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2022年12月16日 (金)

アト千と一夜の晩飯 第三四夜 孤独死とはなんだ 5

鬱病の現象(症状とはもう称しないことにしている)で、毎日の稽古参加は無理なものだから、一日おきということで参加しているのだが、合間の一日をのんびり過ごしているというワケではナイ。そうは上手く出来てはいない。とはいえカラダのほうはやはり楽なので、のんびりとかんがえごとなど独りでしている。のんびりしているのかしていないのか、たいてい稽古のことを〈反省・ここでいう反省は、後悔を含む倫理的定義ではなく、ヘーゲル弁証法における反省、省みることを云う〉しつつだから、逆にひどく落ち込むこともある。稽古というのは鬱病特有の躁状態でしかなく、ヤっていることはみなマチガッテいるのではないかなどとおもったりする日もある。そんなのに付き合ってばかりもいられないので、活字の読書なんてのをヤってみたりする。最近は『おどろきのウクライナ』(大澤真幸×橋爪大三郎/集英社新書)を時節がら読んだり、いま、その末尾宣伝にあった『三島由紀夫 二つの謎』(大澤真幸/集英社新書)を読んだりしているのだが、後者のほうがミステリを読むようにオモシロイ。どうも前者は、日本の最高頭脳の対談にしては、やや通俗的に過ぎるような気がするからなのと、後者は「謎」に挑んでいるところが/名探偵みんな集めてさてといい/を彷彿させるからなのだが。私もまた同じ大澤老師が扱っているように「謎」だとおもっていたので余計にオモシロイのだ。
ところで、それについてここで自説を展開する気はナイ。
やはり、稽古だなあ。今回の演目でavecビーズは解散、最終公演ということになるのだが、そこで、私が企んだのは、ここからネタバレになるのだけれど、そういことは気にしないタチだから述べてしまうが、/小劇場演劇/などとメディアが持て囃す以前の、私たちのコトバで云えば「自主制作演劇」みたいなのを創りたいということで、そこで、ここまでにワカッタのは、よーするに小劇場演劇というのは「明日くるひと」による「明日くる演劇」だったんだなあということだ。つまり「若い」ヒトのものだったんだですよ。オレだって若かったもの。そうか、いまの世界は「若い」ヒトはそれどころじゃナイのだろう。ゲームしてるか、アニメ観てるか、コミック読んでいるか、仕事も銭も、そうして肝腎の「明日」が無いのだ。卑近に云うなら「暇がナイ」。まあ、明日になったら今日だから永遠に明日なんて来ないのだけれど。ともかく空いた時間は働かないと、いや働いても明日食えるかどうかワカラナイのがいまの「明日くるひと」で、こうしたことから私は「小劇場演劇が終わったいま」なんていいふらしているのだが、かつて活躍したロートルは何をしているかというと、ひでえのになると、自分の書いた戯曲の全集を出版するのに財を放出してるってんだから、そんな昨日のコトをほじくって棚に飾ってどうすんのと云いたくもなる。私も残すところ、アト千と一夜なのだが、ひとつだけヤッてみたいことがあって、いまの稽古と鬱病がとりあえずカンカイしたら、とりかかる。まだまだ孤独に死ぬことは出来ない。てなと云うと死亡フラッグになって、明日の朝、突然死んでたりするんだからナア。

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