「narrative-60の謎」-13
「イージー アンダースタンド」について、ひとつエピソードを提供しておきます。ふつう演劇の本番初日には、初日乾杯というセレモニーがあります。そこで、ひとこと、作家と演出家から挨拶があるのですが、私が「今日はこちらも初日ですが、『王将戦』も初日です」と将棋の藤井王将ネタのハナシの枕をふったところ、スタッフ・キャストの皆さん、怪訝なというか、「ナンノハナシ」という表情をされました。そこで私は慌てて話題を換えて、「此度の本場のアカデミー賞では主演女優賞を初めてのアジア人ミシェル・ヨーが受賞しました」と「エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス」について触れたのです。けれども、皆さん関心を示さない。この映画は「エブ・エブ」の愛称まであって、主演女優賞の他、作品賞、監督賞、助演男優賞、助演女優賞、編集賞、脚本賞と総なめで受賞しているのですが、残念というのか、唖然呆然というのか座組の出演者でその映画を観たひとは新人クラスの小劇場の女優一人だけ。アトは「ナンノハナシ」です。「君たち、本場のアカデミー賞映画くらい観ておきなさいよ。日本アカデミー賞は映画high-Q会社の持ち回りだからネ」と声高にいえるように私は偉くアリマセンし、そんな雰囲気でもなく、コトバに詰まって適当に挨拶を終えました。ほんとうに詰まってしまってしどろもどろになりましたネ。Producerから「あなたのハナシはあなたの作品同様によくワカラン」というお言葉を頂戴してしまいました。ミシェル・ヨーさんはアジア人では二人目のボンドガールにも選ばれたひとです。一人目は東宝女優の浜美枝さんです(第5作の「007は二度死ぬ」ボンド役はショーン・コネリー)そういうハナシもしたかったのですが、たぶんそうしても「ナンノハナシ」だったとおもいます。ですので、「イージー アンダースタンド」を邦訳する場合は「ナンノハナシ」がいいかとおもうワケです。
鈴木清順監督の『東京流れ者』(渡哲也、主演)は有名な(知っているヒトにはの範囲での)映画ですが、私は昨今、東京芸能人を「東京かわらぬ者」と称することに憚りはないなとおもっています。私が演劇を始めた当初から相変わらず「東京かわらぬ者」です。以降、初日顔合わせと初本読み(ほんとうは「読み合わせ」なのだが、いまはどこも〈本読み〉という名称を使う。〈本読み〉は初日に戯曲の作者が本編を読み聞かせるセレモニー)では自己紹介(挨拶)があるのですが、「私、本職は劇作家で戯曲を書いています。此度はこの作品の脚本スタッフです」と挨拶することに決めました。
シス・カンパニーの文学シアター等では十年余、脚本料と時には著作権料=上演料を頂いていたワケで、それで贅沢しなければ年金と合わせて半年程度は食えるのです。たいへん有り難いことで、「東京かわらぬ者」という身分もそう悪くはアリマセン。が、戯曲(脚本)上演権利期間を訊ねたところ、社長から「三年、それ以後はジャンク」ということでした。なるほど「ジャンク」か。ジャンクねえ。/Junkとは、そのまま使える見込みがないほど故障損耗し、本来の製品としての利用価値を失っている品物。販売店による動作保証のない商品もジャンク品と呼ぶことがある。下らない、役に立たないもの。がらくた。廃品。/というのが現状一般的ですが、もうひとつ意味があります。/中国水域で数千年にわたって広く使われてきた帆船の総称。/ふむ、数千年ね、三年より長いナ。よし、こっちにしよう。というココロです。
~つづく
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