無料ブログはココログ
フォト

« アト千と一夜の晩飯 第三五夜 孤独死とはなんだ 6 | トップページ | アト千と一夜の晩飯 第三七夜 唯一の贈り物 »

2022年12月18日 (日)

アト千と一夜の晩飯 第三六夜 孤独死とはなんだ 7

大澤真幸老師の『三島由紀夫 二つの謎』を読書中。文章は武骨だが充分にオモシロイ。武骨な殺陣、たとえば栗塚旭さんのような剣演も好きだからネ。私は竹田青嗣老師の著書数冊からフッサールの現象学を学んだが、竹田老師の文章はもちっとsmartだったか。竹田老師がさる保守本流の有名評論家(有名なのに自殺なさったからなのか、いや単なる記憶欠陥で名前がおもいだせない)との対談で「私はチェスタートンはまったく知りませんでした」と述べられたときには吃驚仰天したけど。知らんものは誰にでもあるのんやと安心もした。
ところで、三島由紀夫さんの太宰治嫌いはよく知られているが、ここに短文をを幾つか引用する。
/天皇陛下万歳!この叫びだ。昨日までは古かった。しかし、今日に於いては最も新しい自由思想だ。十年前の自由と、今日の自由とその内容が違うとはこの事だ。それはもはや、神秘主義ではない。人間の本然の愛だ。今日の真の自由思想家は、この叫びのもとに死すべきだ。アメリカは自由の国だと聞いている。必ずや、日本のこの自由の叫びを認めてくれるに違いない。わたしがいま病気で無かったらなあ、いまこそ二重橋の前に立って、天皇陛下万歳!を叫びたい/
/生活で解決すべきことに芸術を煩わしてはならないのだ。いささか逆説を弄すると、治りたがらない病人などには本当の病人の資格がない/
/その不具者のような弱々しい文体に接するたびに、私の感じるのは、強大な世俗的な徳目に対してすぐ受難の表情をうかべてみせたこの男の狡猾さである。この男には、世俗的なものは、芸術家を傷つけるどころか、芸術家などに一顧も与えないものだということがどうしてもわからなかった。自分で自分の肌に傷をつけて、訴えて出る人間のようなところがあった/
/もちろん私は氏の稀有の才能は認めるが、最初からこれほど私に生理的反発を感じさせた作家もめずらしいのは、あるいは愛憎の法則によって、氏は私のもっとも隠したがっていた部分を故意に露出する型の作家であったためかもしれない。従って、多くの文学青年が氏の文学の中に、自分の肖像画を発見して喜ぶ同じ時点で、私はあわてて顔をそむけたのかもしれないのである。しかし今にいたるまで、私には、都会育ちの人間の依怙地な偏見があって、「笈を負って上京した少年の田舎くさい野心」を思わせるものに少しでも出会うと、鼻をつままずにはいられないのである
この中で、太宰老師の文章は最初の「パンドラの匣」だけ。他は三島老師の『小説家の休暇』『太陽と鉄』からだ。これだけで妙な顔をしていてはいけない。この文章すべてが太宰治老師のものであっても三島由紀夫老師のものであっても構わない。というより、三島老師の短文は一人称の自戒のようにも読める。A=非(ナル)Aというところが大澤老師の謎解きのミソなのだと勝手におもっているが。つまり、三島老師にとって、太宰治作品とその生き方は充分に『太宰治劇場』として『三島由紀夫劇場』を脅かすものだったのだろう。それがよくワカルところが大澤老師の理路のオモシロサともいえる。後半が楽しみです。

« アト千と一夜の晩飯 第三五夜 孤独死とはなんだ 6 | トップページ | アト千と一夜の晩飯 第三七夜 唯一の贈り物 »

文化・芸術」カテゴリの記事