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2025年2月12日 (水)

nostalgic narrative 58

お待たせしました。と、いうワケではありません。直近五日前にして、COVID-19発症者がひとり。疑いのあるものが、ひとり。なにしろ四人芝居ですから、ひとりでも欠けると稽古にならず、かといって、商業(商品)システム演劇のように代役などというインチキは歩いてきた〈道〉に反することなので、ともかくは、COVID-19の変異による毒性の低下だけが頼りで、本番当日のいわゆる「ぶっつけ」というカタチになりましたが、舞台のクオリティは完成していますから、あとは私の唯一の特権であります「悪運」を信じるしかありませぬ。で、15日本番までは「休み」です。昨晩はその相談に残りの役者とスタッフが劇会場にたまりまして、これから銀行に押し入るというよくある映画のワンシーンのようでした。演劇なんてものは、みんな揃って銀行強盗をヤルという気概、覚悟、道化がナイと出来るものではありません。いつもそのような映画のシーンを観ると、みなさん三日前からは酒を抜くくらいのことはしてらっしゃるのだろうな、と、真面目にふとかんがえたりします。
さて、それはさておき、AIの学習から始まった、鬱病と量子世界との試行(思考)、量子力学(といいましても素人勉強の古典ですが)を齧り始めたときから幾つかの疑問があって、そのうち幾つかはなんとかそれらしい答えに辿り着けましたが、一例をいえば、ダブル・スクリット実験の場合の量子の到達するスクリーンの材質は量子に変化(作用)を与えたりしないのか、とかネ。これは観測理論でやっとわかりました。むかしのことですので、今さらホンを出してきて、確認、説明は面倒なのでヤメますが、未だに謎なのは、ヒトをはじめあらゆる物質が量子で生成、創造されているとするなら、どこからニュートン力学に相転移するのか、なんですが、ぼんやりと〈対称性〉が関係するのではナイだろうかくらいしかおもいつきません。そうなると、私程度の数学の能力では解くのは無理なのですが、概念的にはなんとかなるのではナイかと楽観的にかんがえたりします。
ともかくは、残り少ない生存時間の飯エネルギーの大半はそのなんたらかんたらに費やしていくつもりではありますが、なにしろ満身創痍の心身でござんすゆえ、間に合うのかどうか、ヤってみるしかありません。
芝居のほうはそういう賭博性はアリマセン。博打をするような舞台を創ったりはしません。
ともかくは、役者ふたりの無事なる生還を待っての突然の休憩時間でございます。

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