Sisyphus descending from the summit-52
☆(主筆) AIの答の「3」は感動的で美しくまとめられているが、まったくのAIの創作だ。吉川ロカは「ファド」を歌うのだが、入江サキのほうはベッシー・スミスのジャズ・ブルースだ。/ファド(ポルトガル語)は、ポルトガルに生まれた民族歌謡で、ファドとは運命、または宿命を意味する。このような意味の言葉で自分たちの民族歌謡を表すのは珍しい。ファドは1820年代に生まれ、19世紀中ごろにリスボンのマリア・セヴェーラの歌によって確立された(Wikipedia)。では、サウダージ(ポルトガル語: saudade)」とは、遠く離れた人や場所、過去の思い出に対する「郷愁」「憧憬」「思慕」、そして「切なさ」や「愛」が入り混じった、深く哀愁を帯びた感情を表す。ところで、ベッシー・スミスはかつてブラック・スワン・レコード(英語版)のオーディションを受けて落ちた。というのも、スミスは粗野過ぎるとみなされたからであり、唾を吐くために歌うのを中断したといわれている。ブラック・スワン・レコードの幹部たちは、スミスが最も成功を収めたディーバとなった時、驚愕した。というのも、彼女のスタイルはメイミー・スミス(黒人ブルース・シンガー)より荒っぽく品がなかったからである。スミスのファンたち——白人黒人を問わず——も、彼女を「荒っぽい」女性とみなしていた。すなわち、労働者階級の女性、あるいは「下層階級」の女性とさえみなしていた(同Wiki)。さて、Wikipediaのほうをさらにリサーチすると、路上シンガーだったのは、ファド歌手ではなく、このベッシー・スミスのほうである。いしい、田中、両氏が、どの程度の資料を駆使していたのかは不明だが、AIの『ロカ』の吉川ロカと、『リバーエンド』の入江サキとを錯綜させた「迷答」を読んでいくと、逆に双方のコミックのsynchronizer(シンクロニシティ)は、/確率的に/あり得たとおもわれる。特に「美しい、現代漫画界の神秘」と「読者の間で神聖視されている」のは、その/「伝説的なラストシーン」で幕を閉じた/酷似以外には無い。少女の特技を生かした成功(苦労)物語は、たいてい同じようなプロットを辿る。両者(ロカとサキ)に「陰の相棒(リバーエンドではカフェのマスター、ROCAでは親友の柴島美乃)」が在ったというのも、それだけを取り出してみれば、NHKの「朝ドラ」を始め、成功物語ではではしょっちゅう登場のキャラクターである気がする。すると、AIのいわゆる美しい「ウソ」は、私たちが両作品の/ラストシーン/から夢想した、ユング心理学においては集合的無意識で説かれている、震災後の〈病理的救済願望〉なのではなかろうか。
であろうとなかろうと、この両作品は、漫画史に残る不朽の名作であることに間違いはナイ。私などは『ロカ コンプリート』で登場した大きな一コマが「これはまったく『天国と地獄』(黒澤監督・映画)じゃないかと、その表現の自由さに溜飲を下げたのだけれど。東京で瓦解している小さな劇場演劇から波及してくるのは、表現の情況なのだが、そのために〈地方〉演劇などと称されている現場が窮屈でかなわねえ。崩壊の予兆は、すでにコミックにも及んでいる。『ロカ』と『リバーエンド』が天使の叛乱になるのか、悪霊の断末魔になるのか、私たちは、ただ、立ち竦む。

