無料ブログはココログ
フォト

« À bout de souffle-2 | トップページ | À bout de souffle-4 »

2025年5月 2日 (金)

À bout de souffle-3

表現の加速度は、マルクス経済学の定式による「表現=疎外」から、表現を救出するために主筆(北村想)が創りだした方程式です。これは、いわば『資本論』の価値形態論からのスピン-オフです。(相対的価値形態と等価形態を(=)で結ぶアレね)。この価値形態から、マルクスは「貨幣」を導き出しました。というよりも「貨幣」を導き出すための段取りのようなものですから、マルクスのそれまでの著作で触れられていた〈表現〉は捨象されています。主筆はそこで、〈表現〉というものの「価値」を導き出せるのではないかとかんがえたのです。具体的には右辺でも左辺でもよろしい。「表現価値形態」という価値を並べて商品との価値の比較を試みたワケです。
等式の(=)記号にはいく通りもの意味があるのですが、主筆自身はこの数式の基本的な約束事をマルクスは簡単に(方法論的に)throughしてしまったために、といいますか特に拘らずに(重んずることを必要とせず)貨幣を導くために用いたために、貨幣そのものが〈幻想〉の領域に入り込んだとかんがえています。簡単にいえば「なんとなく」になってしまったというワケです。マルクスの唯物論弁証法はヘーゲルの観念論弁証法を唯物論的に批判しながらのものですから、〈幻想〉や「なんとなく」などは思いの外だったのでしょう。
貨幣はいまのところ主に紙幣です。さらにいうなら昨今は単なる数字でもあります。この数字には「変動」があります。江戸時代の小判ではありません(こやつも価値変動はありましたけど)。単なる「紙」「数字」ですが、けれどもこれには〈なんとなく価値がある〉という幻想領域が、実利領域以外に属しています。単なる「紙」「数字」に価値があるとは常識的に認められることではアリマセン。けれどもこの単なる「紙」「数字」は物質や時間と「交換」することが出来ます。交換出来る以上は価値ではあるのです。千円札という印刷物(紙)は、千円分の食品や交通費や労働時間と交換出来ます。それは何故でしょうか。ナニがその価値を保証しているのでしょうか。仮にそれがひとつのシステムというものであったとしても、そのシステムを信じ込んでいるのは〈なんとなく幻想〉でしかアリマセン。ですが、これ以上の経済学的論理展開は主筆には難しかった(面倒くさかった)ようです。その代わりに「表現価値形態」を発想しました。では、「表現価値形態」とはなにかですが-
まず、『資本論』の価値形態論の「等号」からかんがえていきましょう。ふつう、私たちの理解する「等号」は「左辺と右辺が等しいことを表す記号」になっています。たとえば次のようなものです。/精米5㎏=62ギガのUSB/これは何をいっているのかコトバを換えていうと「左辺のものは右辺のものと〈交換〉が出来る」ということです。価値が等しいのですから、そうなります。つまり、「交換価値が同じ」だということです。(ここで、経済学者ですらよく間違えます。使用価値と交換価値は同じだという錯誤、錯覚、勘違い、使用価値が高ければ交換価値も上がるはずだ、です)。たとえば「箒」と「電気掃除機」では、使用価値はまったくチガイマス。誰も箒と電気掃除機を同等に交換出来るとはおもいません。すると、経済学の大学教授でさえが述べる「使用価値が高いのだから交換価値も上がる」は正解のようにおもえます。これは精米5㎏と使用価値が62ギガのUSBと同じなので、「交換価値」も同じだということになります。では何故マルクスはここで(=)の左辺と右辺のものを「使用価値が同じ」としないで、わざわざ「交換価値が同じ」と定義したのでしょう。この場合の(=)は、左辺と右辺の/何が同じ/なのでしょう。簡単にいえば「商品としての価値が同じ」と考えられます。これを「商品価値が同じ」とします。ではこの「商品価値」はどこで決まるのか。経済学的には5㎏の精米を造った労力と62ギガのUSBを造った労力が同じということなのですが、「米を造るには1年もかかるべ」と「62ギガのUSBを開発するのに何年かかったとおもうのだ」という交換する両者(この/両者の/という主体がほんとうはタイセツですが)の言い分があるでしょう。そういう両者の仲立ちに便利なものが「銭」なのです。「貨幣」「紙幣」なのです。つまり「交換価値」を〈物象化〉したものが「銭」なのです。机上に並べられる〈モノ〉が「銭」です。「銭」は交換両者(主体)にとって、同等の価値があります。「銭」は交換する両者の労力や〈交換物=商品〉の使用価値がどうであれ、交換価値が同じであれば、同額(同価格)で交換できます。~とりあえず、つづく

« À bout de souffle-2 | トップページ | À bout de souffle-4 »

表現とコトバ」カテゴリの記事