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2023年11月 5日 (日)

時世録・44

観劇記録・2023/11/3 「ミッシングリンク」劇団ジャブジャブサーキット
32年前だかのこの劇団のうんと初期の作品だそうで、当初はダンスなどもあり、2時間30分の作品だったとのこと、今回は2時間ちょい。私は持ち運び出来る(東京の作者本読みにも持っていった。次回のパンフ用クサナギくんとの対談にも使用する予定)腰を守る座用クッションを使ったので、幸い、腰痛はナシ。
ミステリを基盤にしているscience fictionのtime travelなので、頭がクルクルするのが、これが、作者(はせひろいち)の〈味〉、美味いんだよな、食い始めると。ともかく、前半はかなり苦しい、これはしょうがない。いきなり犯人が捕まるワケはなかろう。ところが後半はすばらしい加速と、加速重力による観客席の腰痛者の椅子に座り直しのカタカタコットンガチャグリの雑音が、微妙に愉快で、こういうのは、私のブログではおなじみ、トーマス・マンの『魔の山』の前半ぐだぐだ退屈、後半一気に滑降の心地よさと同じ。(『ドグラ・マグラ』もそうなんだよ。途中で挫けてしまったらオワだから、放り投げるな)。
ちょうど、ブログ一つ前は鹿目のところの観劇感想を書いているのだが、わりと対になっているんだな。いまのアルゴリズムの急速進展(生成AIなど)と、nostalgieへ向かう貧困層の乖離。私なんかは情況をそう分析(というほどじゃナイんだが)している。この乖離をうまく受け止めているのが、若きプロ将棋界隈。藤井八冠のAI活用におけるAI超え(9億手めにAIだとその打ち手が出てくるらしい)のなんとまあ、胸のすく、狡猾なる一手であるか(王座戦)。ただ相手のミスを待つという、人間ならば誰でもかんがえそうな一手。しかし、相手がミスるまで、負けられないというまさに必殺ながら狂気の死闘。こういうのが生成AIにはあらへんらしい。
で、もどって、『ミッシングリンク』。終わった瞬間、落涙したよ。涙一滴。そうなのだ、下手とか上手いではナイ。役者(最近は俳優としかメディアには出てこないけど、どこが~〈俳〉=人をおもしろがらせる芸人の意を表す-『角川新字源』~で〈優〉なのか知んないけども)、ただただ、役者はせりふを語る(というよりも「云う」)まるで、『少女ムシェット』の監督、ロベール・ブレッソンが全員素人の役者に命じたように「ただ、台本に書いてあることを喋れ」で、その空飛ぶような感覚がイイのだ。これぞ、我が演劇の、ノスタルジー。演劇に抱かれるとはこのことだ。そういうの、ヤってたんだなあ、三十数年前。で、ポロっと涙。Time travelは、虚構から舞台の上の登場人物の現実にまで変容させ、みんな若いの。32年(正確かどうかは知らんが)前にもどっているの。
鹿目系デコイ銀河から、はせデコイ銀河のナラティブを一挙にワープして、ひさしぶりの観劇に酔いしれている遅く速い寒く暑いヘンテコな秋の日のヴィオロンのため息でした。

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