nostalgic narrative 23
ふるさと思うのは ふるさとに 昔があるからだ 過去というむかしがあるからだ けれども ふるさとが なくなったもの ふるさとをなくしたものに昔はない 過去などないのだ 現在 などというものは フィクションにしかすぎず 未来などというもの は幻にしかすぎない 確かに 確実にあったものは 昔の 過去の ことだけだ そうしてそれをふるさと というのだ ふるさとに捨てられたものよ この今を ふるさとせよ
以上は、就寝前、寝る前にふとんをはねのけてメモしたものだ。
かつて、演劇に頓挫したもの、諦めたものは、実家を継ぐか故郷に帰って百姓やるかが多かった。こちとら、両親亡くして弟と二人きりになった。弟も還暦を遠に過ぎて、これは成り行きでふるさとの実家にいるが、家を継いでいるというワケではナイ。相続で分けた不動産が弟は家と土地と平等にするための現ナマで、すぐに家と土地は売るはずだったのだが、アパートが取り壊しで立ち退きになり、仕方なく、実家に住んでいる。働き口は近所の飯屋だ。時給は高くはナイだろうが、歩いて通える、難しい料理をつくる必要はなく、家庭料理程度でイイので、弟は自炊派だったから、玉子焼きやら焼き魚程度なら一丁前にやれるので丁度、イイ。
とはいえ、弟にとってもそこは故郷、ふるさとではナイ。とにかく、もう見る影とかいうものは何もナイ、流入の民の乱立集落なのだ。
幸いにも、私とはイザコザがあったことがナイ。いがみ合ったこともナイ。持病の糖尿病もずいぶん回復して普通に飯が食えるようになったといっていたのには安心した。
私にとって最もの恐怖は弟が先に死ぬことだ。
私より、なんとか世代をこえて当代に生きているので、そのあたりは、生き方上手なのだ。
そこは頼もしい限りだけどな。
ああ、両親が早く亡くなってくれて良かった。双方とも80歳(父)89歳(母)の長生きの部類だったから、もんくはいうなよ。あっちのほうでケンカでもしてろ。
老兵は死なず忘れ去られるのみ、だからな。ヤクザな稼業で兄貴は飯を食んでいる。
71歳、死に逝くもの、生き残るもの、ここらあたりが境目なんだろうなあ。