時世録・26
ほぼ1年ぶりに、脳神経外科頸椎狭窄疾患におけるMRIを撮りましたが、結論だけ記せば「現状、打つ手ナシ」。それ以外の疾病と複合して(鬱病と両膝とも緩衝材が磨り減っていますから)歩行は不自由。加齢、老害(半世紀に及ぶ仕事の影響で腰痛をプラス)というのはそういうものなでしょう。で、アトは、どう生きるかではなく、そういう生き延び方をいつヤメルかだけですネ。
To be, or not to be: that is the question.と、これはいわずと知れた『ハムレット』ですが、answerなどはナシというに尽きます。
猫と同化しての私からの七十年の感想ならいえマスね。
〇ひとに頼ってはダメ。腹がタツというより、莫迦をみるだけ。笑ってオワリになればなかなか微笑ましい。といえば、そんな感じ。
〇ひとに頼られてもダメ。ここで多くは「最近、近親交友、世間、冷たくなったなあ」と、自分のあしらわれ方をマチガイます。おもいだしてごらんなさい。そんなに頼られてなんかいなかったですよ、いまもそうですよ。対人関係なんて「温かい」というより「あ闘い」だったじゃナイですか。それはそれでオモシロイもんでしたけど。
〇人生についてかんがえたのは失敗。こういうものなんだが正解。まあ、みなさんみんなこれで失敗しているんですけどね。勘違いして成功している方も多々いらっしゃるようですけど。
ナチの強制収容所を経験され、卑劣な環境の中で生き延びた精神科医の故ヴィクトール・フランクルのコトバを引用。
「そもそも我々が人生の意味を問うべきではありません。我々は人生に問われている立場であり我々が自分の人生の責任を引き受けることにのみ、その問いかけに答えることができるのです」
「責任」かどうかはともかく、引き受けてはきたとおもっていますが。その証左ですか、それって成した悪事の数々のことですかネ。
さて、昼飯。本日のポンチ絵おわり。
「心と体」カテゴリの記事
- 時世録・26(2023.07.24)
- Sophism sonnet・69,8-13(2022.02.09)
- 愛と性をみつめて(2021.10.25)
- 無学渡世・第二幕の6(2021.07.20)
- 無学渡世・第二幕の4(2021.07.10)