無料ブログはココログ
フォト

« 2023年10月 | トップページ | 2023年12月 »

2023年11月

2023年11月23日 (木)

時世録・46

観劇感想『白い砂の少女』(2023/11/22・ゲネ)
山本直樹をかなり意識して10年ばかり前に書いた戯曲の舞台化なんだけど、加藤智宏演出がここまで世界をイメージどおりに、役者(俳優)がせりふの言語感覚を忠実に表現したのには驚いた。このキャラクター、コンビネーション、アンサンブルは稽古のたまものなんだろうが、お見事、ご立派としかいいようがナイ。
本日から本番で、6ステージしかナイのが残念。
作者(私)が使ったplotは、すでに他の作品でも流用しているものなのだが、この作品では、多少の台本化はあるものの、58分という上演時間の妨げにならぬように、詩劇を成立させている。
余談だが、晩飯にマツヤでセルフサービスのハンバーグ定職を食ったが、どうしたんだろ、マツヤ。ハンバーグの価格は200円アップして、ハンバーグ自体は「これ、何の肉だ」くらいに200%ダウンしている。実にオモロナイなあと不満たっぷりだったのが、この芝居でスッカリ払拭した。飯の仇を討つとはエライもんです。ほんとうに余談ですけどね。

役者(俳優)たちは全員に、なんですか、例の俳優A賞てのを私ならあげちゃうね。こういう芝居、東京にはもうナイんじゃないのかなあ。東京なんかは(私の感じるところ)半世紀前に時間がもどっている。アニメに客をとられたのはよくワカルが、現状、そのアニメはすでに終末を迎えているようですし。あのね、これからはいまふうにいうならば「シン・小劇場演劇」ですよ。いいかげん、スマホ聞くのをやめて、読む、観るのやめて、ポケット、ポーチに一冊、ホンを。やって来た氷河期には、尻も暖かくなります。

2023年11月12日 (日)

時世録・45

『ブロードチャーチ~殺意の町~』でみる英国(ミステリ)の凋落。
ずいぶんとアホらしいものをみせられたので、ちょっとレビューを覗いてみた。これがまた莫迦な行為だと理解するのに15分ばかりかかった。
『ブロードチャーチ~殺意の町~』は10年前の英国テレビ・ドラマで、シーズン3まであるのだが、私がみたのは「1」だけだ。別にネタバレとかは気にしないでイイ。このミステリ・ドラマの方法論は、ともかくアヤシイ(犯人かとおもわせる)人物を次々に仕立てていき、もっとも怪しくナイものが真犯人になるのだが、全8話において、その犯人における情報が殆ど無い。情報はアヤシイ連中に集中する。ブロードチャーチという英国の田舎リゾート地のハナシで、冒頭はなんとなくかのデビィット・リンチがミステリをと、驚かせた『ツインピークス』を彷彿させる雰囲気はある。あるのだが、リンチ演出や出演者の演技と根本的に異なって、それぞれの俳優の演技が未だにシェイクスピアを引きずっているような、日本でいうところの「クサイ芝居」ばかりなのだ。一般的にいうと大袈裟。こういうのはもう大河ドラマでしかみられないのだが、これが、レビューを読むと「演技がすばらしい」になる。ああ、そうか、配信営業メディアだもんな。☆4つ以下でも3,5までで、100ばかり読んだが、ミステリ自体に疑問を呈していたのは一つくらいしかナイ。それも、俳優〇〇の演技が良かったからヨシとする、てなことになっている。信用できないのは報道メディアだけじゃナイのだ。うちはこんなスゴイ人気のドラマを配信していますよで、「レビュー宣伝」しているのだ。整体が☆五つネット情報に提供すると、一回無料にします、なんてヤっているのと同じ。
ミステリの本場はアメリカじゃありませんよ。イギリスですよ。この凋落は、英国の国力の凋落とほぼ同じ推移で起こっているような気がする。大英帝国などすでに歴史の墓場に埋もれているのだが、ミステリまでなあ。女性ミステリ作家の80%がアルコール依存だというのも、ワカルなあ。P・D・ジェイムズの『皮膚の下の頭蓋骨』を読んで、もうどれだけ年数が過ぎ去ったことか。作家は故人となり、あの作品を読んで「このひとのホンは読まないほうがイイ、書けなくなる」とココロに刻んだのは十代の頃だっかも知れない。
いま、この『ブロードチャーチ~殺意の町~』というハナクソ・ミステリを観て、なんでもかんでも、「オワ」だなあと、愚痴いいたくなったので、ここでいってみた。そんだけ。

2023年11月 5日 (日)

時世録・44

観劇記録・2023/11/3 「ミッシングリンク」劇団ジャブジャブサーキット
32年前だかのこの劇団のうんと初期の作品だそうで、当初はダンスなどもあり、2時間30分の作品だったとのこと、今回は2時間ちょい。私は持ち運び出来る(東京の作者本読みにも持っていった。次回のパンフ用クサナギくんとの対談にも使用する予定)腰を守る座用クッションを使ったので、幸い、腰痛はナシ。
ミステリを基盤にしているscience fictionのtime travelなので、頭がクルクルするのが、これが、作者(はせひろいち)の〈味〉、美味いんだよな、食い始めると。ともかく、前半はかなり苦しい、これはしょうがない。いきなり犯人が捕まるワケはなかろう。ところが後半はすばらしい加速と、加速重力による観客席の腰痛者の椅子に座り直しのカタカタコットンガチャグリの雑音が、微妙に愉快で、こういうのは、私のブログではおなじみ、トーマス・マンの『魔の山』の前半ぐだぐだ退屈、後半一気に滑降の心地よさと同じ。(『ドグラ・マグラ』もそうなんだよ。途中で挫けてしまったらオワだから、放り投げるな)。
ちょうど、ブログ一つ前は鹿目のところの観劇感想を書いているのだが、わりと対になっているんだな。いまのアルゴリズムの急速進展(生成AIなど)と、nostalgieへ向かう貧困層の乖離。私なんかは情況をそう分析(というほどじゃナイんだが)している。この乖離をうまく受け止めているのが、若きプロ将棋界隈。藤井八冠のAI活用におけるAI超え(9億手めにAIだとその打ち手が出てくるらしい)のなんとまあ、胸のすく、狡猾なる一手であるか(王座戦)。ただ相手のミスを待つという、人間ならば誰でもかんがえそうな一手。しかし、相手がミスるまで、負けられないというまさに必殺ながら狂気の死闘。こういうのが生成AIにはあらへんらしい。
で、もどって、『ミッシングリンク』。終わった瞬間、落涙したよ。涙一滴。そうなのだ、下手とか上手いではナイ。役者(最近は俳優としかメディアには出てこないけど、どこが~〈俳〉=人をおもしろがらせる芸人の意を表す-『角川新字源』~で〈優〉なのか知んないけども)、ただただ、役者はせりふを語る(というよりも「云う」)まるで、『少女ムシェット』の監督、ロベール・ブレッソンが全員素人の役者に命じたように「ただ、台本に書いてあることを喋れ」で、その空飛ぶような感覚がイイのだ。これぞ、我が演劇の、ノスタルジー。演劇に抱かれるとはこのことだ。そういうの、ヤってたんだなあ、三十数年前。で、ポロっと涙。Time travelは、虚構から舞台の上の登場人物の現実にまで変容させ、みんな若いの。32年(正確かどうかは知らんが)前にもどっているの。
鹿目系デコイ銀河から、はせデコイ銀河のナラティブを一挙にワープして、ひさしぶりの観劇に酔いしれている遅く速い寒く暑いヘンテコな秋の日のヴィオロンのため息でした。

« 2023年10月 | トップページ | 2023年12月 »