番外変(編とも書く)~演劇時点(事典とも記される)-1
ハジメに。
と記したからには、ハジメくんに登場してもらう。
センセー「で、ハジメくん、ともかくも最初の質問というのはなんだい。
ハジメ「いま、フジテレビ系列でヤってるドラマ、三谷さん脚本の『もしもこの世が舞台なら楽屋はどこにあるのだろう』についてですね、
センセー「ああ、みなまで、いわなくてヨロし。つまり、/あれ、何なのでしょう/というしか質問のしようもナイからナ。
ハジメ「賛否両論とか、メディアやSNSレビューをみると、そんなふうです。
センセー「ほんとは三角三論なんだけどね。
ハジメ「なんです、その三角三論というのは。
センセー「北村想の理論に『三人のおばさん』というものがある。三人のおばさんたちが、たまに連れ立って都会または都市に買い物に出かけて、スマホなどでみつけた店でランチを食い、と、ここまではあまり問題はなかった。みんなで「天そば定食」を食った。こういうのはご馳走、贅沢の部類だからナ。で、そのアト、そんなことしなくてもいいのに、たまに市街に出てきたのだから三人で映画でも観ましょうよ、ということになった。これは食事ではナイので、揉めるのだ。飯なんてものは誰かが一つ注文を決めると、面倒だから「あら、あたしも」「あたしも同じ」で済むことが多いんだけどね。映画となると難しい。一人が、「ロマンチックな恋愛映画がいいわ」というと「いえいえ、普段観ていない、アクションとかにしましょうよ」さらに「まあまあ、最近、韓国映画がオモシロイというから、ここは韓国SFよ」となった。どの系統の作品も上映されている。
ハジメ「ああ、そういのってよくありますよね。でも、そこで、映画なんかのことで言い争いになってもツマラナイですよね。
センセー「そう。このおばさんたちは、そこんところの良識は政治家以上だ。政治家はいつもつまらないことを論議しているからナ。
ハジメ「で、どうなったのですか。
センセー「簡単な選択だ。三人とも挙げていないジブリ映画になった。何故ならジブリなら評価もクォリティも高いからそんなにハズレはないだろう。そこへきて、誰も挙げていないのだから、決議が公平である。
ハジメ「なるほど。
センセー「こういうものは、ジブリだから良かった部類だが、時折、仲違いを避けるというか、公平にというか、観たこともない(あるいは、観たくもナイ)社会派文化的歴史映画なんかになることがある。そういうことで、その社会派文化的歴史映画の動員が増えるなんてことにもなる。興行先にも理由がワカラナイのだが、興行成績が伸びている〔謎〕に対する一つの答えというのが、この「三人のおばさん」と称され、後に女性に失礼だからとか、ジェンダー差別だとかいわれて、/三角三論問題/といわれるようになった、北村想の独我的な理屈だ。
ハジメ「それと、今回の三谷ドラマは。
センセー「最初に三谷さんの、狙いどころというか、思い込みどころというか、あの作品の動機と、主張を述べておくとワカリヤスイだろ。
ハジメ「それはもう答みたいなものですよ。
センセー「三谷さん脚本の『もしもこの世が舞台なら楽屋はどこにあるのだろう』はタイトルからしてShakespeareふうなで、ドラマ自体Shakespeareの作品を扱ってはいるが、それは比喩で使ったというにも、ほど遠い。舞台は1984年の渋谷。situationはその頃の小劇場演劇と称されたunitのepisode、あるいはいまふうにいうならナラティブ(narrative)だ。これらを、三角三論的にいうと、観たいものは他にあるのだが、ここは仲違いを避けて三谷さんのもので妥協、ということになったのかも知れない。つまり、三谷さんは、あのドラマで、/かつての小劇場演劇をうるさくいうけれど、小劇場演劇なんてのは所詮はこんなもんじゃなかったのかネ/と、cynical(冷笑的な,皮肉な,懐疑的な--AIの翻訳)なドラマを、いつものように/オレは何でもワカッテいる/ふうに(あくまでふうにでしかナイのだが)ドラマに仕立てているだけなんだ。ここまでワカッテいるヒトと、ワカッテなくて批判しているヒトと、なんもワカランひとがいるの。三角三論的だろ。
ハジメ「はーん、なるほど。
センセー「しかし、それは、あくまで、東京小劇場演劇のかつての情況であって、それ以外の演劇情況とも本質ともまるでチガウ。だから、それとはチガウ(東京小劇場とはチガウ)小劇場演劇の歴史を過ごしてきたものには、あのドラマに対して、まったく逆にcynical(冷笑的な,皮肉な,懐疑的な)かつ、焦燥と不快を持つのは当然なんだ。面倒だから、難しくいうと、いつものように〈疎外〉でしかナイ、物象化に至らない三谷さんのドラマ方法論については、今さら、
ハジメ「それ、難しい。
センセー「難しくいうと、と、いってるだろ。
ハジメ「もうちょっとだけ楽に。
センセー「あのね、そうではない小劇場演劇(劇団)の歴史は、東京ターミナルだけではなく、各地の乗り換え乗り継ぎステーションにもその現場の数だけあるのだ。そうして、あのドラマがどう完結するのかしないのか(どうでもイイから)知らないが、現在もまた、さまざまな小劇場演劇の灰塵からの屹立、一敗地にまみれての捲土重来も、各地だけではなく東京にだってみられるってもんなのだ。そこからswitchbackして、あのドラマに展望が在るのか無いのか、これまた知らんけど(どうでもイイけど)、いまや、韓国映画に後れをとっているといわれる邦画やテレビドラマにも、良きものは在るのだ。小劇場演劇がこれから良くなるかどうかは、これまたワカランけどね。
ハジメ「状況劇場にいらっしゃいましたところの、コバカオさんなんかの出演はどんな気持ちなんでしょうかね。
センセー「それはそれで、疎外されない物象化なんだけど、またの機会だナ。
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