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カテゴリー「日記・コラム・つぶやき」の記事

2024年6月19日 (水)

nostalgic narrative 27

承認欲求 表現主体を他者として自らが読者となることで作品から承認されているという欲求を充足させるひとつの方法論もしくは方法論的実存。演劇現場に置き換えれば、銭を払った(チケット代のことです)観客として舞台を観ることの心理的、心情的優越(ただし批評家的存在としての分析主体が自らでなければならない)
情報の終焉の世界においては承認欲求における承認はすべて無効である 何故ならそれは欲望の成就(充足)であるにしても対象の真贋の基準にはならない コトバを変えれば、正しく自己が承認されているという客観的証左は何処にも無い。表現主体のドクサ(ギリシア語のdoxa. 哲学で、真の知識(エピステーメー)に対し、当人にそう思われているにすぎないこと。 臆見。 思いこみ)つまり表現主体の欲求、欲望だけが表現主体を承認していることになる。
昨今、流行りの語句が「承認欲求」。これは正負両方の意味があるのだが、概ね「負」の意味合いで投じられることが多い。「それは単なるあなたの承認欲求でしょ」とか「あなたは承認欲求してほしいのか」とか「承認欲求しかされないので困っています」とか。
ちょっとマが差してとあるSNSで、さまざまな質問に応えてみたが、そこにも「魔」があり「闇」があった。もちろん、善も好意も光もあったのだ。その「魔」「闇」の質問パターンを「釣り」というのだそうだ。慣れている方々は質問の臭いを嗅ぐかのようにそれを見抜く。見抜いて調べ上げて「釣りだっ」とレッテル。お見事というしかナイ。私はそこまで、ウインドウズ10と親指シフトのキーボードのハイブリッド デバイスを使いこなせない。
「釣り」とは、承認欲求の自己満足における阿漕な仕掛なけのだが、具体的にいうと、回答者が応えそうな質問を質問をして、回答したものに難儀ないいがかりを吹っ掛ける。私の場合は「〇〇の著作の中でどのホンを読めばイイでしょうか」という簡単な質問だったが、私はその〇〇のことは知らないので当然著作も知らない。そこで、そのとおり応答したら、質問者からおもいもかけぬコメントが返ってきた。質問者がいきなりサディストの女王さまに変身された。おぞましいので記さないが、「まるで詐欺のようだ。気をつけないとね」と、別のところでコメントを記すと、質問者の中に出てきた「〇〇」と所属の団体を知っているものがあって、「これでは〇〇と所属団体がかわいそすぎる」とコメントがあった。かわうそ(獺)ではナイ。ベクトルがどちらに向いているかはちょっとワカラナイが、まるで仕込みじゃないかと、疑惑が浮かんだことはプカプカ。とこれで、これでオワリなのかどうか、「釣り」めいた質問には数回出合っているので、そのたびに胸が悪くなったが、かなり慣れたヒトでも「釣り」にかかって、丁寧に答えたところ/いきなり女王/で、回答者にたいして謝罪の要求が幾つもきたことについてネットを調べた結果、その質問者は他でも同様のことをヤっている。ということで、注意喚起が促されていた。そういうヒトに対してはさすがだなあと感心するしかナイ。
翌日、月一通院(定期検診)の「かかりつけ医師」に、これこれでちょっとストレスですよと血圧高めの原因についてを世間話のつもりでしてみたら、「北村さん、そういうところはヤメタほうがいい」と一喝された。「そういうところは、けして〈外〉ではナイんです。〈中〉なんです。中でもがくだけですよ」
なるほど、正しい分析だなとおもった。
が、そこを追ん出るだけでは、私の満身創痍は治まらない。というワケで、流行の「承認欲求」とやらに辿り着いて、私なりにそいつを解釈してみたのが前文だ。
現在、申し訳ナイとはおもうが、半ばそこは離れ、当然回答、応答はしていない。それでも、なんとか応えてもらいたいくらいの質問者を半年ばかり静観するつもりでいる。

2024年6月 9日 (日)

nostalgic narrative 26

/加藤さんは09年、自ら命を絶った。遺書には「世の中は音楽なんて必要としていないし。私にも今は必要もない。創りたくもなくなってしまった」などとつづられていた。松山さんは「レコードからCD、配信へと音楽の形が見えなくなったことで、自分の作ったものが人に届いているのか分からなくなったのではないか」と考える。
「音楽は消耗品で、次から次へと新しいものが求められる。だけど、加藤がいた時代はそうじゃなかった。そのことを少しでも知ってほしいですね」/
これは何だったか、いつも『ベネフィット』というタイトルを付けたメモ・ファイルにして残しておくのだが、どの電子版だったか、日経か毎日か、プレジデントか、ともかくそこに加藤和彦さんのインタビュー・ブックのことが出ていたので、さっそく摘ん読(積ん読ではナイ、ホンを花のように摘むワケです)。読めれば読むというホンで、仕事場にはそういうホンが増えに増えていて、途中まで読んだホンや、気になる部分だけのホンや、目次でヤメタものなどあるのだが、ともかく眼も耳も2~30年前に比べると耐久時間が1/2~1/30になったので、目薬は三種類を適宜使用しているのだが、就寝時などはもう視力がダウンして、ホンを読みながら寝るということなどまったくナイ。
で、そこに紹介されているホンをアマゾって、さっそく届いたのだけど、届いてから早くて三日、ふつうだと一週間くらいしてから、「読む気」になって表紙を開く。ですから、いわゆるプライム会員ではあるのだが、「お急ぎ便」なんてのはまったく必要ナイ。
さて、その気になって、いま数ページ読んだ。加藤さんの少年(中学生)時代あたりのことについてのインタビューだが、テレビでは西部劇の飯(豆の煮たものとコーヒー)のシーンが好きで、ハヤカワ・ミステリは購入し始めて900冊で、落語は三平師匠より志ん生師匠に金歯師匠。まあ、江戸落語だからそうだろう。こっちもたしかに西部劇の飯(豆の煮たものとコーヒー)のシーンが好きで、初めて一人旅で東京にいったとき、そんなふうな店でランチにしようと勇んで入って、品書きが判らず最も安い「オニオンス・ライス」という飯を注文したら、スライスしたタマネギが皿にのって出てきた。飯はアトから出てくるのかとおもったけど、ぜんぜんそうではなかった。という想い出がある。
落語の贔屓は、三代目だ(桂春団治)。江戸落語を聞くようになると、志ん生師匠ではなく圓生師匠(六台目)のほうで、こんなふうにだが相似に驚いた。私のミステリとS.F行脚もハヤカワ・ミステリからで、筒井康隆さんの処女作(『東海道戦争』)もそれで読んでいる。もちろん、海外ミステリの古典傑作『幻の女』なんかもね。
とりあえずは、加藤和彦さんという生粋のロマンチストをしばらくは、ぼちボチ追っていくことにする。

2024年5月12日 (日)

nostalgic narrative 21

〈睡眠〉についてはさまざまなことがいわれている(いろんな説があるということですナ)。で、けっきょくどうなのかというと、私が辿り着いたのは、「どの説、理論でもイイのだ」ということだ。にんげん誰でも眠るものだから、そこには何か普遍性があるのではないかと憶測するのはもっともなことで、統計などとったりもするのだろうが、これが帰納的にはいかない。/睡眠は量より質/といってみたり、/8時間は眠らないと/といってみたり、そうかとおもうと/寝溜めは出来る/になったり、/二度寝はダメ/から/二度寝はしないほうがイイ/だったり、/脳は二時間、身体は四時間の眠りで回復/になったり、つまりはいくら都合良く統計を出してきても、〈睡眠〉に普遍性などナイのだから、それぞれが特殊性を主張しているだけとかんがえたほうが理にかなっている。
簡単にいってしまえば、自分のカラダ(脳を含む)にまかせてしまえばイイということになる。私などは、鬱病のせいで早朝覚醒はしょっちゅうだが、それでも起床は7:00で、夜更かししても起きる時間は同じ。体内時計というものだろう。就寝時間は起床時間に殆ど関係ナイ。昼間、眠くてしょうがなく気絶ばかりしているので、寝てしまうかとベッドに横になるや否や、まったく眠れない。そうかとおもうと、ちょいと休憩とゴロリとなって1時間眠ってしまうこともある。この気絶睡眠も、ほんの数秒の気絶でちゃんと夢はみるのだから、レム睡眠はたいしたものだ。コミックを読みつつの気絶はコミックのつづきを夢でかってに創ってみている。これもほんの数秒。ラジオの音楽はすっ飛んでMCの部分のところだけ目が覚め、また気絶、夢、というサイクルもめずらしくはナイ。
さて、また、眠くな ってきた。書きたいことは山ほどあるのだが(スマホ詐欺とか、SNSのこととか、七十は浦島太郎か少女アリスかとか)、いまは川だか谷だかにいるので、ボチボチということになる。

2024年4月11日 (木)

nostalgic narrative 18

大谷に〈疑惑〉とやらを移して、かのJapanの極めて優れたスポーツマン(だけどちょっとバカ正直)の素行に味噌をつけようというレールを敷こうとした米国メディアの思惑(策略)は、当方が他の仕事をしているあいだに、ハズレの籤を引いて自滅したようだ。
/水原氏がなぜ口座にアクセスできたのかは謎のままだ/って、当初からそんなことは出来るのだと、賭博関係者は語っていたし、銀行のほうはそーいうことについてはあんまり喋れないのだが、出来ることはワカッテいたようだし、かくなるプロスポーツ賭博は米国では日常的に、日本における競馬の「ノミ屋」のように頻繁にやられている。
これがイエロー・カラッドの事件だったもんだから、ここぞとばかりに白人メディアがいっちょ噛みしたワケで、やっぱ戦争に負けるということは、こういうところまで属国蔑視アジアン差別になるのだということがワカッタということのほうが大きい。
締めくくりとして、昨今の記事を丸写しして貼り付けておく。
/米紙ニューヨーク・タイムズ電子版は10日(日本時間11日)、水原氏が「罪を認める方向」だと伝えた。同紙は「大谷翔平の元通訳で、大谷の銀行口座から数百万ドルを盗み、違法なブックメーカーへの借金を支払ったとの疑惑で先月末に解雇された水原一平氏が、窃盗に関連した連邦犯罪を認める方向で交渉中であることが、この問題に詳しい3人の関係者の話で明らかになった」とリポート。また、その関係者によると「検察当局は、水原氏は当初告発された450万ドル以上の金を盗んだ可能性がある証拠をつかんだという。また、水原が大谷の銀行口座の設定を変更し、大谷が取引に関する通知や確認を受け取らないようにすることができたという証拠をつかんだと考えている」と、送金の手口も明らかになっている可能性を伝えた。
同紙は、この一連の問題が「急速に結論に近づいている」とし「水原が連邦判事の前で罪を認めれば、大谷が2週間前の会見で説明した内容を裏付けることになるかもしれない」と、水原氏のギャンブル依存や送金について一切知らなかったと説明した大谷の発言が真実だったことが証明されるとした。/
だけんども、野球(baseball)をご当地アメリカで観戦(テレビ含む)ひとは人口でいえば20%。大谷を知っているひとは、5%程度だろうというのがスポーツ通の辛口で、米国人はバスケやアメフトのほうを観ているのだそうだ。

nostalgic narrative 17

まとめてみると、
とかいいつつ、記事の丸写しなんだけど。
/米大リーグ、ドジャースの大谷翔平選手(29)の通訳だった水原一平氏(39)による違法賭博疑惑で、大谷選手が25日(日本時間26日)、球団の本拠地ロサンゼルスのドジャースタジアムで報道陣に声明を読み上げた。大谷選手は、水原氏について「結論から言うと、彼が僕の口座からお金を盗んで、なおかつ、皆にうそをついていた」と述べ、違法賭博への関与を否定。「誰かに代わって賭けたり、頼んだりということはないですし、口座からブックメーカーに対して送金をしたことはありません」とも述べた。
米スポーツ専門局ESPNなどによると、水原氏は米西部カリフォルニア州のブックメーカー(賭け屋)に借金があり、大谷選手の銀行口座から少なくとも450万ドル(約6億8000万円)の送金があったとされる。この送金が違法な賭け屋への送金だと認識していたのかが注目されていた。
水原氏はESPNの取材に対し、大谷選手が借金返済の肩代わりをしたと説明。ただ「違法なものかは聞いてこなかった」という。水原氏はその後、大谷選手の代理人が所属する法律事務所が「(大谷選手は)大規模な窃盗の被害にあっていた」と表明すると、ESPNに「うそをついていた」と述べ、大谷選手は借金について知らなかったと発言を覆していた。
大谷選手は25日の説明で、賭博への自身の関与を全面否定した。その上で、賭け屋に送金したことも、誰かに送金を依頼したこともないと強調し、水原氏が勝手に自身の口座にアクセスしていたと説明した。送金自体も「全く知らなかった」と述べた。
ただ、水原氏がどうやって口座の暗証番号を知ったのか、大谷選手がなぜ巨額の送金に気づかなかったのか、といった点は説明されなかった。水原氏が生活サポートの一環として、一定の金額が入った口座にアクセスできた可能性や、ひそかに暗証番号などの情報を盗んだ可能性もあるが、不明点は残ったままだ。
米大リーグ、ドジャースの大谷翔平選手(29)は25日(日本時間26日)、通訳だった水原一平氏(39)による違法賭博疑惑について報道陣に説明した。水原氏が大谷選手の口座に「勝手にアクセスし、送金した」と語ったが、水原氏がなぜ口座にアクセスできたのかは謎のままだ。ブックメーカー(賭け屋)には、大谷選手の口座から少なくとも450万ドル(約6億8000万円)の送金があった。/
というふうです。以上の事実関係を整理して推理するにおいては、大谷選手は「シロ」ですね。

2024年3月25日 (月)

nostalgic narrative 16

承前
/「地震の発生確率」はまったくあてにならない
今村論文が発表されてから90年間検証されていなかった元データに小沢記者、そして橋本氏がメスを入れ、科学の基本でもあるデータの精度を確かめた功績は大きい。この先、南海トラフの発生確率の算出方法が見直しされる可能性はあるのか。小沢記者は「懐疑的ですね」と答える。「それを問う以前に、発生確率を基に作っている全国地震動予測地図を出すことの意義がない。このところ、むしろ確率の低いとされてきた地域で地震が発生していることが、それを示しています」
今年1月1日に最大震度7を観測した能登地震も、2020年時点で今後30年内に震度6弱以上の揺れが起きる確率を「0.1~3%未満」と評価されていた。石川県はこの長期評価に基づき、確率が低いことをPRして企業誘致していたことも判明している。/
~つまり、確率評価を信じてしまうと、南海トラフ沿いの地域や首都圏以外は『安全』と国民に誤解されることになる。まさに、誤解されていると主筆はおもうネ。イイカゲンな科学は非科学的新興宗教よりキケンなのだ。あのな、この国に「安全」なんかはナイのよ。~
さてと、地震関連のウソ、フェイクはここまで、次回は、何だか錯綜というより錯乱している、大リーグ賭博、大谷結婚おめでとうドタバタしている間にギャンブルの奈落へと、の事態へと賢兄姉をいざなうことにしたい。

2024年3月24日 (日)

nostalgic narrative 15

つづけますぞ~
/「21世紀中に地震が起きる」では防災しにくい
そもそも2001年に時間予測モデルを採用するに至った意思決定プロセスも、同様の流れだった。当事者の委員たちは当時、時間予測モデル、30年確率の意思決定についてどう考えていたのか? 小沢記者は関係者たちに取材する。/~このあたりから核心がみえてくる。科学的問題が政治的問題にすり替えられるという、いつもの奥にだ。~
/2001年に時間予測モデルを推した委員は「危機が迫っていると言うと、予算を取りやすい環境でもあった」と、南海トラフが「予算獲得の打ち出の小づち」だったことを告白。また、同年に時間予測モデルの採用を最終決断した地震調査委員長は、「元は21世紀中に地震が起きる可能性が高いという程度の表現だったが、それだと防災につながらないと考え、切迫性のある確率を出すように提案した」と真相を語った。どの学者も今の段階では、時間予測モデルを採用しないと一様に答えているのだ。/~冗談じゃねえナ。当初はなんと21世紀中という長い尺の予想だったんだから。~
/ブラックボックスとなっている国土強靭化計画
一方、2013年当時の事務局側の担当者は、地震調査推進本部委員長、分科会トップ、事務局の「御前会議」で事前に時間予測モデルが落としどころになると示し合わせた、と証言する。2013年評価の政策委員会総合部会に委員として参加した現委員長は、「30年確率はすごく重要な数字で、それなりの影響力があるんです。数字が下がる意味は大きい。国土強靭化きょうじんか計画の話を含めて、いろいろなものがストップされることになる」と小沢記者に話した。国土強靭化計画とは、地震発生確率や被害想定が公表された2012年に自民党が議員立法として提出、翌年成立した政策で、南海トラフや首都直下地震などに備え、交通網の整備などの公共事業に10年間で200兆円を充てるとして始まった計画だ。2024年度の予算案は5兆2201億円。南海トラフや首都直下地震の防災対策にいくら割り振られるかなど詳細は明らかになっていない。/~「30年確率はすごく重要な数字」、そりゃそうだろう。ほぼ生きているうちに巨大地震が来るってんだからナ~
/高知にある江戸時代の古文書を追った理由
科学的根拠に基づいて算出されていると思っていた確率が、政治的な決められ方をしていた実態が議事録、そして取材から明らかになっていく。小沢記者は、京都大防災研究所の橋本学教授(現・東京電機大理工学部特任教授)から重要な話を聞いた。「時間予測モデルが基にしたデータは検証されていない。元々のデータの取り扱いにかなり問題がある」というのだ。1980年に時間予測モデルを提唱した島崎邦彦東大名誉教授は、関東大震災の発生を事前に警告したことで知られている旧東京帝大の今村明恒教授の論文を基に、確率を算出した。橋本氏いわく、今村教授の論文は室津港を管理していた江戸時代の役人が残した古文書の記録を基にしている。/~これは以前、私もこのブログに書いた記憶があるのだけれど。~/江戸時代の測量法は、船の上から竹竿をさすやり方で室津港の水深を調べたと考えられ、数値は正確なものではなかったはずだ、とデータの不確かさを示唆。時間予測モデルはこの段階で破綻していたのではないだろうか?高知にあるといわれている古文書を追った小沢記者は、橋本研究チームの協力を得て、検証を進めていく。今村論文の原典となった古文書は、江戸時代に港を管理していた久保野家に保管されていた。中でも「室戸港沿革史」と呼ばれる古文書は、時間予測モデルのデータの正確性を解き明かす記録の宝庫だった。室戸は地震が起きるたびに隆起するため、港の水深が浅くなり、そのたびに港の掘り下げ工事が行われていた歴史があった。それを示す室津港の水深の測量記録のほか、港の工事に動員した労働者や海底を掘削する道具の記録、港の呼び名や地名の名前の由来にもなる工事の歴史が残っていた。さまざまな証拠から、今村論文が基にしたという江戸時代の港の水深は、地震後に掘り下げ工事が行われ、港の水深が人工的に深くなった時の数値だった可能性が判明する。島崎モデルが基にした今村論文のデータは不正確だった。つまり、時間予測モデルは最初から破綻していたのだ。/~であるのだ。しかしながら、南海トラフ巨大地震の話題はいまもなお、一人歩きどころか、文字通り「津波のように」私が「そんな地震は無い」といったトタンにブリキ、「おまえ、大丈夫か」とヤって来る。
この項、つづく

2024年3月21日 (木)

nostalgic narrative 14

つづき。
~関東で深度5弱の地震があった。SNSは首都直下の活断層地震の話題で持ちきりだそうだ。しかし、「専門家」は~今度の地震は首都直下の活断層地震とはちょくせつ結びつくものではナイというてる。ほんなん、なあ。能登の地震なんか発生率が専門家のデータでなんぼやったかおもいだしてみいや。と、主筆は脅すのである。もとより陰謀論など信ずる者ではナイが、安倍暗殺からこっち若手議員のSMパーティーまで、なんや知らんけど誰かが絵を描いているみたいやんけ。さて、南海トラフのほうのつづきです。~
/行政の都合で科学的エビデンスがねじ曲げられた?
2013年当時の検討会議で地震学者らが問題視していたのは、時間予測モデルの基になったデータの信憑性にあった。それは、高知・室津港1カ所の隆起量だけで、静岡から九州沖にも及ぶ南海トラフ地震の発生時期は予測できないという点などだ。仮に20%への改訂が無理なのであれば、報告書に70%と20%を併記する形で書くことを地震学者らは提案したが、それも最終決定を下した政策委員会の会議の場で消されたという。「確率を下げると『安全宣言』と取られる」「防災予算が獲得できなくなる」というのが行政・防災側の主張だった。国土強靭化計画の予算(南海トラフ地震、首都直下地震対策などを含む)は2013年度から2023年度までに約57兆円、地震調査研究関係予算は年間100億円(2023年度概算要求額)が使われている。行政・防災側の主張はこうした予算との関連性も見え隠れする。鷺谷教授は「確率の決定の経緯はマスコミに知られることを恐れて、表に出ていない話。だが、当時の議事録を調べれば、わかるはず」という。小沢記者は、その言葉を手掛かりに、裏付け取材をスタートさせた。/~小沢記者、粘るんやな。しかし~
/発生確率が下がることは「けしからん」
文科省に情報公開請求をして届いた2001年、2012~2013年の複数の議事録は、「爆弾発言」が飛び交っていた。鷲谷氏の説明通りのことが会議で起きていたことを、小沢さんは掴む。2013年評価が決定される前年には、海溝型分科会の委員らは時間予測モデルをやめて、確率が20%程度に下がっても単純平均モデルを使う方向で意見をまとめていた。だが、政策委員会との合同部会では、会議を重ねるごとに、分科会側が政策委員会側に譲歩していく様子が議事録から見て取れた。防災行政側の委員らは「(確率を下げれば、)『税金を優先的に投入して対策を練る必要はない』と集中砲火を浴びることになる」「こんなこと(確率の引き下げ)を言われたら(予算獲得の取り組み)根底から覆る」と反論。予算ありきの防災行政側。それに食い下がる学者側の、せめて「参考値」として低確率を載せるという提案にも「(低確率を出したら)こんなに下がる確率と新聞の見出しに取られると覚悟して」と脅しにも似た発言が飛び出した。一部学者が「低い数値を隠したという風に国民に思われる」と抵抗するも、「一度登ったはしごは降りられない」と徐々に押し切られ、政策委員会の意向に従う結果となった。/~まだ、つづきまっせ。他人の褌でしばらく相撲とりますわ。~

2024年3月18日 (月)

nostalgic narrative 13

いろいろなウソが暴かれていく。と、ともに私たちは阿呆だったということに気付かされていくようで、吐き気がする。
ほんとうのことの少しくらいはあるだろう。と、気を取り直す、しかナイ。
アメリカ合衆国の民主主義とやらは最も大きなウソだろう。亜米利加の役者がアジアンの人々(役者)を差別視してきたことはアカデミー賞の授賞式で明確になった。まあ、何処といえ、私たちのような職種の者は河原者にはチガイないということだ。演劇(舞台)はもういいや。やるべきこと、やりたいことはヤったカラナ。アトは余生(余計な人生)の趣味にしていけばイイとするか。北村想を仕事にしていくのも厭きてきたからな。
さて、ウソのデカイのを以前から私がいっていたとおり朗かにしてくれか記事があるので、それを何回かに分けて紹介していく。南海トラフ地震の大嘘だ。エネーチケーなんかは狡いから昨今はこの名称はほぼ使わないようになった。巨大地震というふうにはいってるときはあるけどナ。購入している毎日新聞の電子番から、違法コピペにちょいと手を入れて、と。
/「他の地域とは違う計算式を使っているから、全国で統一された計算式を使うと、確率は20%に落ちるんだよ。地震学者たちはあれを『信頼できない数値』だと考えている。あれは科学と言ってはいけない」~これこれ、このニュースを私はかなり以前にネットで読んでいる。これは、邪馬台国論争ともよく似ている。卑弥呼の邪馬台国が何処にあったかはもうずいぶん以前に判明しているのだ。ただ学会にもイロイロ事情があるだけだ。いまだに古代文明は四つだけだと教えているガッコの教師がいるのと同じ。~/これがスクープのはじまりだった。南海トラフだけに使われる「時間予測モデル」/鷺谷教授は、2013年に南海トラフの確率の算出方法を見直すことを検討していた地震調査委員会海溝型分科会の委員を務め、長期評価に関わっていた。その後、政府の委員を辞し、さらには地震学会のしがらみからも一線を引き、地震科学を追求する一科学者としての立場を自ら選んだ人だった。その人物の発言には重みがあった。当時の地震調査委員会で地震学者たちは、全国で統一された計算方法を使って南海トラフの発生確率を20%に改訂する案を推していた。だが、分科会より上位にある政策委員会が「いまさら数値を下げるのはけしからん」と猛反発。地震学者たちがまとめた意見は一蹴された。/~偉いセンセイがいるとこうなる。エビデンスがどうのという問題ではなく、意地と見得と矜持だけのことなのだ。~/全国で統一された計算方法とは、「単純平均モデル」と呼ばれるもので、過去に起きた地震発生間隔の平均から確率を割り出す。一方、南海トラフ地震だけは「時間予測モデル」という計算方法で、過去の地震の時期の間隔を推定し次を予測する。大地震の後では次の地震までの間隔が長くなり、小地震の後では間隔が短くなるという理論だ。/~つまり、どういうことかって、そういうことで、計算方法(ファンクション・アルゴリズム)が異なっているのだ。~それはつまり、こういうことになる。~
/地震の長期評価は主に活断層と海溝型に分かれるが、南海トラフは海溝型になる。毎年長期評価が公表され、最初の2002年評価(40~50%程度)が大きく改訂されたのが、東日本大震災後の2013年だった。この時点で、「時間予測モデル」を用いた30年以内の発生確率は「60~70%」と算出された。/

つづく

2024年2月25日 (日)

nostalgic narrative 10

/生き抜くのには覚悟がいります 死ぬという覚悟です その覚悟さえできていれば生き抜くことができます/
単に「ひとは死ぬものだ」ならアタリマエのことで、覚悟とはいわない。この場合、ひとは産まれたときから徐々に死に始めて、完全に死ぬまでを寿命という、といっているのと同じだ。ならば、「死ぬという覚悟」とは何か。これは述語にあたる。もちろん、「生き抜くのには」を主語とする述語だ。
もちろん、ひとは永遠に生き抜ける存在ではナイ。生物学的に必ず死ぬ。ただ、それはさほど悲惨なことではナイと/私は/かんがえている。逆に、「永遠の生命」などといわれると、それはなにか一種の「呪い」のように身が竦む。ここですでにキリスト教とは分岐しているといわざるを得ない。仏教にしても、浄土系の宗派においては、念仏一発で浄土なのだから、それがどの如来の浄土であろうと、キリスト教と同じになる。非浄土系ではどうか。ここに「成仏」が加わる。すなわち仏に成るために修行が待っている。この経過年数は天文学的というにはあまりに天文学的が微々であり過ぎるために、示すことは出来ても、実感するということも、想像することも出来ない年数(時間)になる。しかし、ここに光速を代入すれば、時間は消滅するので、一瞬と同じになる。あっという間もなく成仏ということになる。
法華経においては、成仏したアト、仏は何をするかというと、もう一回、一から修行をやり直す。けっきょくのところ、永遠というほかナイ。ここは修行はヤメて「涅槃寂静」といったほうがやすらかでイイ。
年をとるということは、自然に「涅槃寂静」を求めるようになっていくことなのだなあと昨今はおもうようになった。この世はこの世で一回だけでイイ。あの世がどの世か知らないが、この世でナイならどうでもイイ。
「断捨離」とはこの世を捨てることだ。浮世の垢どころか泥や反吐を捨てることだ。不要なものを捨てることだという不埒な阿呆もいるようだが、そらチガウ。
ただ、出来ればその棄て方は自分の意志(意思)においてがイイ。殺されるのは嫌だね。闘って死ぬのは別だが。「核」がキライなのは闘う手段がこちらに全く無いという理由による。私の夢、今しも核のボタンを押そうとしているものを狙撃すること。

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