アト千と一夜の晩飯 第十八夜 革命の正体
いま世界は三つに分断されているのだそうだ。ロ・中などを中心とする「専制国家」、欧米・日・韓などの「民主主義国家」、インドを筆頭とする「新興国国家群」。チガウ分け方で云うと「富裕」と「貧乏」と「貧困・貧窮」。
いずれにせよ、世界の人口はついに80億人となったらしい。今後、100億で頭打ち、その後は減少の一途。あるいは80億あたりのいまが最高なのではという説もある。どうでもええねんけど、毎日三食「めし」が食えているのは、現在10億。どうでもヨクナイ。いや、それがどうでもええというてんのとチガウ。
あちこちで「革命」盛んな頃、この「革命」はつまりはマルクスによる「資本論」からきているのが中心なんやけど、ある労働者だか革命家だかが、一杯ヤっているときにか、立ち小便しているときにか、ボソっともらしたコトがあって、「要するにな、わしら何で革命やろうとしてるんや。そもそも、革命して何がどうなんねん。革命とはなんやねん」と、実に真っ当な問いかけをした。傍らに或いは一緒にいたのが、「そやな、なんや労働者の解放とか、ブルジョアとの階級闘争とか、難しいしワカランねんけど、けっきょくな、わしら飢え死にしとうナイから、つまりそやから、〈めし〉のために闘うてんのとちゃうやろか」「そやな、つまるところ、それしかナイな」ウソのように書いたが、これは実際にもう少し大きな問題として、当時伝播した現実のハナシだ。
エーリヒ・フロム(ドイツの社会心理学、精神分析、哲学の研究者。マルクス主義とジークムント・フロイトの精神分析を社会的性格論で結び付けた)なんかを読んでいた輩で質(たち)の良いのは、自由と愛についての革命を夢みたりしていた記憶が(主筆十代の頃)あるが、あんまり良くないのは、自由恋愛(つまるところ、free sex)の流行を招いた。「おまえは、三食まともにめし食えて、いや、食わしてもろうて何が革命やねん」と、両親の何れかが血管切れんばかりに唾を飛ばすと、同じように当時流行していた共同体(コミューン)などに群れ棲む連中は「誰とでも好きなときにオメコ出来るようになるのが革命なんや」「阿呆、ほなたら、革命いうのは、ヒトが犬猫、いや、犬や猫でもサカリのあるときだけや、そんなんになることか」と、これも、いまの若い人にはウソみたいな対論ではあるが、あちこちで聞かされた会話なのだ。現在、若い人のあいだで梅毒が急増しているそうだが、あの時代もそうやったなあ。主筆はどうしてたか、悲しいかなそのエロ当時に鬱病を発症して、オメコどころではなかった。タクシーの運ちゃんに、乱交パーティー会場を教えられたこともあるが、「あのな、乱交パーティーはな、ヤってるときはエエねんけど、終わってから、脱いだ自分のパンツを捜すのが面倒やねん、キンタマぶらぶらさせて、あちこちに散らばっているパンツを一つ一つ拾っては確かめとるのがうろうろしとるねん。あの姿みたら、二度と行きたくなくなるさかいに、パンツは多めに持っていったほうがエエ」などと云われてからは、そのrealismに幻滅してなのか、或いは格好良くいえば、別の野心(演劇)に精出してたからなのか、けっきょくは鬱病が主因なのだが、結婚するまでは童貞だった。
これからは、〈めし〉を食うのも文字通り命懸けになるだろう。分断された世界の中ではインドの首相ナレンドラ・ダモダルダス・モディさんが、プーチンに諫言した「いまは戦争なんかしてるときやあらへんで」のコトバがイチバン正論だとおもう。
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