時世録・19
江戸時代の暮らしなど、時代劇でしか知らないから、日向子さんが生きてらっしゃったときに対談して、へーえ、そうだったのかという、驚きは多かったのだが、それとは、別に最近とあるSNSで仕入れた知識が「へーえ」だったので、紹介しておく。
/江戸時代に関する誤解の代表的なもの
「士農工商という身分社会だった」というのが、代表的。これは武士が学ぶ儒教の世界のお話で、実際にこのような身分は存在しなかった。あったのは、公家は公家の世界、武士は武士の世界、庶民は庶民、宗教は宗教とそれぞれ基本的には自治で成り立っていた。自治の中ではそれぞれ明確な身分があった。(これは、時代劇を観ていてもよくワカル。旗本と部屋住では大違い)
「農民は苦しい生活だった」というのも誤解。農家が苦しいのは飢饉の年。現在でも農村に行くととても大きなお屋敷が並んでいるのを見かけるように、農村経営(自治社会です)は武家に搾取されるだけの存在ではナイ。特にその村の名主が、元戦国武将だった地域では、領主との立場もかなり拮抗していた。
米以外の様々な産物が売買されるようになっても、商業取引は基本的に非課税ですから、農家もとても儲かった。献金をしたり、組合組織を作って、収益の透明性をはかって納税額を決めるなど、領主へ貢献した。
また、水呑百姓という耕作する権利のある田畑を持たない農民も、広い耕地を持つ大きな農家から請負で農業をする。耕作人には耕した田の1/2の権利があるが、その田の年貢は雇い主の分から支払われる。4割が年貢だとすると、雇う側は1割しか手に入らない計算になる。しかし、実際には検地で指定される収穫予定高は、実際に採れる量の半分くらいだった。つまり、2割くらいの課税。
年貢を強引に取ると、農村から大名や幕府に直訴(越訴)され、統治能力ナシと判断されれば領地を失う。失わない場合は農民が逃げてしまい、田畑を耕す人を失う。
農村では個人に「先祖の土地」もナイ。土地の所有という概念が生まれるのは明治以降。農村では農村の土地は存在したが、それぞれの農家は「耕作権」を持って居ただけ。村の中でも良い土地と悪い土地があるので、公平になるように振分けられ、数年に一度くじ引きで入れ換えが行われた。ですから、先祖代々の「村」が正しいといえる。/
/切腹は腹は切らない。
新渡戸稲造が広めた誤解。切腹における介錯は短刀へ手を伸ばして体がやや前のめりになった瞬間に行われ当人は短刀を手にする前に絶命する。言って見れば斬首刑だが、斬首刑との違いは名誉の有る無し。斬首刑の場合、河原などの野外で衆目の下で見世物として執行され、首は晒し物になる。
切腹の場合は基本的に屋敷の中で君主の見聞の元で執行され、辞世の句を作るなどの手順を踏むことで名誉に配慮されている。切腹は腹を切らないというのは当時の武士の中では当たり前だったようで、短刀ではなく扇子を代わりに置いた例もある。
以上。まあ、私たちはエンタメとして時代劇を楽しんでいればイイのだから、受信料とやらを強奪されてまで、チンケな歴史劇を観る必要はねえわな。
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