時世録・8
『核戦争、どうする日本?「ポスト国連の時代が始まった」』(橋爪大三郎・筑摩書房)は大ちゃん先生、いや、橋爪老師の他の著作を識らないと、/何、これ、昼間は街宣車に乗って、夜は街の辻で卜占ヤってるひとが書いたのケ/てなふうになることはまずマチガイないシロモノ(のようなホン)なのだが、つまり、「ボケてんじゃねえぞっ、老いも若きもネィチャーを守れっ、日本が危ないっ」という警告、オルグ、叱咤、檄文。とはいえ、大三郎老師の論理についつい引き込まれて、「そう、そうなんだよなあ」とついつい頷く。オレ、台湾好きだしなあ。イイ国だよ。
これ一冊で日米安保から日本国憲法9条の関係、左翼intelligentsiyaの嘘、ノーテンキ、何故、日本は核武装しないほうがイイのか、たいていワカリマスわ。ただし、論理において、テキ屋よろしく「ひとの命=人生」はエポケー(カッコに括ってある)してあるので、その点は注意するのと、「自衛の方法は攻撃しかナイ」というこれまでの戦争論の域は出ていないことがそこは社会学者のスキームなのかなあともおもえます。私なんざ、いまなお太陽フレーム作戦(電磁気嵐の活用)に拘っている類ですから、果たして士気盛んにしても長射程巡航ミサイル1000発で台湾が守れるかとうかは少々疑問なんですが、大三郎老師の論理展開にはかなうワケなく、といいますか、このホンの書き方を老師自ら「太字の部分は命題として扱う」と述べてらして、つまり自問自答ではなく自問事案(自案)、で、さあどうする、という迫り方だから、うーむなるほど、とかんがえざるを得ない。
とはいえ、日米安保、9条、自衛隊、集団的自衛権、ひいては西側連合の設立と、夢は大きな少年剣士、赤銅鈴乃助(これはあだ名、本名は金野鈴乃助なんだなあ、知らんかったろ)にするすると理解が及んでいくところなんざ、さすが大三郎老師なんですワ。
さらに、とはいえ、日本に投下された核、つまり原爆は攻撃兵器というよりヒロシマ、ナガサキにおいての「実験的」要素が大きかったことについてはまったく触れられておりません。アメリカ(トルーマン大統領だったっけ)の言い分は「米兵の損害を減少させるため」なんですが、あの時点ではもう勝敗はワカッテいたのだし、米兵つったって、まず上陸してきたのはカラッドで白人じゃナイし、原爆の製造を提言して後に悔やんだアインシュタインも、べつに悔やむことはナイのだ、だって、原爆は「神の名において」投下されたのだから、殺した述べ人数でいくと、中世からこっち最も大量に殺人をヤっているのはイエスに従ったキリスト教バテレンのカトリックやらクリスチャンやら下座のものども。プーチンだってロシア正教会の信者なんだからな。
にしても、ひさしぶりに活字を読みました。たいへん、勉強になりました。腰が痛くなりました。