時世録・50
2023年は本日終わるのだが、終わってどうなる、どうにもなりゃしねえナ、という空気が膨満しているのは、世情(世界・世間の情勢)が、あいも変わらずだからで、前述したように、まったくのQue sera sera 「起こりうることは起こるべくして起こる」(ヒッチコック監督の『知りすぎた男』でドリス・ディの歌う「成るようになる」は、このコトバの初出ではアリマセン。もちろん、ほんとうの意味でもありません。Que sera sera「 起こりうることは起こるべくして起こる」というコトバを家訓としているサスペンス映画が、わりと有名なのがあったんだけど、タイトルがおもい出せない。グクッてもこないだは出てきたんだけど、出てこない。ウーン、苛々するなあ)。よって、私は世界大戦はここ数年のうちに起こるか、それともまったくチガッタ世界地勢図が出現するかの何れかで、何れにせよ、世情が良くなることはナイと踏んでいる。
「僕の座右の銘は、『ギブミー・チョコレート』だよ」(高田純次)と、これはいまほぼ誰もが待ち望んでいるかのような一言で、別に敗戦当時の日米情勢とは関係ナイ。そうなのだ。私たちはそのチョコレートが欲しいのだ。そのチョコレートというのはもちろんmetaphorなのだけれど、いったい何なのかがワカラナイ。こんなときに岸田政権のヘマばかり責めても始まらないンだぜ。これは私の「スティグマ」(根拠のない思い込み)なのだけれど、もう、むかしのこと、むかしのceremonyやeventは忘却して、チョコレートを探し出すしかナイ。「求めよ、されど耐えられぬ」バテレンの秘術はそう引っ繰り返るのだけれど、「人生は素晴らしい出逢いを待つ、ウエイティングゲーム(waiting game)なのだから、よき仲間を得ることは、聖なる道のすべてを得ることであるのだ」と、仏陀も弟子のアーナンダに語っている。チョコレートとはソレなのだけれど、さて、果報を寝てまっていた犬も歩かねばならない。たとえ棒に殴り殺されるようなことになっても、未だ後期高齢者でナイうちは、交霊者としてでも、ソレを見つけ出すことだ。
旅はまだ終わらない。瓦礫の中に花一輪、の、幻想を単なるロマンだと諦めはすまい。
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