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カテゴリー「日記・コラム・つぶやき」の記事

2025年2月12日 (水)

nostalgic narrative 58

お待たせしました。と、いうワケではありません。直近五日前にして、COVID-19発症者がひとり。疑いのあるものが、ひとり。なにしろ四人芝居ですから、ひとりでも欠けると稽古にならず、かといって、商業(商品)システム演劇のように代役などというインチキは歩いてきた〈道〉に反することなので、ともかくは、COVID-19の変異による毒性の低下だけが頼りで、本番当日のいわゆる「ぶっつけ」というカタチになりましたが、舞台のクオリティは完成していますから、あとは私の唯一の特権であります「悪運」を信じるしかありませぬ。で、15日本番までは「休み」です。昨晩はその相談に残りの役者とスタッフが劇会場にたまりまして、これから銀行に押し入るというよくある映画のワンシーンのようでした。演劇なんてものは、みんな揃って銀行強盗をヤルという気概、覚悟、道化がナイと出来るものではありません。いつもそのような映画のシーンを観ると、みなさん三日前からは酒を抜くくらいのことはしてらっしゃるのだろうな、と、真面目にふとかんがえたりします。
さて、それはさておき、AIの学習から始まった、鬱病と量子世界との試行(思考)、量子力学(といいましても素人勉強の古典ですが)を齧り始めたときから幾つかの疑問があって、そのうち幾つかはなんとかそれらしい答えに辿り着けましたが、一例をいえば、ダブル・スクリット実験の場合の量子の到達するスクリーンの材質は量子に変化(作用)を与えたりしないのか、とかネ。これは観測理論でやっとわかりました。むかしのことですので、今さらホンを出してきて、確認、説明は面倒なのでヤメますが、未だに謎なのは、ヒトをはじめあらゆる物質が量子で生成、創造されているとするなら、どこからニュートン力学に相転移するのか、なんですが、ぼんやりと〈対称性〉が関係するのではナイだろうかくらいしかおもいつきません。そうなると、私程度の数学の能力では解くのは無理なのですが、概念的にはなんとかなるのではナイかと楽観的にかんがえたりします。
ともかくは、残り少ない生存時間の飯エネルギーの大半はそのなんたらかんたらに費やしていくつもりではありますが、なにしろ満身創痍の心身でござんすゆえ、間に合うのかどうか、ヤってみるしかありません。
芝居のほうはそういう賭博性はアリマセン。博打をするような舞台を創ったりはしません。
ともかくは、役者ふたりの無事なる生還を待っての突然の休憩時間でございます。

2025年1月29日 (水)

nostalgic narrative 57

みえざる読者の諸兄諸姉のみなさまへ。
このブログの作業は私の帰納的演繹的手法でつまりは「思考熟考・試行反省」しつつヤっておりますので、現在は多忙(演劇公演の稽古と本番)と、新しい勉強(「量子もつれ」「民主主義」など)に時間を費やしていますので、書く進捗がナイ状況ではありますが、目指すところは「量子と鬱病の関係」です。ここはぶれておりません。
七十歳を過ぎて、三十代にヤっていたような勉強をまたヤルとは思っていませんでしたが、なるほど、仏となったものが菩薩に戻って再度修行するという譬えもありますなあと、感じております。(別にあたしゃ仏じゃありませんが)。
で、この開店休業状況は、二月いっぱい、確定申告が終わるあたりまでつづくとおもわれます。みえざる読者のみなさまの多大なる「なんか書け」応援には感謝しております。幸いにして日本では、官邸(閣僚・官僚)はインターネットにはタッチしないとかで、その態度は情報が終焉に向かっているいま、正しいとおもわれます。アングロ・サクソン大統領(トランプさんですナ)はSNSバンバンの方ですが、日本にもそういう方はいらっしゃいましたが、いまでは名前すら忘却されていると。保険証とマイカを紐付けないという〈感覚〉の生きている衆生多いうちは、まだまだ大丈夫とだけ、世情(世間)を俯瞰しております。
しかし、幾つになっても勉強することは楽しいですね。同時に読むホンは三十代とは異なって一桁にはなりましたが、鼠算式読書で踏破しております。
ということで、いましばらくホリゾントでお待ち下さい。
 

2024年9月20日 (金)

nostalgic narrative 33

どうもナニか「腑に落ちない」というか「ピントが合わないママ」というか 「消化不良で気持ちが悪い」というか。兵庫県の知事さんと議員さんたちの確執だか争闘のことですが。
実は私も経験があるのです。滋賀県の公共ホールの館長を1年半やりました。けったいな区切りやなとおもうでしょ。知事が(国松さんでしたが)選挙で負けて、政治オタクのおばはんが知事にならはって、それでいわゆる私を公共ホールの館長に推した後ろ楯(ほんとは副知事さんなんですが)いなくなって、突然、出勤したらホールの一室で「いまから企画会議があるから出席を」という報せがあって、いてみたら(行ってみたらの関西訛り)、今年で定年退職やというお方が、なんの権限での発言か知りませんが(たぶん見返りに仕事先の世話でもしてもらったのでしょう)、ホールの職員がほぼ集まっている中で、突然「あんたはもう要らん、ミュージカルももう要らんねん。出ていてくれ」という怒声。けっきょく「あらま、茶番ですか」と、その場でさっさと帰宅しました。いまだにどういう理由で解雇になったのかワカリマセンが、新理事長(県警の事件記者やったお方ですが)のいうことには「わしは、音楽も舞台もよう知らんのやけど、きみは、週に二日しか出勤してなかったそうやな」と、まずボディブローのつもりでしたんやろが、空振りですな。私は名古屋在住でしたから毎日は出勤出来ません。に対して、本部のエライさんが「週に二日でイイから出勤してくれたらイイ」という条件で館長を引き受けたもんですから。それを云いましたら、「きミは、仕事が終わったアト、職員ト、ちょっと呑みにいたりとかせえへんかったンかんかんかっかっか」ときたので「みなさん、自動車通勤ですので、出来ませんね、そういうことは」「飯くらい食えるやろ」そんな予算はアリマセン。予算が無いということでしたら、消防署から防災に対して公共ホールも避難民受け入れの準備をしておけと、お達しがあって、必要な毛布やら自家発電装置やら、食料備蓄やらいろいろ書いたものが送付されてきまして、副館長に「この防災用品を装備する予算はあるのか」と訊いたら「アリマセン」「うちの自家発電は何分くらいもつのか」と問うたら「20分です」「それは燃料の備蓄の問題でしょ」「はい、その通りですが、ガソリンを備蓄ということになると、危険物がドンと置かれることになるので、そういう備蓄置き場を建築しなければなりません」「そんな銭ナイんやろけど、建築しないでホールの地下に置くとかは」「消防署のほうが認めません」おもろいですやろ。消防署が「こう、せえ」というたことを消防署が否定することになるんですから。予算も無いのに企画制作部長が「昨今、稽古場がホール内で不足しておりますので、新しく、駐車場に小ホールを建築する予定ですが」と、平面図を持ってきましたが、ホールの部屋は連日がら空きなので「これはきみ、違法に管理事務所を設置している旧ホールが取り壊しになるので、そこの従業員をこっちで雇いなおす気でいる準備だろ」という問いには「そんなことはしません」といいながらそうなりました。そうそう、ほんのちょっとお気軽に「被差別部落のことなんか全然知りませんね」とインタビューに答えたら、本部の職員が二人して、その手の本(新書とガイドブック)をもてきよりましたナ。うちの祖母の出自が京都の被差別部落やということはだいたいの調べがついていたのですが、これを祖父になおして、ブログを書いたりしましたけど。もちろん、頂いた本はすぐごみ箱です。「きみら、この書物とガイドラインの著者を知っているか、この本を読んだかはしたんでしょうね」に「いいえ」といいよりましたんで。まあ、万事がそういうふうでしたが、私、自身の手腕と使える手練が多くおりますので、そのホールで「こどもミージカル」を公演し150万円の儲け(黒字)出したもんですから、これがアカンかったんですな直截にはネ。滋賀県は子供ミュージカルが盛んで派閥まであるんですナ。で、そんな150万も黒字を出されたぶんには困るひと(フィクサーといのでしょうか) がいてはるんですな。お手紙頂戴しましたネ、その一派閥のカカリのヒトから「滋賀でもっと優れたミュージカルは他にあります。エライひともいてます」とか、書いてましたが。

まあ、この辺にしておきましょ。みな創作です。(ふふ、と笑っておくか。 もう、これは私の中では終わってるからな。創作、創作)
ですから、兵庫のゴタゴタは、あれはいうてみたら似たような茶番だとおもいます。どうも表沙汰になると困る事、人、システムが他にあるのでしょう。で、どこもそれにはアンタッチャブル。ヒョイと知事になった新米のよそ者やらが、それに手をつける前に辞めささなアカン、というのが裏筋でしょう。知らんけど。よくある政治的にガバメントが危ないとき、大物芸人が麻薬で逮捕というアレ。
まあ、メディアにはオモロイ根多ですから煽りまくります。罪なもんですなあ。いくら情報が終焉した時代でも。
次は、ちょっと明るいニュースを書きます。本日は紙数尽きた(というか厭きたので)。国連もそんなに莫迦でも脆弱でもナイ。国連内国連のハナシです。

2024年6月19日 (水)

nostalgic narrative 27

承認欲求 表現主体を他者として自らが読者となることで作品から承認されているという欲求を充足させるひとつの方法論もしくは方法論的実存。演劇現場に置き換えれば、銭を払った(チケット代のことです)観客として舞台を観ることの心理的、心情的優越(ただし批評家的存在としての分析主体が自らでなければならない)
情報の終焉の世界においては承認欲求における承認はすべて無効である 何故ならそれは欲望の成就(充足)であるにしても対象の真贋の基準にはならない コトバを変えれば、正しく自己が承認されているという客観的証左は何処にも無い。表現主体のドクサ(ギリシア語のdoxa. 哲学で、真の知識(エピステーメー)に対し、当人にそう思われているにすぎないこと。 臆見。 思いこみ)つまり表現主体の欲求、欲望だけが表現主体を承認していることになる。
昨今、流行りの語句が「承認欲求」。これは正負両方の意味があるのだが、概ね「負」の意味合いで投じられることが多い。「それは単なるあなたの承認欲求でしょ」とか「あなたは承認欲求してほしいのか」とか「承認欲求しかされないので困っています」とか。
ちょっとマが差してとあるSNSで、さまざまな質問に応えてみたが、そこにも「魔」があり「闇」があった。もちろん、善も好意も光もあったのだ。その「魔」「闇」の質問パターンを「釣り」というのだそうだ。慣れている方々は質問の臭いを嗅ぐかのようにそれを見抜く。見抜いて調べ上げて「釣りだっ」とレッテル。お見事というしかナイ。私はそこまで、ウインドウズ10と親指シフトのキーボードのハイブリッド デバイスを使いこなせない。
「釣り」とは、承認欲求の自己満足における阿漕な仕掛なけのだが、具体的にいうと、回答者が応えそうな質問を質問をして、回答したものに難儀ないいがかりを吹っ掛ける。私の場合は「〇〇の著作の中でどのホンを読めばイイでしょうか」という簡単な質問だったが、私はその〇〇のことは知らないので当然著作も知らない。そこで、そのとおり応答したら、質問者からおもいもかけぬコメントが返ってきた。質問者がいきなりサディストの女王さまに変身された。おぞましいので記さないが、「まるで詐欺のようだ。気をつけないとね」と、別のところでコメントを記すと、質問者の中に出てきた「〇〇」と所属の団体を知っているものがあって、「これでは〇〇と所属団体がかわいそすぎる」とコメントがあった。かわうそ(獺)ではナイ。ベクトルがどちらに向いているかはちょっとワカラナイが、まるで仕込みじゃないかと、疑惑が浮かんだことはプカプカ。とこれで、これでオワリなのかどうか、「釣り」めいた質問には数回出合っているので、そのたびに胸が悪くなったが、かなり慣れたヒトでも「釣り」にかかって、丁寧に答えたところ/いきなり女王/で、回答者にたいして謝罪の要求が幾つもきたことについてネットを調べた結果、その質問者は他でも同様のことをヤっている。ということで、注意喚起が促されていた。そういうヒトに対してはさすがだなあと感心するしかナイ。
翌日、月一通院(定期検診)の「かかりつけ医師」に、これこれでちょっとストレスですよと血圧高めの原因についてを世間話のつもりでしてみたら、「北村さん、そういうところはヤメタほうがいい」と一喝された。「そういうところは、けして〈外〉ではナイんです。〈中〉なんです。中でもがくだけですよ」
なるほど、正しい分析だなとおもった。
が、そこを追ん出るだけでは、私の満身創痍は治まらない。というワケで、流行の「承認欲求」とやらに辿り着いて、私なりにそいつを解釈してみたのが前文だ。
現在、申し訳ナイとはおもうが、半ばそこは離れ、当然回答、応答はしていない。それでも、なんとか応えてもらいたいくらいの質問者を半年ばかり静観するつもりでいる。

2024年6月 9日 (日)

nostalgic narrative 26

/加藤さんは09年、自ら命を絶った。遺書には「世の中は音楽なんて必要としていないし。私にも今は必要もない。創りたくもなくなってしまった」などとつづられていた。松山さんは「レコードからCD、配信へと音楽の形が見えなくなったことで、自分の作ったものが人に届いているのか分からなくなったのではないか」と考える。
「音楽は消耗品で、次から次へと新しいものが求められる。だけど、加藤がいた時代はそうじゃなかった。そのことを少しでも知ってほしいですね」/
これは何だったか、いつも『ベネフィット』というタイトルを付けたメモ・ファイルにして残しておくのだが、どの電子版だったか、日経か毎日か、プレジデントか、ともかくそこに加藤和彦さんのインタビュー・ブックのことが出ていたので、さっそく摘ん読(積ん読ではナイ、ホンを花のように摘むワケです)。読めれば読むというホンで、仕事場にはそういうホンが増えに増えていて、途中まで読んだホンや、気になる部分だけのホンや、目次でヤメタものなどあるのだが、ともかく眼も耳も2~30年前に比べると耐久時間が1/2~1/30になったので、目薬は三種類を適宜使用しているのだが、就寝時などはもう視力がダウンして、ホンを読みながら寝るということなどまったくナイ。
で、そこに紹介されているホンをアマゾって、さっそく届いたのだけど、届いてから早くて三日、ふつうだと一週間くらいしてから、「読む気」になって表紙を開く。ですから、いわゆるプライム会員ではあるのだが、「お急ぎ便」なんてのはまったく必要ナイ。
さて、その気になって、いま数ページ読んだ。加藤さんの少年(中学生)時代あたりのことについてのインタビューだが、テレビでは西部劇の飯(豆の煮たものとコーヒー)のシーンが好きで、ハヤカワ・ミステリは購入し始めて900冊で、落語は三平師匠より志ん生師匠に金歯師匠。まあ、江戸落語だからそうだろう。こっちもたしかに西部劇の飯(豆の煮たものとコーヒー)のシーンが好きで、初めて一人旅で東京にいったとき、そんなふうな店でランチにしようと勇んで入って、品書きが判らず最も安い「オニオンス・ライス」という飯を注文したら、スライスしたタマネギが皿にのって出てきた。飯はアトから出てくるのかとおもったけど、ぜんぜんそうではなかった。という想い出がある。
落語の贔屓は、三代目だ(桂春団治)。江戸落語を聞くようになると、志ん生師匠ではなく圓生師匠(六台目)のほうで、こんなふうにだが相似に驚いた。私のミステリとS.F行脚もハヤカワ・ミステリからで、筒井康隆さんの処女作(『東海道戦争』)もそれで読んでいる。もちろん、海外ミステリの古典傑作『幻の女』なんかもね。
とりあえずは、加藤和彦さんという生粋のロマンチストをしばらくは、ぼちボチ追っていくことにする。

2024年5月12日 (日)

nostalgic narrative 21

〈睡眠〉についてはさまざまなことがいわれている(いろんな説があるということですナ)。で、けっきょくどうなのかというと、私が辿り着いたのは、「どの説、理論でもイイのだ」ということだ。にんげん誰でも眠るものだから、そこには何か普遍性があるのではないかと憶測するのはもっともなことで、統計などとったりもするのだろうが、これが帰納的にはいかない。/睡眠は量より質/といってみたり、/8時間は眠らないと/といってみたり、そうかとおもうと/寝溜めは出来る/になったり、/二度寝はダメ/から/二度寝はしないほうがイイ/だったり、/脳は二時間、身体は四時間の眠りで回復/になったり、つまりはいくら都合良く統計を出してきても、〈睡眠〉に普遍性などナイのだから、それぞれが特殊性を主張しているだけとかんがえたほうが理にかなっている。
簡単にいってしまえば、自分のカラダ(脳を含む)にまかせてしまえばイイということになる。私などは、鬱病のせいで早朝覚醒はしょっちゅうだが、それでも起床は7:00で、夜更かししても起きる時間は同じ。体内時計というものだろう。就寝時間は起床時間に殆ど関係ナイ。昼間、眠くてしょうがなく気絶ばかりしているので、寝てしまうかとベッドに横になるや否や、まったく眠れない。そうかとおもうと、ちょいと休憩とゴロリとなって1時間眠ってしまうこともある。この気絶睡眠も、ほんの数秒の気絶でちゃんと夢はみるのだから、レム睡眠はたいしたものだ。コミックを読みつつの気絶はコミックのつづきを夢でかってに創ってみている。これもほんの数秒。ラジオの音楽はすっ飛んでMCの部分のところだけ目が覚め、また気絶、夢、というサイクルもめずらしくはナイ。
さて、また、眠くな ってきた。書きたいことは山ほどあるのだが(スマホ詐欺とか、SNSのこととか、七十は浦島太郎か少女アリスかとか)、いまは川だか谷だかにいるので、ボチボチということになる。

2024年4月11日 (木)

nostalgic narrative 18

大谷に〈疑惑〉とやらを移して、かのJapanの極めて優れたスポーツマン(だけどちょっとバカ正直)の素行に味噌をつけようというレールを敷こうとした米国メディアの思惑(策略)は、当方が他の仕事をしているあいだに、ハズレの籤を引いて自滅したようだ。
/水原氏がなぜ口座にアクセスできたのかは謎のままだ/って、当初からそんなことは出来るのだと、賭博関係者は語っていたし、銀行のほうはそーいうことについてはあんまり喋れないのだが、出来ることはワカッテいたようだし、かくなるプロスポーツ賭博は米国では日常的に、日本における競馬の「ノミ屋」のように頻繁にやられている。
これがイエロー・カラッドの事件だったもんだから、ここぞとばかりに白人メディアがいっちょ噛みしたワケで、やっぱ戦争に負けるということは、こういうところまで属国蔑視アジアン差別になるのだということがワカッタということのほうが大きい。
締めくくりとして、昨今の記事を丸写しして貼り付けておく。
/米紙ニューヨーク・タイムズ電子版は10日(日本時間11日)、水原氏が「罪を認める方向」だと伝えた。同紙は「大谷翔平の元通訳で、大谷の銀行口座から数百万ドルを盗み、違法なブックメーカーへの借金を支払ったとの疑惑で先月末に解雇された水原一平氏が、窃盗に関連した連邦犯罪を認める方向で交渉中であることが、この問題に詳しい3人の関係者の話で明らかになった」とリポート。また、その関係者によると「検察当局は、水原氏は当初告発された450万ドル以上の金を盗んだ可能性がある証拠をつかんだという。また、水原が大谷の銀行口座の設定を変更し、大谷が取引に関する通知や確認を受け取らないようにすることができたという証拠をつかんだと考えている」と、送金の手口も明らかになっている可能性を伝えた。
同紙は、この一連の問題が「急速に結論に近づいている」とし「水原が連邦判事の前で罪を認めれば、大谷が2週間前の会見で説明した内容を裏付けることになるかもしれない」と、水原氏のギャンブル依存や送金について一切知らなかったと説明した大谷の発言が真実だったことが証明されるとした。/
だけんども、野球(baseball)をご当地アメリカで観戦(テレビ含む)ひとは人口でいえば20%。大谷を知っているひとは、5%程度だろうというのがスポーツ通の辛口で、米国人はバスケやアメフトのほうを観ているのだそうだ。

nostalgic narrative 17

まとめてみると、
とかいいつつ、記事の丸写しなんだけど。
/米大リーグ、ドジャースの大谷翔平選手(29)の通訳だった水原一平氏(39)による違法賭博疑惑で、大谷選手が25日(日本時間26日)、球団の本拠地ロサンゼルスのドジャースタジアムで報道陣に声明を読み上げた。大谷選手は、水原氏について「結論から言うと、彼が僕の口座からお金を盗んで、なおかつ、皆にうそをついていた」と述べ、違法賭博への関与を否定。「誰かに代わって賭けたり、頼んだりということはないですし、口座からブックメーカーに対して送金をしたことはありません」とも述べた。
米スポーツ専門局ESPNなどによると、水原氏は米西部カリフォルニア州のブックメーカー(賭け屋)に借金があり、大谷選手の銀行口座から少なくとも450万ドル(約6億8000万円)の送金があったとされる。この送金が違法な賭け屋への送金だと認識していたのかが注目されていた。
水原氏はESPNの取材に対し、大谷選手が借金返済の肩代わりをしたと説明。ただ「違法なものかは聞いてこなかった」という。水原氏はその後、大谷選手の代理人が所属する法律事務所が「(大谷選手は)大規模な窃盗の被害にあっていた」と表明すると、ESPNに「うそをついていた」と述べ、大谷選手は借金について知らなかったと発言を覆していた。
大谷選手は25日の説明で、賭博への自身の関与を全面否定した。その上で、賭け屋に送金したことも、誰かに送金を依頼したこともないと強調し、水原氏が勝手に自身の口座にアクセスしていたと説明した。送金自体も「全く知らなかった」と述べた。
ただ、水原氏がどうやって口座の暗証番号を知ったのか、大谷選手がなぜ巨額の送金に気づかなかったのか、といった点は説明されなかった。水原氏が生活サポートの一環として、一定の金額が入った口座にアクセスできた可能性や、ひそかに暗証番号などの情報を盗んだ可能性もあるが、不明点は残ったままだ。
米大リーグ、ドジャースの大谷翔平選手(29)は25日(日本時間26日)、通訳だった水原一平氏(39)による違法賭博疑惑について報道陣に説明した。水原氏が大谷選手の口座に「勝手にアクセスし、送金した」と語ったが、水原氏がなぜ口座にアクセスできたのかは謎のままだ。ブックメーカー(賭け屋)には、大谷選手の口座から少なくとも450万ドル(約6億8000万円)の送金があった。/
というふうです。以上の事実関係を整理して推理するにおいては、大谷選手は「シロ」ですね。

2024年3月25日 (月)

nostalgic narrative 16

承前
/「地震の発生確率」はまったくあてにならない
今村論文が発表されてから90年間検証されていなかった元データに小沢記者、そして橋本氏がメスを入れ、科学の基本でもあるデータの精度を確かめた功績は大きい。この先、南海トラフの発生確率の算出方法が見直しされる可能性はあるのか。小沢記者は「懐疑的ですね」と答える。「それを問う以前に、発生確率を基に作っている全国地震動予測地図を出すことの意義がない。このところ、むしろ確率の低いとされてきた地域で地震が発生していることが、それを示しています」
今年1月1日に最大震度7を観測した能登地震も、2020年時点で今後30年内に震度6弱以上の揺れが起きる確率を「0.1~3%未満」と評価されていた。石川県はこの長期評価に基づき、確率が低いことをPRして企業誘致していたことも判明している。/
~つまり、確率評価を信じてしまうと、南海トラフ沿いの地域や首都圏以外は『安全』と国民に誤解されることになる。まさに、誤解されていると主筆はおもうネ。イイカゲンな科学は非科学的新興宗教よりキケンなのだ。あのな、この国に「安全」なんかはナイのよ。~
さてと、地震関連のウソ、フェイクはここまで、次回は、何だか錯綜というより錯乱している、大リーグ賭博、大谷結婚おめでとうドタバタしている間にギャンブルの奈落へと、の事態へと賢兄姉をいざなうことにしたい。

2024年3月24日 (日)

nostalgic narrative 15

つづけますぞ~
/「21世紀中に地震が起きる」では防災しにくい
そもそも2001年に時間予測モデルを採用するに至った意思決定プロセスも、同様の流れだった。当事者の委員たちは当時、時間予測モデル、30年確率の意思決定についてどう考えていたのか? 小沢記者は関係者たちに取材する。/~このあたりから核心がみえてくる。科学的問題が政治的問題にすり替えられるという、いつもの奥にだ。~
/2001年に時間予測モデルを推した委員は「危機が迫っていると言うと、予算を取りやすい環境でもあった」と、南海トラフが「予算獲得の打ち出の小づち」だったことを告白。また、同年に時間予測モデルの採用を最終決断した地震調査委員長は、「元は21世紀中に地震が起きる可能性が高いという程度の表現だったが、それだと防災につながらないと考え、切迫性のある確率を出すように提案した」と真相を語った。どの学者も今の段階では、時間予測モデルを採用しないと一様に答えているのだ。/~冗談じゃねえナ。当初はなんと21世紀中という長い尺の予想だったんだから。~
/ブラックボックスとなっている国土強靭化計画
一方、2013年当時の事務局側の担当者は、地震調査推進本部委員長、分科会トップ、事務局の「御前会議」で事前に時間予測モデルが落としどころになると示し合わせた、と証言する。2013年評価の政策委員会総合部会に委員として参加した現委員長は、「30年確率はすごく重要な数字で、それなりの影響力があるんです。数字が下がる意味は大きい。国土強靭化きょうじんか計画の話を含めて、いろいろなものがストップされることになる」と小沢記者に話した。国土強靭化計画とは、地震発生確率や被害想定が公表された2012年に自民党が議員立法として提出、翌年成立した政策で、南海トラフや首都直下地震などに備え、交通網の整備などの公共事業に10年間で200兆円を充てるとして始まった計画だ。2024年度の予算案は5兆2201億円。南海トラフや首都直下地震の防災対策にいくら割り振られるかなど詳細は明らかになっていない。/~「30年確率はすごく重要な数字」、そりゃそうだろう。ほぼ生きているうちに巨大地震が来るってんだからナ~
/高知にある江戸時代の古文書を追った理由
科学的根拠に基づいて算出されていると思っていた確率が、政治的な決められ方をしていた実態が議事録、そして取材から明らかになっていく。小沢記者は、京都大防災研究所の橋本学教授(現・東京電機大理工学部特任教授)から重要な話を聞いた。「時間予測モデルが基にしたデータは検証されていない。元々のデータの取り扱いにかなり問題がある」というのだ。1980年に時間予測モデルを提唱した島崎邦彦東大名誉教授は、関東大震災の発生を事前に警告したことで知られている旧東京帝大の今村明恒教授の論文を基に、確率を算出した。橋本氏いわく、今村教授の論文は室津港を管理していた江戸時代の役人が残した古文書の記録を基にしている。/~これは以前、私もこのブログに書いた記憶があるのだけれど。~/江戸時代の測量法は、船の上から竹竿をさすやり方で室津港の水深を調べたと考えられ、数値は正確なものではなかったはずだ、とデータの不確かさを示唆。時間予測モデルはこの段階で破綻していたのではないだろうか?高知にあるといわれている古文書を追った小沢記者は、橋本研究チームの協力を得て、検証を進めていく。今村論文の原典となった古文書は、江戸時代に港を管理していた久保野家に保管されていた。中でも「室戸港沿革史」と呼ばれる古文書は、時間予測モデルのデータの正確性を解き明かす記録の宝庫だった。室戸は地震が起きるたびに隆起するため、港の水深が浅くなり、そのたびに港の掘り下げ工事が行われていた歴史があった。それを示す室津港の水深の測量記録のほか、港の工事に動員した労働者や海底を掘削する道具の記録、港の呼び名や地名の名前の由来にもなる工事の歴史が残っていた。さまざまな証拠から、今村論文が基にしたという江戸時代の港の水深は、地震後に掘り下げ工事が行われ、港の水深が人工的に深くなった時の数値だった可能性が判明する。島崎モデルが基にした今村論文のデータは不正確だった。つまり、時間予測モデルは最初から破綻していたのだ。/~であるのだ。しかしながら、南海トラフ巨大地震の話題はいまもなお、一人歩きどころか、文字通り「津波のように」私が「そんな地震は無い」といったトタンにブリキ、「おまえ、大丈夫か」とヤって来る。
この項、つづく

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