無料ブログはココログ
フォト

« À bout de souffle-3 | トップページ | À bout de souffle-5 »

2025年5月 5日 (月)

À bout de souffle-4

ところで「この箒ははるか昔、鎌倉、室町時代の寺院で用いられた由緒あるものです」に対して量産された家電の電気掃除機は「商品価値」として、太刀打ち出来ません。もはや古くて掃除道具としては使用出来ない「箒」に電気掃除機は負けたワケです。これは「使用価値」が「交換価値」にはならないという証左だといえます。(このあたりは「表現価値形態」に近い部分です)。
『資本論』の「価値形態」については、もう一つ重要な約束事があります。『資本論』の中の有名な等式を使ってみましょう。
20エレのリンネル=一着の上着⇒(20エレのリンネルは一着の上着に値する)ですが、この「一着の上着」についての具体性は比較の上で何も解釈がありません。つまり、そういうことに拘らなくてもイイということです。ではマルクス『資本論』はこの等式で何を示したいのかというと、商品を比較する場合に右辺と左辺が何であるか(どういう形態なのか)と、それがいえればいいワケです。リンネルの価値は他の交換価値(商品)との比較においてしか示せないということを、この等式は物語っています。コトバを換えると、20エレのリンネルは一着の上着という交換価値(商品)で「相対的に示されている」のです。これを「相対的価値形態」とマルクスは名付けました。では、一着の上着とは何でしょう。一着の上着とは20エレのリンネルと等しい価値を持つものだ、ということで「等価(価値)形態」にあるとしたワケです。さて、重要なのは次の定義にあります⇒/一着の上着は20エレのリンネルの「等価形態」にあるのだが、これを同時に「相対的価値形態」として両辺に置くことは出来ない/のです。右辺と左辺を置き換えることは出来ます。そのときは、各々の「相対的価値形態」も「等価形態」に入れ代わります。つまりリンネルにせよ一着の上着にせよ、同時に同じ価値形態として両辺に存在させることは出来ないのです。これは、数学的に等式のルールとしても定義されています。/等号は、左辺の記号(商品)を右辺(の商品)で定義するために使うことが出来る/です。右辺と左辺を同時に、つまり同じものを置いてみるのは/比較していることにはならない/ワケです。「一着の上着」=「一着の上着」では各々の「相対的価値形態」と「等価形態」の入れ代わりがナイということで、商品価値の比較にならないということです。けれども-
けれども、「一着の革の上着」と「一着の麻の上着」であれば、同じ一着であっても、チガイは明らかです。もちろん、どちらかが「相対的価値形態」であり「等価形態」だと振り分けられますが。この形態は比較するのに「相対的」でもなく「等価」でもない何かです。極端にいえば「絶対的」ですし、「不等化」です。この「絶対的」と「不等化」をもっとワカリヤスク比較してみましょう。
一個の指輪があります。残念ながらダイアモンドではなくクリスタルです。もう一個指輪があります。こちらは1カラットのdiamondです。さて、価値はどちらが高いでしょう。単純に比較すれば、クリスタルよりdiamondの指輪のほうが商品としての価格は上でしょう。ところが、ここに〈表現主体〉というものを関係させてみるのです。(表現主体はあくまで指輪です。ここは慎重に脳に刻んでおかねばなりません)。何と関係させるのかというと、/指輪と指輪の所有者/です。所有者と指輪にはどんな関係があるのか。このあたりから「表現価値形態」へと論理は入り込んでいきます。~とりあえず、つづく

« À bout de souffle-3 | トップページ | À bout de souffle-5 »

表現とコトバ」カテゴリの記事