アト千と一夜の晩飯 第四十二夜 ゆんべ寝る前にベッドで
ふと、かんがえたことをスマホメールで、PCに送信したものをまとめると以下になる。
〇ブラックホールを漢字で書くと「虚無空洞」になります(と、かってにそうimageした。寝る前だからナ)。ではブラックホールというのは色即是空の色だろうか空だろうか。
〇私たちが色であり空であるということは量子が波でもあり粒でもあるということと同じような意味合いを持っているとして、ボーアのコペンハーゲン派解釈は否定されているので、私たちはとりあえずは波動であり、この状態ベクトル、波の重なりあったところが粒子として概念化されているのだが、要するに私たちは何であるのかそれがワカラナイまま命尽きるのは非常に悔しいことでありますナ。銀河系だけでなく宇宙のすべての象限において唯一の知的生命体であるヒトとは何なのか知りたいネ。私たちの生きざま、活動、行動、営為がどんな意味や価値を持っていたのかワカランことも悔しい。過去や未来は考える必要は無い。ただただ今現在生きるそのことの意味と価値が知りたい、あるいはかんがえるべきなんだけどねえ。
〇いい換えれば確率論的非線形微分方程式はいかにも数式のように見えますが現状世界の状況を数学的に言い表しているだけです。ここにおいてはマルクスの資本論もアインシュタインの相対性理論も決定論的線型微分方程式にしか過ぎません。宮沢賢治の『農民芸術概論綱要』にある「永久の未完成これ完成である」は、やっぱお見事だな。フーコーの地層的歴史観も何が積もっていくかワカラナイということであれば非線形でありましょう。何が起こるかワカラナイが、それが時に悲劇であり時に悦ばしきことであり、ワカラナイことが多いということが歴史原理なのかな。
〇とりあえずは殺し合うための準備などは避けたほうがよろしい。/生きていくためには殺さねばならない、食物連鎖だけでケッコー/防衛論は「ともかく敵を攻撃しない、人民に損害を与えない」という命題を解くところから始めるべく論議である。つまり「詰めれば勝ち」がイイんじゃないのかな。
おまけ: なんでこんなことをふとふとおもったのかというとですね、ラジオでね、若いミュージシャン・バンドが自分たちの歌の「僕にはきみが必要だ、しかし、きみには僕が必要だ」/(まとめるとそうなる)という歌詞に感動して泣いたというメールがきてますけど、そうだよね、ここの歌詞がスッゴクいいよね/と語り合ってらしたのにひどく焦燥感をおぼえたもんで、だとおもいます。相対的にいまの若いバンド、ミュージシャンには温故知新というものが欠落している気がしているもんでして。
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