Sisyphus descending from the summit-26
/般若心経は、紀元前5世紀に宇宙の真理を悟った釈迦の口述を弟子達が書き写した教典を、(釈迦入滅の約500年後の)紀元前後に編纂された八千頌般若経 (Wikipedia)の内容が余りに難解すぎて誰にも理解できないからと(更に2~300年後の)2~3世紀頃に百巻の注釈書へとエッセンス(心)のみを拾って書き換えられた『大智度論』の粗筋書きの漢訳なんです。釈迦の知り得た真理がどの位残っているのかは分かりません。可能性が高いのは、唐代の玄奘三蔵がインドから持ち帰った大般若波羅蜜多経 (Wikipedia)全600巻の方が釈迦口述に依る原典に近いのでは無いかと思います。/~だそうです。八千頌般若経は「はっせんじゅはんにゃきょう」と読みます。内容が難解とはいえ、大乗仏教の教典です。解釈のメモはこれはこれで一説です。おもうに、釈尊の口述筆記があるとして、もですね、正確に書き写された教典は存在しないだろうと私は私なりの浅学でかんがえています。釈尊自身は自身の悟りについての 教義などを書き残してはいませんが〈語り残す〉ということは他者によって可能でした。それが最初に行われたのは第一回の結集(弟子たちの集会会議、論議、4回或いは数回行われている)における釈尊口述の〈まとめ〉なんですが、弟子の阿南は第一回結集でこの〈まとめ〉を否定しています。阿南は最後まで釈迦牟尼の行脚(あんぎゃ)のお伴をしていたので、位が低い(阿羅漢に上がる修行はそっちのけであった)ので、ほんらい結集には出席出来なかったのですが、ともかく行脚のお伴でしたから、特別に結集への参加を許されたのでした。しかし、それは釈迦牟尼が予想(危惧)したとおりの様相でした。釈尊は阿南にはその旨は伝えておいたのです。阿南(アーナンダ)は釈迦の教えとおり、「それ、チガイマス。釈尊はそんなことはお諭しになっていません。説いておられません」と、反論したのですが、ともかく当時のそこら辺は部族社会国家ですから、長老の意見は権威高く、阿南の反論は認められませんでした。だいたい釈尊の教えは待機(対機)説法ですから、相手によって応えがチガイマス。それを一つにまとめることは出来ないことは、釈尊が最もよく理解し、阿南も了解していたのです(と、これはあくまで私の雑読researchです。まったく、まったくチガウ記録もあります。阿南は結集の書記を務めたというのもあります。まったく、ネ)。
キリスト教の聖書(Bible)は一冊(ザ・ブック)ですが、四つの福音書から成っている「共感福音書」(キリスト教の『新約聖書』の四つの福音書のうち、「ヨハネによる福音書」を除く「マタイによる福音書」、「マルコによる福音書」、「ルカによる福音書」のこと。この辺りについては専門書を読んだほうがヨロシイです)が中心です。イエスもまた辻説法のヒトです。それを弟子のペテロ(最初のローマ教皇。もともとは漁師だったかな)が一冊にまとめたのですが、そのせい(辻説法の編纂だから)で矛盾点が多いことは、ユダヤ教徒のミステリ作家(『九マイルは遠すぎる』やラビ・シリーズが有名) ハリイ・ケメルマンが指摘しています。また一冊にまとめるために破棄された文書(もんじょ)は多くあります。ユダ文書というものも存在はしています。これは学術的にホンモノだと認められているのですが、イエスを裏切ったユダのものだという理由でか、内容がちょいと恐ろしいでか、共感福音書とは毛色がチガイ過ぎるでか、まんず棄てられています(こういったものも諸説ありますからネ)。私、読んでみたのですが、共感福音書とはチガッテ、イエスとユダの対話になっていました。語っていることは、なるほどケッコウ物騒なことでした。
仏教の現状は、原始仏教(釈尊の時代のもの)と、葬式仏教(現在の坊主がヤっているもの)とに大別出来ますので、いま、ブッディストと自称したところで、単なる檀家系仏教徒なのか、釈尊に帰依する者なのか初耳の相手には判別はつきません。「(神よ)雨を降らせたければ降らせるがいい。されど私はその雨の中を犀の角の如く真っ直ぐに進む」こういう急進的なことも釈尊は初期説話では述べているのです。日照りの中、枯れた田畑に立って「神よ、雨を降らせたまえ」と祈ってもいるのです。
私は下衆なモノですから、釈迦(シッダールタ)が出家するさい、捨てた妻子は釈迦のことをどう了解したのか知りたかったので、その辺りをresearchしたことがあります。奥さんやっぱり烈火の如く、罵声に怒声だったようです。アタリマエでしょうけど。しかしまあ、歴史上実在した仏陀は釈迦牟尼だけですから、日蓮さんなどは、「阿弥陀仏などという架空の存在を持ち上げるのは邪教でしかナイ」と『妙法蓮華教』を推します。この教典は歴史的に古い、つまり釈迦入滅に近いです(最も近いのは『華厳教』かな)。それだけに日蓮も自信があったのでしょう。とはいえ、これがサンスクリット語(上級社会語)、パーリ語(通俗語)から漢語訳され、さらに和訳されるまでに、さまざまいじくられていることも学術的に示されています。それが因なのか日蓮宗には分派宗家が多いですね。浄土系も割れているので/本願寺どっちが「西」やら「東」やら/、てなことになります。これは葬式仏教になってから仕来りまで(焼香とか、線香の置き方とか、御布施が幾らか)がチガウので、よくいわれる「門徒物知らず」ではなくなっています。かなり面倒になっています。こういうところは縄文弥生の呪術の名残でしょう。
合衆国も六割がプロテスタント(これまた教派は多い)ですが、残りの四割はカトリック、ユタ州のモルモン教会(末日聖徒イエスキリスト教会)、イスラムだってありますし、伝導教会(テレビ伝導というのもある)やらね、新興宗教もあるし、無宗教の方もいますが(ニヒリストだっています)、ともかく、宗教は政治経済とは切っても切れない関係です。そういうことで無宗教哲学が見直されているということもアリです。ニーチェ旦那の『アンチクライスト』では、「キリスト教徒はただ一人存在した。その彼は十字架に架けられて死んだ」とイエスをこれでも礼賛(らいさん)しているのです(「神は死んだ」との有名な文言はここからきています)。ニーチェ旦那はキリスト教がキライなんですね。というか、キリスト教会を目の敵にしているということですが、イエスだけは認めているようです。私はギリシャ哲学のエピクロス兄さんや、ユダヤ教を破門されたスピノザくんなどは、釈迦(原始)仏教に通じているように感じますし、法然、親鸞などの浄土系はカトリックでしょう。私はインテリジェンス(情報)として構造主義者と名指されることがたまにありますが、べつに何でもかまいません。構造的な思考はよくやりますが、希求する形態からして〈アフリカ的段階〉逍遥派のほうがしっくりですかね。では、では。
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