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カテゴリー「文化・芸術」の記事

2016年3月13日 (日)

お報せ

こちらをどうぞ。
http://spice.eplus.jp/articles/44236

2015年12月16日 (水)

紀伊國屋演劇賞

Wow! Congratulations! I’m so happy for Koizumi Kyoko

2013年11月10日 (日)

memory・1

今頃になって認(したた)めるのでメモリーということになるが、台湾の淡江大学 日本語文学系の『螺子と振子』上演が、内田康老師の紹介とご足労をもって、実現したのが、5月のことだ。まだお礼の手紙も書いていないという非礼さなのだが、このあいだ、感謝状とともにポスターが送られてきた。ポスターに使われている、主人公を含めた風景の写真がステキだ。嫁は、同行をちょっと渋っていたが、というのも、この嫁は、新幹線のグリーンに乗せたときも、グリーンは初めてで、階級の差をみせつけられているようで、いややな、てな顔をしていたからな。とはいえ、カラダをおおうように毛布をかけてやると、衣服を脱ぎ始めたので、アカンで、ここでナニしたら犯罪やで、といいきかせて、パンツを穿かせたんやけどな。若いと何しよるかワカランわ。幸か不幸か台湾では、パンツを脱ぐ余裕もなく、日程がつまって忙しく、特上の弁当などが出るのだが、どうも私の口にはあわなくて、そんでもって学生街の屋台で、美味いおやきをみつけてきてくれて、このおやきが、最初に内田老師他と一緒に会食した飲茶の店の焼売などについで、美味かったので、二度も食った。私が、食べ物に閉口していたので、適当にみつくろって買ってきてくれたのだが、そういうところには気のつく嫁なのだ。ただし、日本の着物に着替えたとき、礼式どおり下着を穿かないでいたかどうかはさだかでナイ。
大学はリゾート地にあるので、そこの最高級のホテル・レストランで歓待されたが、こんな苦情をいうと叱られるだろうが、要するに、ヘルスセンターを彷彿とさせるところで、バイキング料理も日本に比すれば味は三流。しかし、屋台の食い物は、軒並み安くて美味かったなあ。あれに勝てる日本のテキ屋はいないと思う。
と、食い物のことばかりいっててはなんなので、というワケではないが、学生たちの日本語による芝居は、ちょっと感動的ですらあった。というのも、私たちは、演劇を上演するのにたいてい自国語でやるが(あたりまえだけど)、台湾の学生たちは、まず、日本語(しかも、戯曲のコトバ)と格闘しなくてはならない。これは、実にタイヘンなことだと思う。というのも、いつだったか、私も『寿歌』が英訳されたので、英語での上演を試みたが、どうしても異国語では、ココロの機微がワカラナイから断念したという苦い経験があるからだ。
だいたい、日本語の正確な表現が目的での日本語学なのだが、戯曲の表現、演技というものは、そういうものを逸脱したところに面白みがあるから、二重三重の苦労だったろうと思う。それが、ちゃんと出来ていたので、私は(ちょっと偉そうに)終演後、それを褒めたりしたワケだ。しかし、この営為は簡単に私たちもスルーしてはいけないことだと思う。
ヘルスセンターもどきでの会食では、別の大学で日本の演劇を研究されている金老師(老師といっても若いのよ。教師、先生のことは、中国語ではみな老師だからな)との演劇談義は貴重な経験だった。日本よりも、日本演劇は研究されているのだ。
国境をこえるのは音楽だけではナイのだ。コトバも、国境をこえていく。韓国や日本のバカ政治家どもが、旧世代の化石化した歴史感覚に悶着しているが、民衆は、それほど愚かではナイ。文化、表現は、すでに私たちの世代において、対等に語られている。慰安婦には慰安婦の人生があったろうが、私たちはそんなことに拘泥しない。それはそれ、私たちは私たち、誤解をおそれず、そういっておく。

2012年10月19日 (金)

悲しき○

昨日はアホ映画をボロクソに書いたが、私は「悲しさ」のナイ映画はのきなみ好きではナイ。それ以上に悲しみを作った映画は大嫌いだ。まあ、繰り返しすのはよすことにして、さて、若い劇作家、あるいは老練なものも含めて、劇作というのは「想像力」がものをいうと勘違いしている。これは錯誤でしかナイ。想像力が最もさかんな若者の書くものは大目にみることも出来るが、それは大目にみているだけで、やはり錯誤は錯誤、誤解は誤解でしかナイ。
およそ劇作というものは「想像力」などアテにしてはならない。アテにするのは「観察力」というもので、これはいくらでも鍛えることが出来る。観察力は「選択眼」につながっていく力だ。選択眼というのは、さまざまなものから何か一つを選びとることだから、他の多くは捨象される。つまり、何を選ぶかが観察力というものだと、論理的にはそうなる。画家の岡倉天心(だったと思うが)は食えない、つまり売れないとき、「売れるような絵ならいまでもいくらでも描けるが、目先の銭に拘ると一生食えなくなる」と、頑固に自身の信条を通した。何が自身の描くべきものかを選択していたのだ。同じ画家のピカソも、スケッチブック数冊に○だけを描いている(これはブログで何度も書いた)。一つ○を描く。それを観察する。選択する。その○が、彼の絵の何処に反映されたのかは素人はいうまでもなく、鑑定家にさへワカラナイ。
「悲しさ」を観察力でみぬき、そこからある悲しさを選択するのは難しいことだ。だから器用な物書き、劇作家たち、シナリオライターたちは、一般的、普遍的に悲しいものを書く。主人公のどちらかが不治の病ものや、不幸を書けば、悲しさを書いたことになる。最近の観客はレベルが低下しているから、これは悲しい演劇、映画なんだから悲しいんだろうと、悲しみの実体ではなく、作り物でよしとする。また、そのほうがいまの世間を生きるには楽なのだ。繰り返さないとしたが、繰り返してしまうが、昨日のアホ映画でも、どうだ悲しいだろう調で、ラストシーンではヒロインが泣く。ほんとは泣いたらアカン。悲しさというものは、あそこで、ヒロインがどう悲しみを堪えるか、でしか湧いてこないものだ。最近の女優は、演技で泣けることが、何か演技の実力だとでもいうふうに勘違いなさっている。ヒトはほんとうに悲しいときは泣かないものだ。理由は二つある。先述のようにそれを堪える。耐える。というもの。もう一つは悲しみのあまりの深さに涙すら出ないというもの。かつてのテレビドラマの名作に『泣いてたまるか』(渥美清さん主演)てのがあった、主題歌はたしか、♪空が泣いたら 雨になる 山が泣くときゃ 水が出る 俺が泣いても なんにも出ない 意地が涙を 泣いて 泣いてたまるかヨ 通せんぼ
だったと思う。
私が、役者をみるとき、やはり観察力と選択眼というもので「悲しさ」を観ることを尺度にしている。悲しさを持たない役者はダメだ(まったくの若い新人さんは別として)。このひとの悲しさは奈辺にあるのだろう。それが、その役者の裏っかわにみえるとき、私は少しほっとする。

2010年6月 9日 (水)

数式と漢字

思想・哲学などに関する書籍を読むと、たいてい1ページに最低でもひとつか二つは読めない漢字が登場する。入試以外で漢字の勉強をしたという記憶のナイ私の場合は、娯楽小説を読んでみたところで、同様のめにあう。どうしても素通りできない場合は漢和辞典のお世話になるが、たいていはワカラナイけど、だいたいでいいやとスルーしてしまう。このほど、常用漢字(かつては当用漢字といったはずだ)が100文字以上増えた。そこで、教育現場ではこれを教えるのに戸惑いの色を隠せない(という新聞の見出しが多いから、そう書いておくが)のだそうだ。教育現場というものが、どういう現場なのか、あまりよく知らないが、そういう戸惑いくらいは持ってもらいたいものだ。習ったこっちは、戸惑ったというよりも、まるっとおぼえなければ、しょうがなかったんだから。漢字がいつ成立したのかは判明していない(いろんな説はあるようだが)。しかし、もともとは象形的なものであったということはワカッテいる。画数の多い漢字も、そこからの部分ごとの意味の組み立てであるということも。だから、鬱病の「鬱」という漢字をなぜ、そう書くのかはワカッテいるのだ。つまり漢字のある属性は、なんらかのカタチを普遍的な意味として形態化させたものだ。だから、一文字で「概念」を表すことも出来る。(カントなんて読んでるもんだから、最近、この欄では概念というコトバが多く使われるようになった、のよ)。[国家]や[宇宙]などはそういう部類だと思っていい。また[価値]や[法則]といった漢字は、さらに、超感性的な「概念」や「意味」も扱うことになる。その各々が、偏や旁(つくり)から成っているところから、これを分別して漢字の持つ構造を教えていけば、その漢字の意味や概念を考えながら学ぶことも出来る。「鬱」というごちゃごちゃした漢字にしても、分類、分解していけば、なぜ、鬱は鬱と書くのかが、ワカルはずだ。なんで、教育現場という現場は、そうしないのか、わかんねえ。私たち表現者にとって面倒なのは、たとえば「美」という漢字を用いて、何を表現したいのか、「一生」という熟語で、何を表現したいのかが、表現した者の数だけあることで、これは、その漢字の前後関係を読み込んでいかなければ、容易に追体験出来ないし、追体験もまた、そうする者の数だけあるということだ。ところが、数学の数式(自体)は、普遍性しか持たない。数式は数字と記号の羅列なのだが、日本人がみても、アメリカ人がみても、同じ関数は同じ関数だし、方程式が同じなら、同じことが書かれている方程式だ。ここから、数学というものは、客観そのものなのではナイのかという迷信が生まれる。普遍と客観は違う。たとえば、ゼロ(0)というものや無限(∞)は、a prioriなもののように思えるが、空間や時間などと違って(空間も時間もアインシュタインの登場以降、そうではなくなったが)、実際に存在するのかどうか決められない。虚数(複素数)もそうだ。しかし、それらがナイと、現代数学は成立しない。理論物理学、量子力学とて、存在出来ない。とはいえだ、ゼロ(無)とか、無限とか、をいうまでもなく、「関数」とか、「指数」とか、もっと簡単な「集合」ですら、漢字であるのに、一見して意味のワカルものはナイ。たとえば「関数」は、何かが何かと「関係してんじゃねえの。三角関数は、男女の三角関係と関係あんのかね」くらいしかワカラナイ。「指数」は「指の数だから10本で数えられる数のこと」だし、「集合」は、場所とか、時間のことだろ。つまり、数学(数式)のワカリニクサというのは殆ど、この熟語漢字のせいである。私は戯曲の書き方を教えるのに「位相幾何学」を使ったりするが、この漢字をホワイトボードに書くだけで、塾生のどん引きがワカル。漢字も数式も、一度使い慣れると、たとえ書けなくても、計算(algorithm)が出来なくても、わりと便利なものなんだけど、そういう便利なものは、教育現場で戸惑わずに(戸惑ってもいいけどさ)教えてもらいたいと思う。

2009年10月19日 (月)

哲学者のマーケット

木坂涼さん(詩人)も、中日(東京)新聞の『けさのことば』にとりあげられるほどのひとになった。(19日朝刊)。『音の方舟 モーツァルト』から「外気には なぐさめがあります」。彼女は私たちが、まだ東京本多で公演をつづけているときからのファンで、一緒に軽くいっぱい行ったとき、「私は想さんのお嫁さんになりたいと思ったりしたんです」と、なんとまあ「お嫁さん」である、可愛いことをおっしゃるひとだった。彼女にパンフレット用の、短い詩をたしかお願いしたこともあった。彼女もいまは50歳を過ぎて、こないだ、一冊、著作をプレゼントしていただいた。・・・たしかに「外気」にはいいものがある。閉じ籠もり派の私などは、煮えつまり、行き詰まると、ともかく外に出る。行く先はたいていマーケットなんだけどネ。詩的ではナイが、あの活気が好きなのよ。でも、最近は、客のみなさん、みんな、いい顔してないなあ。みんな哲学者みたいに眉間を凝らしている。新聞では、野菜は値下がりの傾向と報じられているが、そんなことはナイ。キュウリ一本38円。ついこないだまでは35円だった。この3円の差に、私などは、4本のところを3本にして買うのである。しかし、もやしは安いなあ。タネは中国だからなんだろうけど。今年の秋刀魚も終わって、ああ、秋刀魚苦いかしょっぱいか。「あわれ 秋かぜよ 情(こころ)あらば伝えてよ・・男ありて 夕餉にひとり さんまを食らいて 思いにふける と」(佐藤春夫「秋刀魚の歌」)・・・・さて、本日は、出稼ぎです。

2009年5月14日 (木)

たとえば、そうではナイ

ドガの『エトワール、または舞台の踊り子』といえば屈指の名画である。ところが中野京子女史いうところ(『怖い絵』朝日出版社)この絵は娼婦とそのパトロンというバレエ黎明期の惨状を描いた一つということになる。その理屈でいうともちろんドガは踊り子を描きたかったのではナイ。「芸人」の悲惨、もっと深くいえば冷酷、冷血、その中に醸しだされる美を描きたかったのだ。私たちはその事実の前に表現というものの真理を突きつけられる。私が「私」というとき、すでにその「私」は私によって表現された私であって私それ自体ではナイ。そういうことに最初に気づいたのはおそらく哲学者のカントだろう。従って私などというものは存在しない、とまで池田晶子はいってのけたのだ。ただし、彼女の場合はヘーゲルが好きだというから、私と「私」との関係にまで深く思考したはずなのだが、著書の『私とは何か』にはその痕跡がみあたらない。そこが、池田哲学に対する不満である。おそらくそれは彼女の一種の「言語信仰」のためだと推測される。命題「私とは私の隣人である」というのは〔表現〕である。表現はドガの名画のようにA=Aという自同律を嫌うのだ。それはシルクハットから鳩や兎だけでなく虎をも出す営為である。表現は私それ自体などは問題にしない。あくまで表現された私だけの陰影を踏む。

2009年1月27日 (火)

ももたろうの10年

このあいだ塾で、10人の塾生に順繰りに『桃太郎』の話をやらせた。途中で私が質問を挟むのだが、まず一人目はお爺さんは芝刈りにお婆さんは洗濯に、で桃が流れてきて切ってみると赤ん坊が、とここまで。ここまではたいていは話せるのである。そのアト、桃太郎はスクスクと育っていきました、というところで、鬼退治に行くのだが、子供だから15歳以前、およそ10歳程度である。この10年、桃太郎はナニをしていたのか、について話せる者がなかなかいない。たいていの絵本でもここはハショッテある。桃が邪気を祓う果物であったとか、丑寅の方角が鬼門で、鬼が牛の角に虎のパンツをはいていたとか、お供の犬猿雉(酉)は方位であるとか、いろいろいわれているのだが、生まれたアトの10年、桃太郎がナニをしていたのかは、あまり知られていない。これはものの本に依ると、家でゴロゴロしていたらしい。しかも、近所の子供とは遊ばなかったとある。そこでみかねたお婆さんがお爺さんと一緒に山で働いてこいという。桃太郎は芝刈りなんか面倒臭いので、松の木だか杉の木だかを根こそぎ抜いて、ひょいと投げたら爺婆の家に落ちて壊滅したらしい。つまりそうとうな力持ちであったようだ。しかしまあ10年、ゴロゴロしていたことはたしからしい。金太郎は大江山酒呑童子を退治した仲間の一人であるから歴史上の人物なのだが、こっちはゴロゴロとはしていなかった。ま、そんだけのことだけど。|