時世録・22
並行に脳は使われた。
最近、評判らしい「デカミス(警察やら弁護士やら記者がらみで若いヒロインがいての、ミステリ・コミックを読みつつ、具体的には『クジャクのダンス誰がみた?』ですが)、/最近、多いなあこういうコミック/。「海老オペラ」とはいうけれど、こういうのが「文化の廃れ」の前兆なんじゃないだろうなと、ちょいと心配になりつつ、しかし、『ダイマシン』といい『イリオス』といい、リチャード・ウーには完敗だなあとおもうのだ。物語のinspirationというか、situationのぶったまげさというか、要するに刑事ミステリ(小説)を漫画にしているその他大勢の時流屋連中に、アキレスの亀の如く平然と(あきらかに放り投げ作品も含めて)差をつけフラッグを立て続けているのは、そうしてそれがもう、山風さんを抜いているのは、驚くしかナイのだ。つまりコミックとしての虚構の〈世界〉を悠然と武器にして、逆にリアルな「デカミス」を書いているということだ。コミックは『ミステリとはいう勿れ』からなのか(これは少女が主人公ではないけれど、少女・女性が重要な登場人物として登場する)、あちこち、そういう「デカミス」の増殖、雨後の竹の子なのだが、なんだか、時代劇が衰退したときのように、みょうにリアリズム(時代劇でいうなら時代考証)を持ち込もうとして、そいで、つまりstoryにrealismを持たせようとしているのだが、考えても(考えなくても)みよ、『ドグマグ』『黒死館』『虚無供』のどこにリアリズムなどというゲスがある。演劇というものも戦後リアリズム演劇なんてのが云いだされて、romanticism文学は蹴散らされ、で、けっきょくそのリア(リズムの)王さまも、唐十さんの現代幼童歌舞伎に押し流され、不幸なことに、唐さんの疾病で、今度は伝統芸の歌舞伎のほうが取り沙汰となっている。しかしながらリアリズム演劇は、この厚顔無恥がとおもうほどに何食わぬ顔してのさばっているのだ。
と、まあ、並行の一つはそんなふうなこと。
もう一つは自殺念慮について。
ひょっとすると、これは老年性鬱病なのかも知れない。と推論してしまった。意味なく(意味はあるんだろうけど)この年齢(私、71歳)になると、半世紀に及ぶ演劇人生で犯した罪の数々、ペテンの数々が、自らの嘘として、自己許容出来ない性格、資質を持つものには、襲って来る刻なのかも知れない。以前は、あのときああしていれば、あの娘は助かった、扶けることがでけたのに、と悔やんでいたものが、ちょいと波がカタチをかえて、ああしなかったから、こうしたから、いま、あの娘はこんなに(どんなんかは詳しく知らんのだが)なったんだぞ、と、自責になっていて、それが自罪となり、自殺念慮への誘いとなっている。と、こうい理屈なのだが、そこで、もうそりゃああんた、罪は罪、罰は罰、世の中が罪と罰で出来ていなければ、神様も出番はなかろう。けだし、私は神でもこの世界の住人でもナイ。どっから来たのかワカランけれど、来たんだからもうすぐ還るから、それまでは、もう「成り行き」ということで、泣いておこう。
さて、水菜と油揚とキノコの煮出しでもつくろう。晩飯だ。
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