無料ブログはココログ
フォト

« アト千と一夜の晩飯 第二八夜『寿歌』とロ×ウ戦争・5 | トップページ | アト千と一夜の晩飯 第三十夜 孤独死とはなんだ »

2022年12月 7日 (水)

アト千と一夜の晩飯 第二九夜『寿歌』とロ×ウ戦争・6

〇「主筆が云うんですワ。七十歳になると、この先どう生きるかというかんがえかたが極端になってくると。
●「極端というと、
〇「これまた極端な例なんですけど、ロシアで徴兵、つまり動員ですな、それが大きな声で総動員とは云えへんから、まあ、いくぶんか動員というふうにした。しかしこれもかなりエエカゲンな動員になってる。そこで、ワグネルだかワグナーだか、ロシア語でどっちの読み方が正しいのかワカリマセンが、私兵会社(私立軍隊)が、まあプーチンの許可があるからなのか、テキトーなのか、獄舎の犯罪者を徴兵する。つまり最前線に立って働くなら刑は無しにしてやる。とはいえ、これは弾除け、というより具体的な使用目的としてはウクライナ軍の隠れている陣地をみつけるためのよくいえばレーダー、ふつうに云うなら囮の犬でんな。そういう取り扱いで、テキトーに銃を撃たせて前進させる。ウクライナ軍も応戦せなしゃあないので応戦する。当然、受刑者はみな殺されますワ。その代りにウクライナ軍の陣地の場所がだいたいワカル。そいでそこを正規のロシア軍が攻撃目標にする。これはもう役立たずを役立てる、日本の与党の女性国会議員が、非生産的な役立たずは生きててもしゃあないので援助なんか要らんいうて、問題になってるのとよう似てるんですが、/七十歳以降の生き方というのもそういうのに似ているとろがある。七十から何か始めるには、体力も能力も劣化している。当人にとってもやる気(士気)は落ちている。生きていてもしゃあないナアというのが、老人性鬱病や/。
●そらまあ、極端やな。難儀な疾病、いや、主筆は鬱病を疾病とは認めてへんな。
〇「ここで主筆はへそ曲がりやから、また自論を反転させるんです。いや、そんなことはナイのとチガウやろか。なんど、七十やから生きていける生き方があるはずや。
●「そやな、主筆の資質からするとそうかんがえるやろな。
〇「しかし、生きていくというのは何か見返りというか目標というか、それ相応の快楽がナイとやれんもんや。この場合の快楽は、古代ギリシャのエピクロスの説いた〈快楽主義〉で、身体の健康や精神の平静を奨励した倫理的利己主義の一種ですナ。
●「なるほど。
〇「しかし、主筆はいま鬱病で、健康面はキツイ。精神の平静いうても、やっぱり好みの姉ちゃんは眺めてて、そう、もうヤル気はナイねんけど、眺めるぶんには平穏やから/花の命は短くて/とかなんとか云いながらも、マスク美人との妄想に耽ったりする。
●「七十いうたら、まだヤレルやろ。
〇「そらあんた、鬱病には無理ですわ。どうせ無理なら花電車ですナ。観るだけで乗れんでもエエ。
●「なにもそればっかりが生きがいやナイやろ。
〇「そうでんねんけど、主筆がいくら阿呆でも、もう女がどんなもんかよう識ってますしね。それに他の生きがい、やりがいのあることをさがすのが、鬱病にはキツイですわ。というて、ロシアの弾除け、人間レーダーみたいに死ぬのもアホラシイ。そこで、『寿歌』のゲサクみたいに、ただただリアカー曳いて歩くだけで出来ることないか、うさぎみたいに丸焼きでもええわ、みたいになってますねん。「人生100年」みたいな大嘘こいて年金ちびって、他にぎょうさん税金つくってる政府にも腹が立ちますけどナ。このまま死ぬのも「アホラシイ人生の証左」になるだけのことやし、ああそうそう、こないだも、人生についてはこんなこと云うてましたで。
●「なんど、エエことか。
〇「なんやしりませんけど、/人生は記憶の確認みたいなもんや/ですねん。
●「つまり、いま生きているのは、これは記憶の中のことやと、
〇「そうでんな。
●「夢か現か幻か、やな。キ印のかんがえそうなことやな。
〇「いやあ、わてなんか、そう云われてなんや納得するとこもありましたワ。そういうたら、なんやいまの人生いっぺん生きたよう気がするナアと。

« アト千と一夜の晩飯 第二八夜『寿歌』とロ×ウ戦争・5 | トップページ | アト千と一夜の晩飯 第三十夜 孤独死とはなんだ »

日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事