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2023年6月16日 (金)

時世録・20

/ヨハネの福音8章7節/
1イエスはオリーブ山に行かれた。
2 朝早くまた宮にはいられると、人々が皆みもとに集まってきたので、イエスはすわって彼らを教えておられた。
3 すると、律法学者たちやパリサイ人たちが、姦淫をしている時につかまえられた女をひっぱってきて、中に立たせた上、イエスに言った、
4 「先生、この女は姦淫の場でつかまえられました」
5 「モーセは律法の中で、こういう女を石で打ち殺せと命じましたが、あなたはどう思いますか」
6 彼らがそう云ったのは、イエスをためして、訴える口実を得るためであった。しかし、イエスは身をかがめて、指で地面に何か書いておられた。
7 彼らが問い続けるので、イエスは身を起して彼らに言われた、「あなたがたの中で罪のない者が、まずこの女に石を投げつけるがよい」
8 そしてまた身をかがめて、地面に物を書きつづけられた。
9 これを聞くと、彼らは年寄から始めて、ひとりびとり出て行き、ついに、イエスだけになり、女は中にいたまま残された。
10 そこでイエスは身を起して女に言われた、「女よ、みんなはどこにいるか。あなたを罰する者はなかったのか」。
11 女は言った、「主よ、だれもございません」。イエスは言われた、「わたしもあなたを罰しない。お帰りなさい。今後はもう罪を犯さないように」

最近の『文春』は銭儲け優先が突出してきて、ほんらいならば、現総理家族の国会議事堂内宴会赤絨毯寝そべりを叱咤せねばならないところを、広末涼子の〈不倫〉暴露(といっても待機していただけなんだけど)で揉み消しだ。
芸能人てのは河原乞食だから、たいていが毀誉褒貶、羨望蔑視、そうしていざというときの政治家の罪隠しに利用される。〈不倫〉というのは倫に不(ブ)なんだから、良い行為ではナイ。しかし、ものども聴くがよい。/ヨハネの福音8章7節/だ。おめえら、良きことばかりしてんのかってえの。そんなワケがあるまい。こういうところは唯一のキリスト教徒(と、ニーチェのいう)イエスの優れたところだろう。
広末涼子の恋した相手ってのが、これがイケメンでもなんでもナイ。飯屋のオヤジなんだ。(ちゃんと顔を出している。昨今は露出しているとかいう)。広末のいまの夫もコメントで広末のことを責めていない。彼女の家事育児は万全、よって自分はボランティアやってられるから稼ぎが少ないので「ヒモですよ、私なんか」と謙遜する。

恋はいつから犯罪になった。
政治屋は少子化を子供(あるいは両性)の「生産」と「消費」の経済学でかたづけようとする。ところが、与党(水脈おばさん)も野党も経済学なんかまともにヤったことナイから「生産」と「消費」の関係すらワカラナイ。日本スターリニズム共産党ですらだ。(ついでだが日本共産党の綱領なんか読んだらゾっとするぜ。主筆高校時代のハナシだが)。
てんで脈絡のナイ世界政治は、ヒロシマG7の追悼献花を腰に巻いてハワイのフラダンスとなる。インドのモディ首相のいう「いまは戦争をしているときではナイ」はアメリカを向いてのコトバでもあるのだ。では、いまはなにすべきか。
恋だろ。罪無き者たちだけが石を投げよ。書を棄てよ、恋をしに町に出よ。
広末涼子は河原古事記である。

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