それをスゴイと感じる、わたくしの心情と身上だけを、わたくしはいまのところ信頼していて、あながちマチガイはナイだろう。

それにしても、先に逝ったものたちよ、きみたちはいま何処に在る。逢いたいな、逢えるよな。この身の辱を雪ぐでもなく、積もり積もった穢れのままに、そのときを、ただ、待っている。

2017年1月 5日 (木)

2017

2017

 

2017が始まった。予告どおり、ブログ小説からはじめたが、昨年の年末には書き終わる予定が、custom client からの急な注文と、生涯二度目のinfluenzaのために、およそ30%を残して中断している。従って、連載が10回くらいで一時中断になる可能性(可能性というコトバを使うのはマチガッテいるのだが、慣用されているのでそう書く)があることをお断りしておく。

出版不況とはいうけれど、私には、これは出版社の努力不足だと思われる。だいたい若い編集者自身が、かって多くのひとに読まれた多くの傑作、秀作、佳作を読んでいないんじゃないの。たとえば、近隣で蔵書が8万冊と謳っている書店を覗いても、文庫の棚にそのての本は並んでいない。消えた作家をテキトウに数名は挙げられる。柴田錬三郎、五味康拓、北杜夫、都筑道夫、山田風太郎・・・et cetera。エンタメ系列が殆どだが、純文学となると、文庫版の全集(とはいえ、一冊本なんだけど)にあるばかり。並んでいるのは、いま映画化されたりしての売れ筋(と、書店員が思い込んでいる)ものばかりで、マンガ(comic)となると、これも、どこも同じ。マンガはコンビニで、いずれゾッキ本どうように安売りされるので、急いで読まねばならないもの以外なら、それを気長に待っていたほうがイイ。最近は、コンビニにしか置かない雑誌も多々あるので、それらは単行本になるのを待ってアマゾンで買うことにしている。

新聞、テレビ、週刊マンガ雑誌、さて、これらの命脈が尽きるのは、それほどの時間を要しないだろう。

2016年10月22日 (土)

百姓日記⑦

 

関係は乖離スル

 

ジャズを聴き始めた頃はピアノはあまり好きではなかった。きょうの離脱症状は、クスリをゼロにしてから最も強いのが出た。かつてソニーCDクラブとかいうのがあって、前前嫁がすすめてくれたので、入会したら月一回クラッシックやジャズのCDの解説、宣伝があって、殆ど素人の私はこのあたりからジャズを聴き始めたのだが、とにかく飯が食えないというか、痛みは治まっているのだが、痺れとだるさで辛いのだ。とりあえず、モダンから聴き始めて、どういうワケか、ドラムとかベースの渋みがいいのが好みだったから、ピアノはいま一つ甘かった。こういうときは、食わないと体力低下で免疫低下で風邪を引き寄せるという怖さがあるので、簡単な豚キムチと味噌汁にした。ピアノがいいと思い始めたのは、そのクラブで買ったヨーロピアン・ジャズ・トリオのアルバムからで、こんなセンチメンタルなジャズもあるんだなと、洗練された演奏に驚いた。それでも豚キムチは三分の一ほど残してしまった。残り物を冷蔵庫に入れるのはイヤな性格なので、そのまま棄てた。150グラムは多かったなあ、80グラムのほうにしとけばよかったと後悔した。ヨーロピアン・ジャズ・トリオは、日本人好みなのか、日本人にファンが多い。というか、本場のアメリカでは、「こんなもんはジャズやナイ」という古老なんかがいたりするんやろ。横になると余計にひどくなるので、ただ座って、いつものように杉作、天狗のおじちゃんはね、って、過ぎ去っていくのを待つしかナイ。たしかにスタンダードのジャズ名曲集なんかと聴き比べると、主張が強くなく、雰囲気というか、独特の世界観があって、私はこの孤高の沈んでいく感じが好きなのだが、痺れてだるいカラダでは、孤高も沈んでいくもナイのだ。息苦しくなってくるので、何度もため息をつく。名曲に出逢うと、息をするのを忘れていたような気になるのだが、ヨーロピアン・ジャズ・トリオは、えてして呼吸しやすい。忙しくナイ。欧米の歴史の違いなんだろう。黒人がどうの、魂がどうのという面倒臭さがナイ。いってみればクールというのか。このクールとかホットとかいうのは、まだ使えるのだろうか。最近、〈ギャグ〉というコトバはおじさんコトバであって、若い人は〈ジョーク〉というのだそうだ。そういえば、女性は「パンティ」なんてコトバは使わないらしく、戯曲で「パンティ」の入ったせりふを書いたとき、女優に指摘された。「パンツ」でいいのだそうだ。そうすると、ズボン系統もパンツというが、どうなの、と訊いたら、話の脈絡で理解出来るじゃんと、いわれた。なるほど。「じゃん」は、最初は横浜だったか神戸だったか、そのあたりのひとびとが使い始めたらしい。

今夜はモダンを聴いているが、離脱症状は残っていて、いやあ、キツイ日です。

2016年10月18日 (火)

百姓日記⑤

 

人生は三度笠ではナイ

 

三度笠というと、渡世人、博徒の旅人姿を映像化してしまうが、ほんとは飛脚が使った傘で、映画テレビの時代劇股旅物に出てくるヤクザの旅人の旅姿は、現実にはあんな粋なものではナイ。もっと目立たぬダサいものだ。(目立たぬように旅するんだからアタリマエ)。

~人生が二度あれば、ああっ人生がっ~と歌ったのは、井上陽水だし、「これが人生か、よし、もう一度っ」と賜ったのは(「永劫回帰」てなふうにいわれてますが)ニーチェだけれど、ニーチェの場合の永劫回帰の根拠は、単純な物理学、生物学によるエビデンスで、つまり時間は永遠につづくのだから、生物学的に人間(自分)は何度も生まれる(回帰する)可能性が在る、ということなのだが、時間は重力と等価なので、それは残念ながら叶わない、と私の論理はいう。いま在る宇宙が、まんま、再度誕生、出現することは、確率論的には限りなく0に近いと考えてよい。

たとえば、「三度目の正直」を負として考えるとする。人生が三度あるとする。しかしながら、人類はやはり三度滅亡するのが「正直」なところだし、そんなことは、いまの世界情勢を鑑みても明らかなことだから、何べん人生があっても、さほど変わるものなどナイ。世界情勢でなく個人生活なんだからと、多少の情を含めて負ではなくプラスと考えても、一度「失敗したなあ」と悲嘆に暮れた人生ってのを三度もやる気力などあるかねえ。

元劇団員が口癖のように「何が幸せか、いろいろと辛いことはあっても、北朝鮮の貧民に生まれなかったということだけでも、ものスゴイ幸せだと思う。オレは父親として子供にいい聞かせていることは、それだけ」といっていたが、5秒にひとり、子供が死んでいるのが、世界の実情だ。北朝鮮の貧民でなくても、生まれるということが幸せかどうか、ね。

私の住処の両隣は、かたや若い男性、かたや若い女性、が入居しているに関わらず、名前も職業もワカラナイ。月に一度くらいは顔をチラ観することはあるが、要するに、現代、街、生活というのはそういうものだろうと、さほど気にはしていないに関わらず、出かけるときに女性のほうの住処の表を通ると、台所のすりガラスごしに、「もみじおろし」のチューブの箱や、マジックリンのスプレーなどがみえると、『じみへん』みたいに、なんでかホッとはするのだ。両隣、若いひとだから、生活はpoorだろう。こんな家賃のマンション暮らしだもんな。(家賃のわりには、バブル時代の鉄骨ワンルームだから、結構、間取りなんかはいいんだけどね)。データを信じるならば、いまの大学生、あるいは新生活者の両親の賃金は、私がその年齢であった当時より20%低いのだそうだ。どこまで信憑性があるのかどうか、ちょっと声高にはいえないが、女子大生のアルバイトに風俗が増えているらしい。学資稼ぎらしい。大学の学費は高騰しているのだそうだ。私なんかてんぷら(ニセ学生)を二年やらせて頂いて、そんな時代だったから、得したのかなとも思う。しかし、売春やら、ブラック企業のアルバイトまでして、卒業して、〈生活〉を始めてみれば、それはそれで、キツイんだからなあ。「賢く」生きろとは、よういわん。賢く生きようとして失敗すると、「ああ、アホなことした」と気持ち沈むからなあ。だから「狡く」だ。テキトーに狡く生きる。ただし、その営為が他者を犠牲にしているのならダメ(なんでかというと、他者に悪いからというのではなくて、それは自分の気分が塞ぐから、負担になるから、という狡い考えなのだが)、んで、そうしたら失敗しても「狡くはなかったんだ」からいいか、で済むという「狡い」の幾重にもなった生き方やな。誰かて、確定申告するときには、多少のズルはしてる気になる。(けっこう、それは狡いのではなく、カシコイ節税だったりもするのだが)。

まあ、ともかく、人生は一度でエエわ。

 

2016年10月17日 (月)

百姓日記④

人生が一度というのは奇怪しい

 

この前、自分はやりたいこと、やるべきことの9割はやっちゃったので、退屈だと書いた。そういう話を「カレーランチ」と称して、ときどき馴染みの店でランチ(ランチは二種類の自家製カレーしかナイ。あとは喫茶)する、女性の知己(具体的に書くと支障があるので書かないが、私が自分のワガママで、ときどき、駄弁理(だべり)につきあってもらっているだけなのだが)に話したら、9割もやってしまうってスゴイんじゃナイですか。といわれた。あっそうだな、そういう考えもあるのだ。ワリとスゴイことなのかも知れないと思いつつ、志半ばで夭折した友人知己を思い、生き残ってしまって、やりたいことやってしまって、退屈では、その連中に妬まれ恨まれるだろうなあと、逆に心苦しくなった。

ところで「三度目の正直」というコトバがあるが、私はこのコトバの意味をまったく誤解していたことにこないだ気付いた。私はこれを一回、二回失敗しても、三回目に挑んでみる、てなふうに思い込んでいたが、正確には、一回や二回の成功はマグレかも知れない、三度成功して始めて「ほんとう・正直」なのだ、らしい。

しかし、そうすると、一回生きて非業の死、夢成らずの死、若くしての死、は奇怪しいではナイか。人生が一回というのは奇怪しいではないかと、なんだか立腹してしまった。

「三度目の正直」というからには、人生も三度あるべきだ。

 

とはいえ、私としては二度とゴメンだ。

より以前の記事一覧