nostalgic narrative 21
〈睡眠〉についてはさまざまなことがいわれている(いろんな説があるということですナ)。で、けっきょくどうなのかというと、私が辿り着いたのは、「どの説、理論でもイイのだ」ということだ。にんげん誰でも眠るものだから、そこには何か普遍性があるのではないかと憶測するのはもっともなことで、統計などとったりもするのだろうが、これが帰納的にはいかない。/睡眠は量より質/といってみたり、/8時間は眠らないと/といってみたり、そうかとおもうと/寝溜めは出来る/になったり、/二度寝はダメ/から/二度寝はしないほうがイイ/だったり、/脳は二時間、身体は四時間の眠りで回復/になったり、つまりはいくら都合良く統計を出してきても、〈睡眠〉に普遍性などナイのだから、それぞれが特殊性を主張しているだけとかんがえたほうが理にかなっている。
簡単にいってしまえば、自分のカラダ(脳を含む)にまかせてしまえばイイということになる。私などは、鬱病のせいで早朝覚醒はしょっちゅうだが、それでも起床は7:00で、夜更かししても起きる時間は同じ。体内時計というものだろう。就寝時間は起床時間に殆ど関係ナイ。昼間、眠くてしょうがなく気絶ばかりしているので、寝てしまうかとベッドに横になるや否や、まったく眠れない。そうかとおもうと、ちょいと休憩とゴロリとなって1時間眠ってしまうこともある。この気絶睡眠も、ほんの数秒の気絶でちゃんと夢はみるのだから、レム睡眠はたいしたものだ。コミックを読みつつの気絶はコミックのつづきを夢でかってに創ってみている。これもほんの数秒。ラジオの音楽はすっ飛んでMCの部分のところだけ目が覚め、また気絶、夢、というサイクルもめずらしくはナイ。
さて、また、眠くな ってきた。書きたいことは山ほどあるのだが(スマホ詐欺とか、SNSのこととか、七十は浦島太郎か少女アリスかとか)、いまは川だか谷だかにいるので、ボチボチということになる。
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