nostalgic narrative 35
きのうママンが死んだ。のではなく、昨日、シス公演『夫婦パラダイス』が幕(これを書いているのは09/28です)。今回は愛知豊橋公演、大阪公演もあったので、日帰りの新幹線で名古屋からエッチラオッチラと『万平BOKX 2』を出張ブース販売。まあですね、豊橋も大阪も初日完売してしまって、エッチラオッチラとキャリーにホンを入れて、追加販売をして全500部を売りました(東京を含めてですが)。シス北村社長は「売れて1ステージで1~2冊くらいよ」だったんですけど、ともかくブースを許可提供してもらいまして、シスのパンフ販売担当女史にもよくしてもらいまして「コーヒー飲みてえな」とつぶやけば「楽屋のほうにありますよ。持ってきます」どうもありがとー。
とはいえこれだけ売って(サインしていた私も銭勘定していた連れ合いも腰痛でへとへとになって)も赤字にしかならないのよね。ですから、私、考え方を変更して、この『万平BOKX』サプライ・チェーンは私の『宣伝広告』ということにしました。それで経費計上しますワ。しばらくはそれですな。とても出版販売にはほど遠いです。
しかし、ブースで売るのが主目的ではなく、あくまで通信販売の確立のための出版チェーンですから今後は通信販売にチカラを入れて、余命尽きるまでにアト数冊はなんとしてでも出版したいものです。
芝居のほうは、ベテラン芸と伸び盛りの役者さんのアンサンブルでかなり優れたものになったらしく(らしくというのは半分は謙遜ですが、半分は観客のシンパシーに扶けられてということですカネ)、私はとちゅう最も劇的な20分ばかりのところが好きでそこはモニターでも観ていたのですが、ふと、何故ここのsequenceがお気に入りなのか、ココロにグっと来るのかが不思議だったのですが、大楽の大阪で気付きました(ほんまに加齢には困ったものですナ)。そのシーンはまるっと上野不忍池の状況劇場で観たあの感激、つまりは唐さんの演劇遺伝子の発露だったんですねえ。
その唐さんも、別役さんもいまは亡く、先達はまるで急ぎ足の冥途の旅。生き残り、死に損なった私は、さて、何をしたらいいのやら。画仏壇の故人の写真も虚ろに陰り、2025年初頭の予定以降はただ真っ白で、もしまだこの先、シス・カンパニーの『文学シリーズ』があるのなら、次は三島由紀夫『豊穣の海』からのインスパイアでいてこましたろかと、「どやっ」してますが、とも角も金銀桂馬も終に作家として世に出る夢は叶わなかったようで、世の中のことがだいたい、たいていワカッタ近頃は、地球は狭いなあと、この世が次第にイヤになるばかり。
しかし、ああ、そうだったのか。あの上野不忍池の状況劇場のなあと、不思議と極めて懐かしく、そんなこんなの終わらぬ夏の夜であります。