「narrative-60の謎」-11
シス・カンパニーに書いた私の作品群に対してシスの広報がいいキャッチをつけてくれました。「文学の森を抜け 彼方へと続く」です。文学にたいする私の戯曲化の姿勢はそのとおりです。いまのところの私のかんがえを記しておくならば、AIの思考(があるとして)とヒトの思考(私のですが)を比較してみる場合、AIにはさまざまなヒトの〈生きざま=人生〉をデータ化して学習することはかなり難しいか、普通にいえば無理かとおもわれます。だからAIは駄目だといっているのではアリマセン。たとえば得意そうな、数学、これなどは計算や確率の統計のデータを文脈にして提出するなら可能でしょう。けれどもゲーデルの「不完全性定理」を理解して解説するのはどうでしょう。AIがあの『定理』をどのように理解しているのかは知りませんが、『定理』をAIにあてはめれば「もしAIが完全(正しいの)であるならば、AIは自らの完全(正しいもの)であることを証明出来ない」になります。さらに哲学はAIにはかなり難しそうだとして、音楽はどうでしょう。楽譜を並べて何らかの楽器で音を出すということは出来ますが、それを新しいオリジナル演奏というかどうかは疑問です。音楽の言語にあたる〈音符〉というものを単にデータとして連結するだけのAIには創造性も想像力も期待出来ません。「みたいなもの」ならいくらでも創りますが、それらは幾つかのネタのリミックスというものでしょう。「みたいなもの」といっても、たとえば「そろそろぞろりにはらはらぱっぱ、ペペンペンポンポンのったりこたりにジンジロゲとはゆかいだね」と鼻唄で歌ってみて、つまりオノマトペの適当メロとリズムなんですが、これをデータに端唄を創れというプロンプトは、AIには応答出来ないでしょう。オノマトペを考える認知科学からいってみれば、もっと簡単な「ポイ捨て禁止」は煙草を路上などに捨てることを禁止することだということがAIにはワカリマセン。何がかというと「ポイ」がどういうことかワカラナイのです。ものを簡単に捨てるとき、「ポイ」などという音はしません。この「ポイ」は感覚的了解の音です。AIには〈感覚〉概念の理解は出来ないようです。音楽にもどって、懐かしの少年少女活劇ドラマ『七色仮面』の歌詞には♪デンデントロリコやっつけろ♪という部分があります。さて「デンデントロリコ」ですが、子供の頃の私たちはこの部分の意味はまったくワカリマセンでした。けれども、感覚としては了解して歌っていました。♪解けない謎をトロリと解いてデンデンとトロリコ、とやっつけるのです。AIはしかし、このような文脈の了解は不可能におもえます。(ドラマとしての面白さの要因は子供がストーリーにからまないという当時としてはめずらしいものだったから、だと私はおもいますが)。AIは、流行している歌や音楽に似たような曲を創って「リスペクトです」と嘯(うそぶ)くことは出来るでしょうけど。それはリスペクトというデータに基づいてリズムとmelodyをそれらしく並べたものです。「あなたの苦悩をシンフォニーにしなさい」というプロンプトに応えたとしても、それは、それらしいタイトルのある音楽の真似、贋物、盗作の類です。(苦悩している様子の真似や模倣は出来ますが、ほんとうに苦悩するということはAIには出来ません)。
ところで、さすが公共メディア受信料徴集放送局、AIなどが話題になるずっと前、コンピュータによる作詞・作曲の歌の音楽番組を創っているのです。立命館大学・樋口耕一准教授が開発したソフト「KHコーダー」を使って、約3000曲の歌詞を入力し、時代ごとの頻出ワードを抽出、当時の社会情勢や流行のキーワードのヒントをピックアップ、明治大学教授・東京大学名誉教授の嵯峨山茂樹さんが開発したソフト「オルフェウス」を用いて、番組のために亜細亜大学教授の堀玄氏が組んだ特別プログラムを使い各時代の頻出ワード”を元に自動的に「作詞」、そこからメロデイを生成して「作曲」したというもの。仕上げに当代一流のアレンジャーが入って編曲を施しプロミュージシャンが演奏しました。できあがった「恋の夜東京」「女と愛と夏と」「愛の夢の涙」「LOVEバージョンYOU」「スペシャルMY」「NEW YEAR」。歌うのは、“ぐっさん”こと山口智充(ともみつ)さんと、ものまねタレントの福田彩乃さんで、放送はなんと十年近く前、2015年12月26日(土)午後9時~9時59分(総合テレビ)番組タイトルは『紅白The平均ソング』でした(近々に再放送があったらしい)。ちなみに、このときに歌われた「女と愛と夏と」の歌詞は、
♪恋は忘れるわ あああの人を待ちきれないで 待ちますかと二人 そんな男涙 あなたのように涙を愛す あなたのような女の愛 涙忘れればよ あなたが泣いた恋♪
現在のAIならマチガイなく、もっとまともな作詞をするでしょう。
ところで、ヒトにおいてもAIのようなヒトは存在するのではナイでしょうか。これは「ワカリヤスイ」オハナシしか理解出来ない者たちへの皮肉ですが、AIが私たちに突きつけるほんとうの問題です。
~つづく
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