無料ブログはココログ
フォト

« アト千と一夜の晩飯 第三四夜 孤独死とはなんだ 5 | トップページ | アト千と一夜の晩飯 第三六夜 孤独死とはなんだ 7 »

2022年12月17日 (土)

アト千と一夜の晩飯 第三五夜 孤独死とはなんだ 6

芸人、役者その他被差別者のことを「河原乞食」と称した謂われ、起原、理由、については諸説あり、現状では研究、論争、調査などがおこなわれている最中だが、私の識るところにおいて、芸人(歌舞伎者)、役者など河原者と呼ばれていた諸々の被差別庶民が、住居などを河原に定められていたのは事実らしい。らしいというのは、私の読んだ記事にも所出資料が示されていなかったからだ。推測にしか過ぎないが、生活用水(もしくは職業上の用水)には困らなかったというのもひとつの理由だろうが、そういった被差別庶民を一カ所に封じ込めて、人別帳に記帳せずにおいたことも事実だろう。彼らには戒名も与えられなかった。唯一親鸞の浄土真宗においては、戒名は与えられたが、寺の坊主だけにその出自がワカルような特種な暗号的な戒名だった。私の祖母は、京都出身の被差別部落民であったため、それが戒名で知られるのを隠して高い戒名料金を支払い生前戒名をつくっておいた。戦前出国、マレーに逃避してハリマオとなんらかの関係を持ち、再び日本に入国して等々、出身地を隠蔽するのに幾つもの手立てをかんがえたりもしたのだろう。
芸人、役者を一カ所に集めて住まわせるというのは、あたかも留置のようだが、その人々にはそれなりに世間に対しての〈影響力〉があったものとおもわれる。これはいまの芸能界を思い浮かべればたやすく理解出来ることだ。
さて、かくなる被差別庶民においても集団である以上、統率者、権力者は必要悪として具現する。(いまの政治家だって、その程度のものだとおもいますがネ)何事につけ、ニーチェの弁を待つまでもなく、ヒトには権力(力)への意志というものが存在し、そこにつけて誰にだって〈欲〉というものがあれば、「権力欲」などすぐに成り立つ。「権力」自体には善悪は無い。もし、在れば宗教上の最高権力者である神などはまったくの悪の権化でしかナイということになる。つまりはこの「権力」の使いようなのだ(たしかにあんまり良いようには使われてまへんけど)近頃はハラスメント(harassment人を困らせること。いやがらせ)と結びついて、パワハラやらセクハラなどと称される。共同幻想を持ったひとの集まりあるところ、「権力」あり「権力欲」あり、ハラスメント(harassment人を困らせること。いやがらせ)あり、という事態になっていることは周知の如くだ。政治、宗教団体にこれが多いのが世間の常識だが、昨今は会社や、劇団(こいつはもう古くからあるんだけど)にも蔓延るようになってきた。前者は出世に関係し、後者は役者のランクや役のもらいどころに関係する。いい役が欲しいのなら、監督の指示に逆らってはいけない、演出の云うことはナンデモ「はい」と返事しなければいけない。師匠の罵詈雑言、暴力を修行とおもわねばならない。こいつはもう一度云うが昔っからの悪習なのだが、昨今、かつて小劇場劇団と称されたユニットにまで流落してきたことがSNSなどの書き込み、訴状、告知によって明らかになってきた。「世界的に有名(と、メディアだか、自称だか)な演出家」の演出素振り、灰皿を投げるとか、メディアが稽古見学に来る日は道着を身につけ木刀の素振りをやっているとか、そういう類は、茶話、酒の席での談笑であったが、なんだ、またかよと気持ちの悪い昨今のSNS騒動、「そんなもんは、世間からみたら、河原もんの痴話喧嘩や」と、祖母なら云うかも知れない。祖母は命懸けのsingle-motherだったが、死に水をとった私から観て「孤独死」だったとはいまもおもってはいない。彼女は静かに、朝、逝った。形見のオパールの指輪は私設の画仏壇に並んでいる。

« アト千と一夜の晩飯 第三四夜 孤独死とはなんだ 5 | トップページ | アト千と一夜の晩飯 第三六夜 孤独死とはなんだ 7 »

日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事