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2024年6月 9日 (日)

nostalgic narrative 26

/加藤さんは09年、自ら命を絶った。遺書には「世の中は音楽なんて必要としていないし。私にも今は必要もない。創りたくもなくなってしまった」などとつづられていた。松山さんは「レコードからCD、配信へと音楽の形が見えなくなったことで、自分の作ったものが人に届いているのか分からなくなったのではないか」と考える。
「音楽は消耗品で、次から次へと新しいものが求められる。だけど、加藤がいた時代はそうじゃなかった。そのことを少しでも知ってほしいですね」/
これは何だったか、いつも『ベネフィット』というタイトルを付けたメモ・ファイルにして残しておくのだが、どの電子版だったか、日経か毎日か、プレジデントか、ともかくそこに加藤和彦さんのインタビュー・ブックのことが出ていたので、さっそく摘ん読(積ん読ではナイ、ホンを花のように摘むワケです)。読めれば読むというホンで、仕事場にはそういうホンが増えに増えていて、途中まで読んだホンや、気になる部分だけのホンや、目次でヤメタものなどあるのだが、ともかく眼も耳も2~30年前に比べると耐久時間が1/2~1/30になったので、目薬は三種類を適宜使用しているのだが、就寝時などはもう視力がダウンして、ホンを読みながら寝るということなどまったくナイ。
で、そこに紹介されているホンをアマゾって、さっそく届いたのだけど、届いてから早くて三日、ふつうだと一週間くらいしてから、「読む気」になって表紙を開く。ですから、いわゆるプライム会員ではあるのだが、「お急ぎ便」なんてのはまったく必要ナイ。
さて、その気になって、いま数ページ読んだ。加藤さんの少年(中学生)時代あたりのことについてのインタビューだが、テレビでは西部劇の飯(豆の煮たものとコーヒー)のシーンが好きで、ハヤカワ・ミステリは購入し始めて900冊で、落語は三平師匠より志ん生師匠に金歯師匠。まあ、江戸落語だからそうだろう。こっちもたしかに西部劇の飯(豆の煮たものとコーヒー)のシーンが好きで、初めて一人旅で東京にいったとき、そんなふうな店でランチにしようと勇んで入って、品書きが判らず最も安い「オニオンス・ライス」という飯を注文したら、スライスしたタマネギが皿にのって出てきた。飯はアトから出てくるのかとおもったけど、ぜんぜんそうではなかった。という想い出がある。
落語の贔屓は、三代目だ(桂春団治)。江戸落語を聞くようになると、志ん生師匠ではなく圓生師匠(六台目)のほうで、こんなふうにだが相似に驚いた。私のミステリとS.F行脚もハヤカワ・ミステリからで、筒井康隆さんの処女作(『東海道戦争』)もそれで読んでいる。もちろん、海外ミステリの古典傑作『幻の女』なんかもね。
とりあえずは、加藤和彦さんという生粋のロマンチストをしばらくは、ぼちボチ追っていくことにする。

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