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2022年12月10日 (土)

アト千と一夜の晩飯 第三二夜 孤独死とはなんだ 3

前説代わりにアルフレッド・アドラーという心理学者の逸話をひとつ。
/アドラーは心理学の講義を行った後、用意された昼食を学生たちと楽しんでいた。だが、ひとりの女性は、サンドイッチと飲み物だけの昼食が続くことに腹をたてて云った。「毎日アドラー先生にサンドイッチを食べさせるなんてひどい。先生のような偉大な方に」と。アドラーは女性にこう云った。「いいですか。もしも私の中に偉大さというものがあるとすれば、私が食べたもののためではありませんよ」/ここにアドラーの人格はすでに殆ど現されている。
アドラーはフロイトとも交流があった。しかしフロイトのいわゆる「無意識→意識」という図式には賛成していなかった。アドラーは、医学の知識を通じて社会をよりよくしようと考えていた。/私たちは、自分の経験からの衝撃、いわゆる外傷に苦しむのではなく、まさに自分の目的に合致する外傷を作り上げているのです。私たちは、自分の経験に与える意味によって自分を決めています/(人生の意味の心理学)。無意識の中に抑圧された性衝動やトラウマが人間の意識や行動に大きな影響を与えると考えたフロイト。それに対しアドラーは過去の衝撃的な経験そのものよりも、その経験を心の中にどう位置づけるかという「意味」こそが人間の行動を支配していると考えた。貧しい家庭で育った子供が「だから自分は恵まれた人生を送れない」と考えるのか、それとも「逆境をはね返してみせる」と奮起へのバネとするのか。自らが置かれた環境にどんな「意味」を与えるかによって、人生の結果も大きく変わる。これがアドラーの個人心理学だ。このあたりは、黒澤明『隠し砦の三悪人』のあの秋月家の生き残りである雪姫の有名なせりふに応用されている。auditionで選ばれた雪姫役の女優はほぼ素人だったため、聾唖(に化けている)という設定になっていたが、一カ所、衝撃のせりふをもって、自分の命を奪いに来た敵将を叱咤説得するのだが、それは、映画を観たほうがイイ。感動のシーンだ。
もうひとり交流のあった科学哲学者のカール・ポパーはアドラーの個人心理学は疑似科学だと批判している。 ある時、ポパーは小児患者の症例をアドラーに報告した。しかし、アドラーはその患者を診た事さえないのに、自分の劣等感理論によってその事例を事も無げに分析してみせた。こういうことをするとポパーによって、アドラーの個人心理学はどんな事例も都合よく解釈でき、反証可能性の無い理論はニセ科学であるとされてしまう。どっちが阿呆か、「科学哲学」者たちのご本を何冊か読むとよくワカル。読んでみればヨロシイ。主筆も読んだ。あいつらはほんまに阿呆だ。
ある種の寄生体を宿すオオカミはリーダーになりやすいが、リスクを冒す傾向が強い。1995~2020年に採取したオオカミ229匹の血液から、トキソプラズマという小さな寄生虫が感染した痕跡があった。この寄生虫はネコ科動物の腸に生まれ他の動物も渡り歩く。健康であれば症状はほとんど出ないが、脳や筋肉に巣くう。寄生体がオオカミに何をしたのかはよくわからないが、調査チームの一人は「脳を操っている気がする。ホルモンの分泌を変え、リスクの高い行動を促しているのかもしれない」と疑う。
と、本日は前説だけで終わる。日経、毎日、の電子版からサンプリング、リミックスして、自説を加えただけだけど。前説なので、次は本論を述べる。
つまり、つづく。

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