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2022年9月 1日 (木)

Sophism sonnet return 08

『シャレード』

バソコンの「マイピクチャー」ファイルには、UNICEFの機関誌のニュースの中の一枚、オードリー・ヘプバーンが子供を抱き抱えている白黒写真がコピペしてある。オードリーは子供の頃ユニセフに救われ、映画を引退した後、晩年はユニセフで働くことに費やされた。そのうちの一枚だ。
私のオードリー・ヘプバーン遍歴は変わっていて、最初に観たのが『暗くなるまで待って』という意味深なタイトルのサスペンス。中学生の頃か高校生になってからだったかは忘却した。それにオードリー・ヘップバーンのファンだったから観たというのではなく、そのsituationに引っ張られて観ただけで、これがなかなかの映画だった。(原題『 Wait Until Dark』は、1967年のアメリカ合衆国のサスペンス映画。出演はオードリー・ヘプバーンとアラン・アーキン、エフレム・ジンバリスト・Jr、監督はテレンス・ヤング。フレデリック・ノット(英語版)による同名戯曲を映画化した作品である。なお同戯曲の舞台初演は1966年だが、その初演の前からヘプバーン主演での映画化が決まっていた。盲目のヒロインをまったく盲目でナイように演ずるオードリーの盲目の演技は映画史上、伝説となるだろう)
次は『麗しのサブリナ』(1954年アメリカ公開)で、つまり、リアルタイムで観たものは全くナイ。これももともとは戯曲で、監督がビリー・ワイルダーだから観た。で、これもオードリー(お得意のというのか)オヤジ殺しの映画で、ボギーがコロっといかれるのだ。これをもとに、シス・カンパニーの「日本文学シアター」第一作「太宰治・グッドバイ」を書いて鶴屋南北賞を受賞したが、太宰さんのほうはデコっているだけで、本筋はサブリナである。
で、まあ、アカデミー賞 主演女優賞受賞の『ローマの休日』も観るには観たが、薄っぺらい絵本のような作品で、私はこの作品は買っていない。
さて、タイトルの『シャレード』だが、これはごく最近観て、えれえ衝撃を受け、すぐにアマゾンに入っていろいろ五本ばかり買い求めた。(『Charade』は、1963年のアメリカ映画。ユニバーサル・ピクチャーズ制作のロマンティック・サスペンス映画である。主演はケーリー・グラントとオードリー・ヘプバーン)。
なんで、何が衝撃だったのかよくワカラナカッタが、タイトルの『シャレード』の意味を調べてみて、やっと理解出来た。これは、脚本の手法を意味する用語なのだ。/<映像に映る“何か“を象徴として示すことで、言わんとする意味を伝達すること>。簡単に言えば、言葉でなく映像で語らせるということ。/
なるほど、このホンはそういう映画に撮れるように書かれてある。(しかし、せりふもイイのだ)。そうして、映画もそのように創られている。そうすることによってなのか、オードリーの演技、容姿、が他の作品とはずいぶんとチガウ。ドキドキさせるほど魅力的なのだ。(初めてストライクになって空振りした)と、おもったけど、チガウな。こっちはケーリー・グラント目線でオードリーを観てしまっている。グラントは当時53歳だから(オードリーは33歳)、いまなら70歳前後だ。ああ、オレも大人になったなあ。
しかし、オードリー・ヘプバーン、この世になく(1993年、スイスの自宅で「腹膜偽粘液腫」のために63歳で死去)、上岡龍太郎老師に「私の昭和は小坂一也の死とともに終わった」といわしめた、あの、永遠のboy's voiceにして、『不連続殺人事件』の巨勢博士、「北風」「ワゴン・マスター」「ライフルマン」のcountry-music singer、も、いまは風と一緒に何処へやら。
未練なんかねえな。つまらねえな。なんかオモシロイことやりたいな。

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