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2024年5月

2024年5月19日 (日)

nostalgic narrative 23

ふるさと思うのは ふるさとに 昔があるからだ 過去というむかしがあるからだ けれども ふるさとが なくなったもの ふるさとをなくしたものに昔はない 過去などないのだ 現在 などというものは フィクションにしかすぎず 未来などというもの は幻にしかすぎない 確かに 確実にあったものは 昔の 過去の ことだけだ そうしてそれをふるさと というのだ ふるさとに捨てられたものよ この今を ふるさとせよ

以上は、就寝前、寝る前にふとんをはねのけてメモしたものだ。
かつて、演劇に頓挫したもの、諦めたものは、実家を継ぐか故郷に帰って百姓やるかが多かった。こちとら、両親亡くして弟と二人きりになった。弟も還暦を遠に過ぎて、これは成り行きでふるさとの実家にいるが、家を継いでいるというワケではナイ。相続で分けた不動産が弟は家と土地と平等にするための現ナマで、すぐに家と土地は売るはずだったのだが、アパートが取り壊しで立ち退きになり、仕方なく、実家に住んでいる。働き口は近所の飯屋だ。時給は高くはナイだろうが、歩いて通える、難しい料理をつくる必要はなく、家庭料理程度でイイので、弟は自炊派だったから、玉子焼きやら焼き魚程度なら一丁前にやれるので丁度、イイ。
とはいえ、弟にとってもそこは故郷、ふるさとではナイ。とにかく、もう見る影とかいうものは何もナイ、流入の民の乱立集落なのだ。
幸いにも、私とはイザコザがあったことがナイ。いがみ合ったこともナイ。持病の糖尿病もずいぶん回復して普通に飯が食えるようになったといっていたのには安心した。
私にとって最もの恐怖は弟が先に死ぬことだ。
私より、なんとか世代をこえて当代に生きているので、そのあたりは、生き方上手なのだ。
そこは頼もしい限りだけどな。
ああ、両親が早く亡くなってくれて良かった。双方とも80歳(父)89歳(母)の長生きの部類だったから、もんくはいうなよ。あっちのほうでケンカでもしてろ。
老兵は死なず忘れ去られるのみ、だからな。ヤクザな稼業で兄貴は飯を食んでいる。
71歳、死に逝くもの、生き残るもの、ここらあたりが境目なんだろうなあ。

2024年5月16日 (木)

nostalgic narrative 22

nostalgic narrative 21
マスク姿がチラホラになってきた。そこで、いまマスクをかんがえる。まず、次の記事のコピペ(編集)を。
/エアロゾル感染は空気感染?
日本では当初、「飛沫感染」と「接触感染」が新型コロナウイルスの主な感染経路とされていた。厚生労働省が感染経路に「エアロゾル」を加えたのはオミクロン株が拡散した2021年10月末になってからだ。厚労省がエアロゾル感染を認めた後も、空気感染を強調する科学者有志と国立感染症研究所の間で見解の相違をめぐる議論は続いた。政府の分科会がエアロゾル感染を前面に出し、「効果的な換気」を提言したのは22年7月だ。ただ、20年3月9日の厚労省の専門家会議の提言に基づく、「3密」回避(「換気の悪い密閉空間」「多数が集まる密集場所」「間近で会話や発声をする密接場面」を避ける)の背景には、新型コロナウイルスがエアロゾルを介して拡散する可能性が含まれていた。換気の重要性が指摘されてきたのは、エアロゾルを吸い込むことによる感染を念頭に置いたものだったという。一方、エアロゾル感染を「空気感染」と呼ぶかどうかについては、現時点でも統一されていない。
WHOがまとめた報告書は、呼吸器感染症の感染経路を次のように定義し直している。
まず、これまでサイズや浮遊する距離に応じて「飛沫」「エアロゾル」と区別されてきた感染にかかわる粒子を「感染性呼吸器粒子」という用語に統一した。その上で、「空気を介する感染」を「空気感染・吸入」と「直接沈着」の二つに分類している。「空気感染・吸入」は、感染者の呼吸や会話、歌、せき、くしゃみなどを通じて周囲の空気に入った感染性呼吸器粒子が空気中を旅し、感染者からの距離によらず、これを吸い込むことで感染する経路と定義される。粒子がどれぐらい遠くまで届くかは、空気の流れ、湿度や温度、換気などによって異なる。「直接沈着」は、感染者から放出された感染性呼吸器粒子が近くにいる人に飛んで、直接、口や鼻、目の粘膜にくっつくことで感染する経路だ。
また、ウイルスに汚染された感染者の手やテーブルなどを介する「接触感染」についても、「直接接触」と「間接接触」の二つに分類している。この定義によれば新型コロナは「空気感染する」ということになるだろう。(2024/05/15・毎日電子版)
私は、外出先(通院はアタリマエですが、買い物で行くマ―ケットなど)ではマスクしています。もともと、人込み(映画館などを含む)はキライなので、行かない。日本人は風邪をひいてもマスクする習慣があります(ありました)。ありました。ありました。

2024年5月12日 (日)

nostalgic narrative 21

〈睡眠〉についてはさまざまなことがいわれている(いろんな説があるということですナ)。で、けっきょくどうなのかというと、私が辿り着いたのは、「どの説、理論でもイイのだ」ということだ。にんげん誰でも眠るものだから、そこには何か普遍性があるのではないかと憶測するのはもっともなことで、統計などとったりもするのだろうが、これが帰納的にはいかない。/睡眠は量より質/といってみたり、/8時間は眠らないと/といってみたり、そうかとおもうと/寝溜めは出来る/になったり、/二度寝はダメ/から/二度寝はしないほうがイイ/だったり、/脳は二時間、身体は四時間の眠りで回復/になったり、つまりはいくら都合良く統計を出してきても、〈睡眠〉に普遍性などナイのだから、それぞれが特殊性を主張しているだけとかんがえたほうが理にかなっている。
簡単にいってしまえば、自分のカラダ(脳を含む)にまかせてしまえばイイということになる。私などは、鬱病のせいで早朝覚醒はしょっちゅうだが、それでも起床は7:00で、夜更かししても起きる時間は同じ。体内時計というものだろう。就寝時間は起床時間に殆ど関係ナイ。昼間、眠くてしょうがなく気絶ばかりしているので、寝てしまうかとベッドに横になるや否や、まったく眠れない。そうかとおもうと、ちょいと休憩とゴロリとなって1時間眠ってしまうこともある。この気絶睡眠も、ほんの数秒の気絶でちゃんと夢はみるのだから、レム睡眠はたいしたものだ。コミックを読みつつの気絶はコミックのつづきを夢でかってに創ってみている。これもほんの数秒。ラジオの音楽はすっ飛んでMCの部分のところだけ目が覚め、また気絶、夢、というサイクルもめずらしくはナイ。
さて、また、眠くな ってきた。書きたいことは山ほどあるのだが(スマホ詐欺とか、SNSのこととか、七十は浦島太郎か少女アリスかとか)、いまは川だか谷だかにいるので、ボチボチということになる。

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