時世録・31
坊主、教師、両親(すでにどちらも鬼籍だが)、盆栽老人、鶏頭女、共産党、アメリカ合衆国....n
相性が悪いというか、率直にキライというか、七十歳を一歳過ぎてそういうのを集めてみた。まだ、あるのだがキライなものを集めても気が滅入るだけだから、好きなものも書いておこう。
コロンビア映画の冒頭に必ず登場する「自由の女神ふう」のオープニングロゴが撮影されたのは1992年現在でも使用され続けているため30年近く変わっていないことになっていて、モデルはニューオリンズの新聞社「タイムズ=ピカユーン」で働く28歳のグラフィック・アーティスト ジェニー・ジョセフ(Jenny Joseph)さんなのだが、これは半分しか正解ではナイ。実は時代に応じて数回に渡って顔は微妙に変えられている。この程度のことくらいは識っている女性は、好きだな。
なんだか、昨今の〈世界〉はまるで物語のようで、虚構のようで、妄想のようで、それならそれに合わせて生きるのもよかろうとおもう。71年目にしてやっと/人生というものはそれほどたいしたものではナイ/ことはワカッタ。私もおなじようにたいしたものではナイのだが、それがワカッタぶん、たいしたものだ。しかし、これは愚痴である。ひとの愚痴など聞いてもツマラナイだろう。精進落としに、最近読んだ毎日電子版の記事を編集して載っけておく。毎日電子版は、「小学生が総理大臣に出した手紙」などという、物語としてもqualityの低い記事をどかどか載せるのだが、たまにオモシロイ記事もある。以下。
/「原爆」は、2発だけではなかった。広島と長崎に落とされる2週間あまり前から、予行演習として日本各地に49発の「模擬原爆」が投下され、400人以上が犠牲になった。それが知られるようになったのは、終戦から50年近くたってからだった。予行演習は極秘の作戦だったが、終戦から46年になる91年、愛知県の市民団体が米軍の資料を分析・公表したのを機に、各地で調査が進んだ。長崎に落とされた原爆と同じ形状で、重量も同様の約1万ポンド(約4・5トン)。プルトニウムを使う原爆より威力は劣るが、高性能の爆薬が詰め込まれていた。円形でオレンジがかった見た目から、運搬した爆撃機の搭乗員たちから「パンプキン」と呼ばれていたことも分かった。広島と長崎への原爆投下では、45年末までだけでも推計21万人の命が奪われた。一方、模擬原爆の犠牲者は京都府舞鶴市の97人など、計400人あまり。それでも「模擬原爆で得た経験やデータが原爆投下に生かされたのだとしたら、模擬原爆の詳細も後世に残すべきだ」と調査に当たる若い世代もいる。神戸大大学院の法学研究科で学ぶ西岡孔貴(こうき)さん(25)は、大学1年生だった6年前に広島市の平和記念資料館を訪れ、初めて模擬原爆のことを知った。地元の大阪にも投下されていたが、それも知らなかった。「自分も調べてみたくなった」。卒業論文は、東京駅付近に落ちた模擬原爆をテーマにした。調査を進めると、49発のうち3発は詳しい投下地点がまだ判明していないことが分かった。このうちの一つで米軍資料に「神戸製鋼所(神戸市)を第一目標にした」と記録が残る模擬原爆の投下地点を、昨年5月から約1年かけて調べた。全国の高校生約2300人を対象にしたアンケートで、模擬原爆にまつわる話を選んだ高校生からは「原爆のことは広島と長崎しか知らなかった」「なぜ教科書に載っていないのか」となじみの薄さを選択理由にしたという回答が多かった。
「放射能による被害はなかったのか」「そこから本物の原爆の投下を予想できなかったのか」など、威力やその後の対応への疑問も寄せられた。/
「へーえ」の連発である。伝説ではあるが、アメリカは十一発の原爆で日本をほぼ焦土にする予定だったらしい。49発だったんだな。
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