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2025年6月

2025年6月29日 (日)

Sisyphus descending from the summit-10

/ネゴシエーション(negotiation)とは交渉や折衝を意味し、当事者同士が何らかの合意・調整を達成する目的で、お互い情報を提供しながら議論を行うことを指します/~洋画のタイトルにも多く用いられますね。『ネゴシェイター(交渉人)』。そいつはフィクションですが、リアルでは、ディール(取り引き)になりますが、そういうのは、やりゃあヤったで持てる「力」の強弱がキメ。だったらもう軍事力でバンカーバスターのほうが早い。どうせ同じことなんだから。いや、そうでもなさそう。成果、成否の判定が定かでナイ。この地下貫通爆弾、亜米利加がベトナム戦争でベトコンの地下基地攻撃に苦慮、苦渋したときに開発されたものです。私はその頃のドキュメント映画を観ましたが、ベトコンの地下基地はともかく蟻の巣のようなもので、ジャングルの戦闘では何処からベトコンが出撃するか米軍にはまるでワカラナイ。基地内には小工場もあって、亜米利加からの分捕り品(迎撃した爆撃機、戦闘機など)を溶かして鍋、釜、器を造っていました。AI曰く、/ベトコンというのはベトナムコンサン(ベトナム語:Việt Nam Cộng sản / 越南共産)アメリカ軍などが蔑称として使ったもので、必ずしも正しい呼称ではありません。/イスラエルはともかくモサドの活躍で(当初から私もそうだろうと)イランの核製造工場を破壊したので勝利。イランはウランの持ち出しに成功して、亜米利加とイスラエルにいっぱい食わせて今後も濃縮ウランの製造が可能だから勝利。と、どっちも宣言。「戦争は完全に終わった」と大統領はいいました。けれども「工場で濃縮を再開するならまた攻撃する」と、そういっています。(やさしいコトバニュースふう)。「我々の選択は正しい」と北叟笑んでいるのは北朝鮮くらいでしょう。
/analogy アナロジー 類推(るいすい)または類比(るいひ)/よく出てきますこれも。なんだか、不二子・Fの藤本先生がタイトルで『あ~なろ爺』とでもしそうな感じ。最近はほんとにもう高齢者だらけで、右を向いても左を観ても、爺と婆ばっかり、などとおもっていると、なんだオレも高齢者だった。になります。前期とはいえ、後期まで生きられる希望は薄く、しかしながらの鵜飼見物(ナイアガラともいう)、なかなかこの高齢者(老人)の自覚というものは持てないもので、いつも、アッとかハッとか気付くたぐい。みなさんも似たような、あ~なんだろうなとおもう「あ~なろ爺」ですネ。
/NATO 北大西洋条約機構 ヨーロッパと北米の30カ国による政府間軍事同盟/~こういうのが未だに残っているところが不思議といえば不思議。ワルシャワ条約機構というのが敵対していましたが、そいつはもう霧散。いまはロシアと、トランプ亜米利加相手に残っているようなもので、世界地図を北極中心にして描くとなるほどとはおもう。そうそう忘れちゃいけない、ゼレンスキー・ウクライナの応援団。たしかに応援団。頑張れとはいうが、自らは闘わない。石破総理も当初ちょっと見誤って日本に支部をなんていっていましたが、いまはもう、シナの海の防衛のほうが大事。と、切り換えました。とはいえ、映画なんか観ますと、やっぱり欧羅巴映画は絵になります。ロケーションの歴史がチガイマス。わざわざ歴史的オープン・セットを造らなくてもイイ。
/「decoupling」(デカップリング、非連動 分断)/~大きいpuddingかと当初、そういうイメージでした。最近は「分断」というふうに使われますネ。ブンダンというと、私が小学生の頃、分団登校というのがありまして、個別に登校するのではなく集団で登校するのですが、地区ごとに分けられての団ですから分団。しかし小学生のことですから集合すると、どうしても仲間で遊んでしまいます。夢中になって、全員遅刻ということもありました。当時は子供が多かったのです。小学校なんて1年生から6年生まで、900~1200人いましたネ。運動会も父兄(もちろん、母、婆も)が弁当つくって運動会見物、昼飯は学童と一緒に食べるというふうでした。稲荷寿司が美味かった記憶があります。

2025年6月27日 (金)

Sisyphus descending from the summit-9

/サステナブル(Sustainable)は、sustain(持続する)とable(〜できる)からなる言葉。「持続可能な」「ずっと続けていける」という意味があります。現在、世界の人たちが共通の目標として取り組み始めているのが「サステナブル(Sustainable)」な社会の実現です/。~演劇はリアル(現実)においては一回だけ、一期一会の表現です。とはいえ、一回終わる度に「もう一回ヤリタイのココロ」になる表現です。これを「役者(芝居)と乞食は三日やったらヤメラレナイ」といいますが、クロマニヨンズの甲本ヒロトさんは「オレたちは、いつもこの一回で終わり、でヤってます」と、これまた美しいことをいってくれています。やっぱり詩人はチガウな、ですね。継続は力なりなんてかんがえてナイ。私、新進劇作家と称されたころは「次はもうちょっとマシなものを書こう」とおもっていましたが。次があるうちが花ですネ。
/プレプリント(査読前論文)/査読論文も実験もナシの、あたかも科学的論拠のあるようなネタ本(フェイク本)が昨今多いのですが、ホンモノ本よりそっちのほうが売れているということもまた、リアルであります。コンビニで販売されているのはこの手のホンです。
/公開情報を読み解くことを「オシント(OSINT)」(open−source intelligenceの略)/というのですが、これ、メモした意図不明。ただし、ここらあたりから情報の怪しさ「情報の終焉」をかんがえるようになりました。最近このコトバはよく観ます。近いところではつい今朝(06/26)のこと。国民民主党の女性の方で選挙公認を取り消され、後方から銃撃されたらしい方が、この「オシント(OSINT)」を使ってらっしゃいました。不倫がどうのこうのとの恋愛沙汰と政争とがごっちゃの政界ですから、ここはじっくり「オシント(OSINT)」をおやりになるべきです。
/戦前の外務省情報部にあった「ラヂオ室」を前身とする一般財団法人「ラヂオプレス」は、国際的にも高く評価されています。中国や北朝鮮などのラジオや衛星放送を数十年間受信し、翻訳しています。現所在地は東京都新宿区若松町33-8アール・ビル新宿。100名程度の職員が3交代24時間体制で、35カ国・主に共産圏地域の放送や通信社の配信を聴取している。/とウィキペディアに掲載されていました。「へー」ですね。いや、日本にはまだオモシロイものがあるんだなあ。
/アーティキュレーション(articulation)とは、音楽の演奏技法において、音の形を整え、音と音のつながりに様々な強弱や表情をつけることで旋律などを区分すること。/~とありますが、これは、演劇、舞台においても役者の基本、基礎訓練になっています。音を「せりふ」と変換すればその通りの意味です。昨今はこれをやらないで、ただ、叫ぶ役者が多いので、私は観劇用の耳栓を所持しています。大きい声を出すとせりふがよく聞こえるとおもっている役者の多いこと。こっちは左右の耳栓使用。調音過敏なもので。
/エスタブリッシュメント(Establishment)とは、「社会的に確立した体制・制度」やそれを代表する「支配階級」を言う/~これも、政治用語、社会学用語でよく登場します。カタカナ表示は長いのですが、なかなかひとことで和訳出来ないネ。
/隘路 (あいろ・通路として狭い、進行の難所。がけや深い湿地が両側にある大河にかかる橋などで、大部隊の通過が困難な通路。物事を進める妨げとなる困難な問題。/~これは、軍事、政治的なニュースの何かに出てきたのだとおもいます。とかくメディアという大河的莫迦を相手にしなければならない場合など、よく用いられるのでは。ああそうそう、これも今朝、先述した国民民主党の女性の方が使っていました。自分の道はこれからが隘路である、とか。
/レファレンスサービスとは、図書館利用者が学習・研究・調査を目的として必要な情報や資料などを求めた際に、図書館員が情報そのものあるいはそのために必要とされる資料を検索・提供・回答することによってこれを助ける業務である。/~そんな業務が図書館員にあるとは知らなかったナア。いつぞや私の唯一のテレビ脚本『街への扉』(CK製作)のロケ撮影で、図書館を活用したとき、図書館員には女性の役者さんを起用したのですが、メガネに雀斑(そばかす)というメイクに図書館の上司の方からクレームがつきました。「そういうイメージを持たれると困るんだよ。テレビドラマはすぐにそういうふうに創るだろ」でしたが、しかし、じゃあ、どんなふうにしようかと演出とも相談しました。さて、図書館員女子のイメージねえ。最初のスタイルは高校生女子の優等生スタイルだったのですが。けっきょく、いまはもう忘却となったイメージになったようです。薄い記憶としては、「思い切ってクラクラメイク(ってどんなんや)にしましょうか」という案も出ましたが。~ということで

2025年6月26日 (木)

Sisyphus descending from the summit-8

/民主主義の足元を揺るがす状況にまで発展した今は第3の危機ともいえる状況。薬物・アルコール中毒やそれに関連する自殺による「絶望死」が2010年以降の合計で100万人以上に上り、国民の寿命も14年から頭打ちという米国はその典型。/
~さて、これはなんのためのメモだったかワカリマセンが、トランプ氏がキングになる以前のものだということは記憶しています。従ってキング・トランプはメキシコからの移民を叩き潰したかったワケです。私、未発表のミステリ(『万平boks』にいずれ所収する予定ですが、現状は銭がアリマセンので、どうにもナリマセン)を書いている途上で、密輸合成麻薬のことを調べましたが、いやもうスゲエですな。合成ですからケミカル小工場でつくれます。これが業者(日本でいう暴力団)の手でルートを通して亜米利加に持ち込まれ、さばかれます。巧妙に。非合法に(アタリマエ)。儲かるなんてものじゃナイ。儲かった方は裕福、いえいえ、こう場合は「福」という字は使ってはいけません。富豪、富裕、金持ちですね。そうなると税金が怖い。まさか非合法麻薬で儲けたとはいえない。で、マネーロンダリング。ともかく大金持ち。大金持ちがすることは決まっています。税金の安い国に移住(なのですが、亜米利加は富裕層への税金は比較的カカリマセン。移住する方もおりますが流入する方もいます。で、差し引きゼロ)。それからリゾート地で豪遊(といってもディズニーとかではアリマセン)。沖縄には、富裕層向けの巨大リゾートパークが出来るそうです。もう一つ沖縄に出来るものがあります。有事に備えての27年完成予定のシェルターです。もし、台湾有事があったなら(予想では27年が有力らしいですが)、スナイパー・ライフルを手に入れてせめて沖縄まで行く、というのが私の夢です。眼の力と、エア・ライフルで訓練したことが、役立てればいいのですが。ほんとにもう、夢、ですね。
麻薬をさばかれられた(というコトバは正しいのかな)貧困層の方がどうしているのかは、あまり報道されません。フィラディルフィアに多いようですが、たぶん、前述のメモの如しなのでしょう。で、実に即最近、このルートが中国⇒メキシコの他に中国⇒名古屋とトンネルしていることが日経の特ダネであきらかになりました。中継拠点が名古屋だというのです。あれま、だな。西区だそうだけど、何処ですかね。残念ながら名古屋に半世紀住んでいますがインドア派で、東西南北まるでワカラナイのだから、西区といわれてもネエ。次いきます。
/アイホール(伊丹市立演劇ホール)
〒664-0846 兵庫県伊丹市伊丹2丁目4番1号
TEL:072-782-2000/
というメモが次にありました。これも目的、動機は不明。アイホールは演劇専門ホールですが、当時の知事が、「兵庫県は演劇都市を宣言する」とかなんとか申されて、それを聞いていた少女が「でも、知事さん、劇場なんて一つも無いワよ」と諫言したのです。それでもって大慌てで造られたのが、このホールです。というお伽話があります。当時の兵庫県知事はマトモだったのです。いまはどうか、さて、知りません。私としましては、このアイホールが経営的に立ち行かなくなったので、身売りを決めた議会(だか、関連公共団体だか)というのも信用出来ませんしネ。ここは、来年アタマに亡く(無く、泣く)なります。こういった文化ホールは、東京都のような「国家内独立行政都」でナイとうまくいかないのでしょう。東京都世田谷区の人口は25年現在、949,342人です。これはかつての江戸時代の江戸の人口に匹敵します。世田谷パブリックシアターと小劇場のシアータートラムがあります。で、伊丹市は総人口が194,687人です。何をか言わんや、てんやわんやです。ということで~

2025年6月25日 (水)

Sisyphus descending from the summit-7

読めない字、読んでもワカラナイ字はともかく調べます。かつては読み飛ばしていたのですが、コトバが仕事になってからはそうはいきません。歌舞伎の大御所「羽左衛門」を「はざえもん」と読んで赤恥かいたことがありますから、それ以来です。いまは無き名古屋のとあるタレント養成学校での特別招聘講義でのこと。三十歳になるかならぬかのときでしたから、演劇の知識や教養なんてなんにもナカッタのですが、テキ屋の才能のようなものはあったようで、講義を依頼されてのこと。「タレ学」、そんなのが名古屋にもあったのですか、と驚かれる方も多いかとおもいますが、このころはタレント養成所ブームでしたから、名古屋にも存在したのです。もちろん、タレントになりたい(というよりも、なれると本気で信じていた若者が多かったのですが)そんな人々が、けっこう通っていました。そういうところに通わずにコネだか、トラップだかを用いて局のデレとかプロデとかに接近して、まあ、こういう方々は後々(数年後かな)にAVでデビューされたりしていましたが、最初は清純派とかで、ええ。そうそう、~EyOはまだ十六だから~なんて歌が流れていたときですね。みなさんまだ十六才のセイジュン派。芸能界の正体が暴かれる現在のいったい何年前でありましょうか。それはともかく「芸は形か心か」というこっちは真面目な問題が歌舞伎界でありました。そいつに果敢に(無謀に)数学で挑んでみたのですが、ここから心象価値表現と形象価値表現というのをたぶん「行列」の応用で導いたのですが、これを講義したところ、生徒さんたちにはサッパリだったようです。私だってまだ漠然としていましたから、時期尚早。さて、メモです。
/燥(はしゃ)ぐ 、容易(たやす)い、 粧(めか)す、 縮尻(ちょうじり)、 候(そうら)わばや、 拙速は巧遅に勝る、 振り翳(かざ)す、 躱(かわ)す/
というメモ、たぶん訓練程度に剣戟小説を書いていたときのものでしょう。「拙速は巧遅に勝る」は『孫子』から出たコトバであるといまAIにプロンプトしますと、そう答えますが、それはフェイク。マチガイです。さらに、~「拙速は巧遅に勝る」とは、「完璧でなくても、素早く行動する方が、完璧を求めるあまり遅くなるよりも良い結果をもたらす」という意味のことわざです。~ともAIさんは尤もらしく述べていますが、それも嘘。こういう尤もらしいデータしかまなんでいないので、こう答えることになります。ほんとのことは次の方のブログにあります。https://fujii-yuji.net/2016/12/theartofwar.html 拝読、無断アドレス書き込みました。乞う容赦。天国(極楽)に往く順番をおゆずりします。
/北叟笑む/「人間万事塞翁(サイオウ)が馬」の主人公である北叟(ホクソウ)が喜憂に対して少し笑ったという故事から。~だそうです。これはまず「ほくそえむ」と原稿に書いてから、いや、きっと漢字があるはずだと調べた結果ですね。こういうことをヤルのは粘着質だからなのではなく、好奇心の強さからです。
/ブルシット・ジョブ(まったく世の中の役に立たない仕事)/~少々身につまされます。
/サプライチェーン(供給網)/四人で(著作者、校正者、装丁・印刷者、発行者)つくったのが『万平boks』です。私の未発表小説刊行が仕事です。ブルショット・ジョブにならないように祈っております。
/イノベーション、物事の「新機軸」「新結合」「新しい切り口」「新しい捉え方」「新しい活用法」のこと。一般には新しい技術の発明を指すという意味に誤認されることが多いが、それだけでなく新しいアイデアから社会的意義のある新たな価値を創造し、社会的に大きな変化をもたらす自発的な人・組織・社会の幅広い変革を意味する/~なんだそうです。これはイノベーションというコトバだけが、宣伝用に独り歩きしているようです。よく用いられる、使われているのですが、実質を伴わないものが殆ど。似たようなのが、
/インフルエンサー、影響や勢力、効果といった意味を持つ「influence」という英語が語源で、世間や人の思考・行動に大きな影響を与える人物のことを指します。 スポーツ選手やテレビタレント、ファッションモデル、特定の分野の専門家、インターネット上で大きな影響力を持つ一般人やブロガーなどがインフルエンサーの一例です/~ではありますが、一歩間違えると極めて鬱陶しそうです。「莫迦でもネットやSNSに横文字で何かいうと、賢そうみえる」と、付加しておきました。
/メタバース 「meta(超越した)」と「universe(宇宙)」を組み合わせた造語で、仮想現実(VR)の技術を応用して構築されるインターネット上の仮想空間のこと。自身の分身となる「アバター」で利用者同士が交流することができ、ビジネスや学習、ゲーム、買い物などでの利用が期待されている/~ですけど、こういうのって、かつては狐狸の類の得意分野といいますか、領域だったような気もするのですが。ということでと、

2025年6月23日 (月)

Sisyphus descending from the summit-6

/ベネフィット(利益)/よく出てくる単語です。私のノートパッド・メモの最初のコトバがこれです。とかく経済用語には頻繁に横文字のカタカナがあふれています。弁証法で必須のドイツ語でのaufheben「止揚(しよう)」は、米語ではlift upです。ハーバードで習いました(嘘)。ハーバードには20万人の中国人留学生が在籍しています。トランプ氏は、この方々を追い出したいだけなのです。いい迷惑ですネ。aufheben「止揚(しよう)」は、持ち上げることは持ち上げるのですが、フェーズ(phase)段階、局面、側面、様相、位相、が上位に上がります。スペック「Specification」の略で「仕様」や「性能」
が良くなることになります。lift upは単に物理的に持ち上げることです。このチガイがハーバードとトランプの差ですね。
/コンプライアンス(compliance)/「法令遵守」を意味する言葉ですが、現代では、社会規範・社会道徳、ステークホルダーの利益・要請に従うことなども含む広い概念です。ステークホルダーとは利害と行動に直接・間接的な利害関係を有する者を指します。法令用語にもやはり、横文字のカタカナは多い。カタカナは漢字で書けます。「片仮名」です。
/メッセンジャーワクチン mRNAワクチン/ファイザー製やモデルナ製の新型コロナウイルスのワクチンには、遺伝物質の「メッセンジャーRNA(mRNA)」の技術が使われています。今回のワクチンに欠かせない技術を開発したとして、アメリカの権威ある医学賞「ラスカー賞」にドイツのビオンテックで上級副社長を務めるカタリン・カリコ氏らが選ばれています。ワクチンの開発には日本人研究者の1970年代の発見が大きな役割を果たしています。ワクチンが体内で働くのに不可欠な「キャップ」という物質です。発見者の分子生物学者、は古市泰宏さん。
ファイザーとモデルナのワクチンはRNAワクチンと呼ばれ、いずれもメッセンジャーRNA(mRNA)という遺伝物質でできている。mRNAは、細胞がタンパク質を作るのに必要な設計図を細胞内のタンパク質工場まで運ぶ役割を果たす。このmRNAに、ワクチン成分となるタンパク質の設計図を人工的に書き込んで接種し、体の細胞に届けて細胞内で成分を作らせる。まったく新しい発想。これまでのワクチンは、成分まで工場で作ってから接種するため開発に時間がかかった。それに比べて極めて短期間で完成した。古市さんは国立遺伝学研究所などにいた70年代、mRNAが体内で働くのに欠かせない構造を発見した。mRNAの先端にある「キャップ」という物質。mRNAの保護や情報伝達に関係する。古市さんの発見から約30年後、米ペンシルベニア大のカタリン・カリコ博士がその可能性に挑んだ。2005年、mRNAを細胞に取り込ませるのに成功、それが新型コロナワクチンに応用された。
国内で開発の先頭を走るバイオ製薬企業アンジェスの創業者、森下竜一。8月下旬、ワシントン・ポストなどがモデルナについて興味深い情報を報じた。ワクチン開発で「ある機関」から2460万ドルの支援を受けていながら、特許申請に際してその報告義務を怠ったという内容だ。ある機関とは、国防総省傘下の防衛先端技術研究計画局(DARPA)。創業3年目の13年の段階で、mRNAワクチン等の開発でDARPAの補助を受けていた。その点について森下に問うと、こう答えた。「mRNAワクチンというのは、軍が関与して開発されてきた『お買い上げ物資』だ。派兵地で感染症が起きたらすぐに兵に接種させる」
~2020/11/29j東洋経済オンライン~
コロナ騒動がありました。私自身はワクチン接種するのに三冊の感染症、免疫関係のテキストを読みました。感染の確率が下がるという情報はメディアの慌て情報、あるいは医療ご用機関のそれです。ここで、世間にかなりの誤解が蔓延したとおもわれます。ワクチン接種はしましたが、私はコロナ禍が終わってからCOVID-19に罹患しています。しかし、重症にはならなかった。合衆国はワクチン陰謀論者がFDA(アメリカ食品医薬品局アメリカ食品医薬品局)のトップになったので、他の推進者は解雇されました。当分、合衆国でのワクチン接種はナイでしょう。中国共産党の高笑いだけが聞こえる。でと、

2025年6月22日 (日)

Sisyphus descending from the summit-5

私は七十歳まで生きられるとはおもっていませんでした。しかし、生き延びてしまった。死に損なってというほうが正しいのですが、この年齢になってしまうとハムレットのように「生きるべきか死ぬべきか」などといっている余裕はアリマセン。具体的にいいますと、七十歳よりアトの生き方をかんがえていませんでしたから、かなり動揺しましたネ。従って私財の枯渇と心身状態の衰弱から、前期高齢者を生ききればオワリということで覚悟しています。それまでは仕事がしたいのですが、ここにきて仕事がナイ(予定してないんだからしょうがナイ)。生活保護はゴメン被りますし(親以外、世話になったことはナイ)、青天井で生きる体力も気力もナシですから、/Sisyphus descending from the summit/は、人生のおまけのつもりで、拾い集めた雑な知識と情報を、ぼちぼちと書いていくつもりです。酔狂な方はお付き合いあれば僥倖というところ。
ではまず、前書き、前説を少々~
劇作家という職業で、舞台脚本を書くことの禄(この場合は現代風な価値交換)で食んできましたが、ほんとうは小説が書きたかった。ところが、これは挫折した。といってもそれが最初の挫折ではなく、職業的な挫折なら、まずマンガ家になろうとおもったところです。これ、狙いは良かったとおもっています。漫画雑誌に応募したりしていたのですが、どうも入選の他者のほうが圧倒的に絵が上手い。そこで、紙とペンは諦めてアニメーターの道に進み換えた。狙いはいいでしょ。これからはきっとアニメの時代が来ると読んだワケですから。で、通信教育でアニメの勉強を始めた。一年ばかりの期間なのですが、月に数枚、課題を出さなければなりませんでした。これが全て不合格。なるほど、好きこそものの上手なれ、とはいいますが、そうは問屋の白袴を紺屋が卸さない。アニメも駄目か。じゃあ、コペルニクス的に転換しちまえってんで、これからはコンピュータの時代だと、フォトラン・プログラム言語なんてのを、日本放送協会の教育テレビで勉強し始めた。まだパンチカードの時代です。ビデオなんてのは無い。裏番組で『妖術武芸帳』が放映されていました。どうしてもそっちを観てしまう。(こいつは後にボックスが発売されて買いましたけどね)。夜中には『プリズナー№6』を観る。高校生の頃に『百億の昼と千億の夜』を読んだ。筒井康隆さんの処女作『東海道戦争』も読んだ。海外ではアーサー・C・クラークの『幼年期の終わり』だ。と、まあこの辺りで(ワカルひとにはワカルでしょうが)生きることにはもう挫折しているのです。中学生の頃から週に一度は京阪電車で京都に行って裏京都で舞子遊び、はしなかったけど、ともかく家の近所(自転車移動)に三館あった映画館は日活と東宝と東映だったから、洋画を観るなら京都まで、あるいは何方か映画ファンが任されている公共ホールでその方の選択が良かったのでしょう、観たのがマカロニ・ウエスタンときている。『火星着陸第一号』も観たナ。ピンク映画にあまり興味はなかった。ポスター観るのは好きだったけど。それで充分でした。裸女には興味津々でしたが、性交というのが何か識らなかったのですナ。なんとまあ奥手なことでしょう。ピンク映画の男女が何をするのかを存じあげませんでした。ともかくポスターのほうが煽情的で良かった。逆がロマン・ポルノ。ポスターはセンスが無いんだけど、「本編」といわれるだけあって、オール・カラーはなかなかのものでした。洋ピンと称されるポルノを初めて観たときの感想は「外人さんもヤルことは同じなんだなあ」と笑いましたネ。(私はホラー映画でも笑う)。小学生の頃はワケあって、独り遊び。これはですね、夕方5時になると風呂焚きをしなければならなかったので。ただ、焚くだけではなく、バケツで風呂に水を張るところからですからね。いっとう困ったのは時計がまだ読めない。文字は読めるのに。近所に住んでいる乳母代わりのオバさんに頼んで時刻を教えてもらった。台所の柱時計をよんでもらうの。このときの柱時計は記念にまだとってあります。ローマ数字の振り子時計です。私の物体的というか物質的過去(むかし)はいまのところこの柱時計だけです。アトはみんな消失してしまった。そういう過去(むかし)は私を消し去ってしまった。ですから、還るところも往くところも無い私は、いま、時間(時代)の何処を生きているのかよくワカラナイ。/ですので/、というコトバで文脈が繋がるかどうか、ともかくここ数年の、memoと、それについての未熟なコメントを記していくことにします。売り物ではアリマセンので、誰がいつ述べたことか著作権上のことはいちおう取り沙汰しないことにします。では~

2025年6月 7日 (土)

Sisyphus descending from the summit-4

タイトルの意味は、直訳ですが「山頂から降りるシジフォス(シーシュポス)」になります。『シジフォス(シーシュポス)の神話』で、ご存知のようにシジフォスの受けた刑罰は、大岩を山頂まで自力で運び上げること(転がしながらですが)。ところが、この大岩は、山頂まで運び上げられると、山頂から麓まで転がり落ちることになっている。ので、また運び上げる。この永遠の運動、かくなる神話、であります。いわゆる人間存在の不条理を表したモノなのですが、嫁葉わ刈るように(これね、初代ワープロを使って仕事したとき、/読めば解る/と打鍵したつもりがこうなったのです。懐かしいですね。『新劇』(のちに『しんげき』に署名変更)に連載などをヤっていたときですネ。ですので、嫁葉というのは姑に対する邪魔者で、刈るほうがヨイ、と注釈を付けたりして遊んでいました)。論旨を本筋にもどしますと、やっぱりアリストテレスの述べたことはそれなりにそれでイイんじゃないの、実存なんて一種のハッタリじゃないの、と、高校生の頃ですが、そんなふうに〈反抗〉していました。高校生なんて/理由なき反抗/ですから。人間が実存的に思いどおりになるなんて魔法みたいなものじゃないのか。つまり本質に対する反対概念が実存なら、さらにその実存に対して反抗していたのですネ。
ところで、アルベール・カミュはシジフォスに、ある〈free time〉を与えるのです。これは本質に対しての実存ではアリマセン。本質に対してのベクトルの違う〈反抗〉です。具体的にいうと、大岩が麓まで転がり落ちてシジフォスが麓にまた降りてゆくまでは、ある時間のair pocketが生じます。これがシジフォスの時間だというのです。これは「与える」というより〈発見〉とうけとられるかもしれませんが、このとき、シジフォスは山頂からゆっくり歩きながら麓の町に灯る明かりをみます。このひとときのなんと静謐で爽快なことか。『革命か反抗か』においてサルトルとの論争で当時カミュは論破されたことになっているのですが、私がこれを読んだのも高校生の頃。アルジェの闘いについての論争らしいのですが、どうも未熟な私にはチンプンカンプンでした。しかしニュアンスはなんとなく伝わりました。そこで漠然と感じたのは、この論争の勝敗が着くのはもっと年数がかかるのではないかということです。
いい勘でしたネ。現在、サルトルの乗っかった〈革命〉など信じているひとは誰もいません。サルトルは自らをマルクス主義者であると宣言しましたが、人間存在を下部構造からつきとめようとしたマルクス経済学は、これは〈運悪く〉廃れたとおもいます。共産主義の名のもとに殺された犠牲者は数千万人にのぼります。未来にユートピアを置くということが、あまりにも理想的に過ぎたのと、どうすりゃいいのという方法論が定まっていなかったせいで、現実に共産主義国家(というと矛盾なのですが)、共産主義世界を実現させたガバメントは歴史的にたったひとつだけです。小さな部族国家でした。時とともに歴史の中に滅びました。この統治を識るヒトは殆どアリマセン。
マルクス『資本論』は読んだほうがイイ書物ですが、面倒なのと、あきらかにツマラナイので、読むなら最初の二割あたりまでだけでイイと私は勝手にそうおもっています。『貨幣』とか、〈価値携帯〉とかです。意外と経済学者はここも読んでいません。ルイ・アルチュセール著作の『蘇るマルクス』を読んでいるのは経済学者ではなく社会学者でしょう。私はどちらでもナイのですが、昨今の世界情勢(なのかどうかはワカランのすが)をメディアが五月蠅くスピーカーするたびに、まあ、歴史主義というのも螺旋状ではあるけれど、棄てたものじゃないんじゃナイ、ボパーさん。とつぶやいたりします。カール・ポパーさんは哲学者ですが、歴史主義がキライでした。親族が犠牲になったからです(スターリンのせいだったとおもいますが、記憶チガイかも知れません)。『資本論』によると、資本主義は滅んでいく運命になっています(自滅だったと記憶していますが、、、うーん)。現実はそうはイカの金玉ですが、数学者カントール(「不完全性定理」の御方)の予言(数学的予想)に添うかのように合衆国はファシズム傾向に進行中です。おまけに欧羅巴では未だにヒトラーの亡霊が徘徊しているようです。
いまひとつ、論争の評価の変化は、マルクス×バクーニン論争ですが、これも現在ではバクーニンのほうが人気があるんですね。はい、無政府主義の論客です。国家も政府も不必要、経済調整委員会だけあればイイと、のたまいし革命家。マルクスの論敵。極論ではありますが、「党」が権力を持つよりマシ。
さて、本論はここからなのですが、それは次回となります。

2025年6月 4日 (水)

Sisyphus descending from the summit-3

/ホーンベック氏によると、子どものおもちゃの好みも変化しているという。パズルや木製の積み木など、根気や正確さを必要とするおもちゃは、簡単にくっつくマグネット式のタイルに取って代わられている。
また、ホーンベック氏が観察した4クラスのうち3クラスでは、3時間の間に誰ひとり読書エリアに行こうとしなかったという。「これは非常に大きな変化です」と氏は言う。「誰も本を読みに行こうとしないなんて、過去には一度もありませんでした」
米調査会社ピュー・リサーチ・センターのデータによると、こうした状況は、娯楽のための読書が米国の子どもたちの間で大幅に減ってきているという全般的な傾向を反映している/。
主筆「あたしゃ、積み木で遊んだという記憶、思い出はござんせんね。
駄筆「そうなんですか。何か理由でも。
主筆「単純にキライだったからです。パズルも好きではアリマセンでした。だからなのか、私のオモチャ箱にはそういったものは一つも無かったです。レゴとかいうのはけっこうオモシロカッタけど、レゴの遊び方に掲載されているような遊び方ではなかったとおもいます。外に出て、適当な小粒の石を幾つか拾ってきて、それぞれに名前をつけて闘わせるという山田風太郎さんとか伊賀の影丸とかの忍者ゴッコ、それがイチバン好きでした。近所の貧乏長屋に住んでいた年上のおあにいさんなんかは、電池でそいつをおやりになっていました。彼は鉄人28号ゴッコでしたけど。
/本のページをめくるのは、たいした作業ではないように思えるかもしれない。だが、読書によって養われる「集中して手順に従う」というもっと幅広い能力は、上着のファスナーを開け閉めする、靴ひもを結ぶといった動きに不可欠なものだとホーンベック氏は指摘する。読書の減少は読み書きの能力に影響するだけでなく、注意の持続時間や集中力など、微細運動能力の発達に不可欠なスキルにも波及する。「単純な作業に対するフラストレーションのレベルが実に高くなってきています」とホーンベック氏は言う。「そのため子どもはすぐ『もうやめた、もうやらない』となります。/
主筆「子供や幼児が飽き性なのはアタリマエのことです。つぎから次へと好奇心が動きますから。小学六年生の家庭科の時間に、リンゴの皮むきが出来ない同級生はけっこういましたね。卵が割れないというのも。くだものナイフなんてのがあるということを私は知りませんでしたし、ふつうの万能包丁で剝くほうが剝きやすかったナ。途切れることなくまるっと剝くの。靴紐は結び方がチガウと何度も注意されましたが(いろんな御仁から)別に不自由しなかったしなあ。
/また、バーネット氏によると、作業に対する集中力、とりわけ努力が必要な作業に対する集中力の低下は、微細運動能力の低下の大きな要因の1つだという。パズルを例に取ってみよう。パズルを完成させるには、戦略を立て、ピースの向きを変え、試行錯誤する必要がある。しかし、ホーンベック氏は「多くの子どもは『無理』といった反応をします。コンピューターゲームでは、コンピュータがピースを回転させてくれるので、それに慣れているのです」と語る。「それに、タブレット端末は、現実世界とは比べものにならない速さで手助けしてくれますから」/
主筆「戦略を立て、ピースの向きを変え、試行錯誤する必要があるゲームってコンピューターゲームにだって数あるのじゃナイのですかね。知りませんが。やらないから。タブレット端末というのは、手助けのためのマシンじゃナイの。そのうち、AI端末も出てくるから、要するに世の中は「〇〇とマシンは使いよう」になるだけのことじゃナイのかナ。

2025年6月 3日 (火)

Sisyphus descending from the summit-2

米ニュージャージー州ビバリー公立学校で教育指導を行うホーンベック氏は、たった3個の積み木を積み重ねるよう言われた子どもたちが戸惑う様子を見て、「積み木を見たことがないかのようです」と表現する。「どういう風にするかを教えたあとでも、子どもたちが取る行動には驚くばかりです」
現代の子どもたちは、重要な「微細運動能力」を失いつつある。微細運動とは、靴ひもを結ぶ、ペンで字を書く、物を積み上げるといったときに必要な、細かく正確な動きのことだ。スクリーンタイム(画面を見ている時間)、生活習慣の変化、子ども時代の体験の変化といった要因が複雑に絡みあった結果だと専門家は指摘する。
コロナ禍の影響は?
微細運動能力の低下を新型コロナウイルス感染症のパンデミック(世界的大流行)のせいにするのは簡単だ。パンデミックの1年目(2020年3〜12月)に生まれた250人以上の赤ちゃんを対象にした米国での研究によると、生後6カ月での微細運動テストでは、パンデミック中に生まれた赤ちゃんは、それ以前に生まれた赤ちゃんよりも点数が低かった。この研究を行った米ニューヨーク大学グロスマン医学部教授のローレン・シャフリー氏は、この結果が胎児期ストレスの増加によるものなのか、パンデミック中に生まれた赤ちゃんが生後間もない時期に経験した、通常と異なる環境によるものなのかを判断するのは難しいと語る。親が共働きのなかで子どもが家にいる時間が長くなったことも、全年齢で子どものスクリーンタイムが増える要因となった。スクリーンタイムの長さは微細運動能力の発達の遅れと関連していることが、研究でわかっている。
2023年8月に医学誌「JAMA Pediatrics」に掲載された7000人以上の日本の子どもを対象とした研究では、1歳のときに画面を見る時間が1日4時間以上だった子どもは、1時間未満だった子どもに比べ、2歳のときに微細運動能力に発達の遅れがあるリスクが1.74倍になることがわかった。
・・・・・・では、子供の親は、そんな子供に何をしていたのか。
「理想的とは言えない状況の中で、親はすべきことをしていました」とシャフリー氏は言う。一方、米ラトガース大学全米早期教育研究所の共同所長のスティーブン・バーネット氏は、そうした傾向はパンデミック以前からあったと考える。「それまでにもずっと存在していた問題です」と氏は言い、パンデミックによって、すでにあった問題が加速したかもしれないと示唆する。
・・・・・・かなり信じ難いニュースではある。
駄筆「えっ、とおもいました。何にか、というと、じゃあ、人類生誕から積み上げられた遺伝子、DNAの機能、作用、影響はかき消されたのか、と。
主筆「同上、だな。私もそこんところはかなり不思議におもった。胎児期に母親のストレスが胎児に移行するものなのか。
駄筆「記事、続けますネ。/スマートフォンやタブレット端末、電子書籍、テレビなどの画面を見ている時間は、子どもが何かを作ったり組み立てたり、絵を描いたりする時間を削る。そうした端末を使った算数の学習やデジタルアートの作成は、教育効果はあるが、書く、切る、色を塗るといった動作に伴う細かな運動能力を育てることはできない。
また、微細運動と粗大運動(全身を使った大きな動き)の能力の発達に欠かせない屋外での遊びも減っている。「子どもたちは、穴を掘る、花を摘むなど自分ひとりでも楽しめる遊びをしていません」とバーネット氏は指摘する。
子育てに便利なものが登場したことも運動能力の発達に影響を及ぼしているとホーンベック氏は言う。
ファスナーやボタンの付いていない伸縮性のあるズボンは、忙しい朝には時間の節約になる。パックに入ったおやつは散らからない。だが、こうした便利さは、ファスナーの開け閉めやボタンの留め外し、食器の扱いを練習する機会を子どもから奪っている。/-to be continued.

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