nostalgic narrative 56
まず、私(主筆)自身が絶大なる自信をもって声高に得意気にいいつづけてきたことの反省を、ひっそりこっそり述べてみる。/「無神論」というコトバは矛盾している。ひいては「神は無い」という命題の証明も出来ない。つまり、そういうふうにいうことは不可能だ/という文言について。こいつはですね、やっぱり私より頭のいいひとはいっぱいいて、その中でも青年ヘーゲル派の最重要人物といわれているフォイエルバッハくんが同じように云われた(批判された)ときの一言。青年ヘーゲル派があるのなら幼年ヘーゲル派とか老年ヘーゲル派とかがあるのかどうか、そいつは知りません(というか、たぶんナイよ)。フォイエルバッハくんは何をどう云うたか。これはみなさんもご存知のように/神がヒトをつくったのではナイ。ヒトが神をつくったのだ/という、唯物論者(マルクス或いはマルクス主義者)のコトバとしてよく出てくるアレ、これを真っ先に述べたのがフォイエルバッハくんなのだ。彼はヒトが「神」という虚妄に〈疎外〉されているとして「無神論」を説いたのだが、/「無神論」とやらで、神は妄想にしか過ぎぬとかいうが、「無神論」というコトバの中には、「神」が内在されているやないか。内在しているクセにそれが無いとはどういうことやねん/と、批判されたワケだ。私も無神論者を批判するときにはそう云う。(では私は信心があるのかと追求されると、そういったものもナイ。ではおまえは神の存在をどうおもっているのだ、と問い詰められると、「在って無いものだ」と開き直るのですが~つまりどうとでもいえるので、考えても仕方ないという仏陀の思想に逃げますネ。といいますか、「神」というのは「存在」がどうのこうのという対象ではなく「信仰」の対象ですから、と)
これ(「神」とヒトとの関係の矛盾)はたしかに一種の〈疎外〉です。吉本隆明老師(吉本のオジキとか吉本ダンナとか、私は称していますが)はこの疎外をとことん研究しておそらく「物象化」することで、まず「関係の絶対性」という概念を『マチウ書試論』で発案し、その論理を『心的現象論・序説』と『本論』でまとめ上げました。と、私(主筆)は妄想しているのだが(『心的~』を読むのに十年かかったからな。そのあいだにいろいろsub-textを勉強出来ましたけど)。
何処が〈疎外〉か というと、「無神論」というコトバ(と、その概念)には 最初(ハナ)っから「神」というなんだかワカランけど等価物が挿入されて(組み込まれて)いる。~いくら妄想だといっても自分の内側に何らかの神らしき存在をすでに認めていることになるじゃナイか~ということになる。
こういう〈疎外〉について、チガウ観点から論じた哲学者・思想家がある。似たようなことを哲学者は考えるものですナ。「神」が在るかないか、この真っ向からぶつかる理屈に対してどちらが「真理」か、その客観はいったん括弧に括ろう。エポケーしよう。と、ですね、これを「現象学的還元」というのだが、これはフッサールさん(哲学者)の発明です。ですから吉本ダンナなんかはインテリゲンチ屋から「吉本はけっきょくフッサールなんだよ」などと、揶揄されたりしていましたねえ。このエポケー(現象学的還元)もすごくイイideaだと私(主筆)はおもいます。かなり便利です。演出家と役者が役の解釈でぶつかったときなど、には。まあ、とにかく括弧に入れて議論しよう だから。しかし、対象が「神」となるとどうなるんだろう。議論して片づくのかネエ。けっきょくカント哲学のように「ア・プリオリ」になったり、ウィトゲンシュタインのように「語り得ぬもの 沈黙すべし」になるんじゃナイのかな。
そこで(か、どうかは知らんけど)マルクスは括弧にいれるのではなく、逆のことをした。つまり、内在しているものを外に出して(外化して)、つまり対象化して ヒトとの関係を考えた。これを「物象化」という。ワカッタようでワカランな。でも まあ、いいということにして、吉本ダンナの場合はさらにその「関係」をどう「了解」出来る(している)のかを追求して、「心的領域」という精神領域に到達するのですが、そこで鬱病も出てくる。鬱病を対象化したワケ。この「対象化」というのも難しいですナ。マルクス経済学では「労働に価値は無い、価値があるのは労働の対象化だ」となっている。例示すれば、8時間の労働には価値はナイ。それで得た対価がどれだけ自身を生産したかに価値がアルということなのだが、この「対象化」を理解するのに苦労した記憶はいまもある。
「無鬱病論者」という「の」が存在する。するんだナァ、鬱病なんて気持ちの問題だとかいう連中。この辺りを切り崩していくことで、量子という存在と鬱病の「物象化」「疎外」「対象化」というアクロバットをヤってみる。*****つづく、です
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