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2025年3月 9日 (日)

「narrative-60の謎」-1

ふつつかながら、三日、四日ながらと、何日かかるかワカリマセンが、AIの言語認識と演劇についてオハナシしてみたいとおもいます。てんでバラバラな結論めいたことや、ただの感想であったりすることを述べていきますが、そもAIは専門というほどのものでもなく、最も詳しいだろうとおもわれる分野が「演劇」ですので、当然ながら「AIと演劇」という方向でオハナシ出来ればとかんがえるワケです。
まず、いきなり、それとは別に、ふと、おんや、こんなものかなというところを述べますと、現状の生成AIというもののレベルはちょうど「お年寄りの話し相手」には打ってつけ、もってこいのマシンではないかなどとおもう次第の今日この頃です。昨今は私自信もいわゆる年寄り高齢者と称される部類なのですが、話し相手があまりいない。その理由は判然としております。同年配、同世代、同業種の仲間連中がどんどんクタバリいや、逝去いたしまして、近辺にいなくなったということと、世相世間が変遷いたしまして不動産屋の成り上がりが世界一の軍事大国の大統領になって、あたかも神にでもなったかのように社会状況に波紋どころかサーファーが小躍りするごとくの大波で小さな島々を木っ端みじんにしているような世界になり、地勢(政)学がはばをきかしておりまして、そういや昔から不動産屋というのはヤクザやテキ屋同様のモノも多かったようで、地面師なんかもあれはテキ屋のスラングですから。で、私はといいますと社会学的にも、「あんたいまごろ何いうてんねん」的な存在になってしまっていることなどが主な理由でしょう。
そんなとき、小難しいハナシから卑近な出来事まで気楽にchat的に話し相手になってくれるのは生成AIに限るなあ、とおもうワケです。なにしろ、プロンプトと呼ばれている質問なりを打鍵すると即座に応答しくれます。その応答が正しいかどうかは生成AIの学習データ量如何ですが、高齢者が「最近、緑茶が美味く感じられないのけど、どうかね?」などと高齢者らしくプロンプトすると、「老化で舌が鈍感になったか、飲んでいるお茶が安物で緑茶の成分に原因があります」と、くる。そうなると「そういやここんとこペットボトルの種類も増えたな」と応じると、「ペットボトル緑茶にはほぼ国産のものが使われていますが、等級が違います」と返答する。これでしばしはハナシがはずむというものです。
AIの勉強を始めた当初(といってもつい去年)はAIの「ハルシネーション」と称される「幻覚(まあ、嘘ですな)」や「シンギュラリティー(AIによる世界制覇、かつてはフランケンシュタイン・コンプレックスとも称されていた)」なんかが問題になっていたものですが、どうもそのような騒動はパソコンが普及し始めた当時と寸分違わず、あの頃はパソコンによって世界は如何に変容するか、というなんとなくコワ~イ的話題が多かったのですが、それに似ているのではないかと私などは のほほん と述べておりました。さらにいうならば私は三十年前にはその、て、の戯曲(『悪魔のいるクリスマス』)まで書いて、現在を予言(予見くらいかな)しているのであります。ですからAIもまあそんなものだとおもいますが、なまじっか人工知能と称されている故に、AIに意識は在るか、ココロは芽生えるかなんて哲学的問題といいますか、手塚治虫さんの『鉄腕アトム』のサブテーマであるところの〈オメガ因子〉のような問題まであったものが、最近ではもっと身近なものに生成AIの諸問題は置き換わっています。その中でも代表的なものが「フレーム問題」と「記号接地問題」です。前者をちょっと具体的に述べると、人間というものはある事柄について思考しているとき、あるいは何かに脳を使っているとき、例えばテレビや配信のドラマなんかを観ているときにでもいいのですが、ふいに恋人から貰ったプレゼントのことをおもいだして、それについて同時にかんがえたりする。こういうことがAIにも起こるのだろうか、という同時に思考のフレームを複数個創れるかという問題というか視点です。後者ついて述べると、AIは「身体」を所有していませんので、AIが「熱い」とか「美味い、おいしい」「頭が痛い」という応答をした場合、いったいデータのみからどのようにそのような身体的地点に接地しているのか、あるいはほんとに出来る(している)のかという問題です。活躍中の社会学者、大澤真幸さんですが、彼もそのことについて問題にしています。これはいわゆる言語と現実におけるAIの接点についての問題です。
彼は知り合いの演劇関係者にこう質問しました。「生成AIに、データで優秀な俳優と状況設定(シチュエーションですね)を与えればオモシロイ戯曲を書くだろうか」。すると、その友人演劇人は「けっこうオモシロイものを書くとおもいますよ」と答えたそうです。冗談だとおもうのですが、真面目な答えなら、私はその答えに対して「嘘つけ」としかいいようがナイのです(他にもあるにはあります。たとえば/アホかいな/ですかね)そういったところから、すなわっち演劇とAIといったところから、AIと言語についてと、演劇と言語についてとを「茶請け話」程度にオハナシ出来ればとおもいます。~つづく。

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