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2022年9月11日 (日)

Sophism sonnet return 09

予告のようなもの

金曜日にお風呂を焚いて土曜日はお風呂に入る。たしか、ロシアの古い童謡『一週間』だったかな。ロシアの歌の旋律は歌いやすいので、テキトーに歌っていればイイ。テキトー歌っている。ロシアのピロシキの歌とか。ロシアもたぶん日本よりはマシな国だよ。
さて、九日の金曜日、Kさんが名古屋に来た。先週も来たのだが、scheduleがあわず今週になった。こりゃあ、いよいよ生活の逼迫、切羽も詰まって「銭」の相談かなと腹を括っていたが、そうでもなく、何やら忙しい近況の四方山なのだ。
年来の知己である劇作家から二人、同じ仕事の依頼が来た。「全集」を創ってもらいたいというのだ。Kさんは編集者だが、装丁までは出来ない。仕方なく絶縁していたMをひとまず赦した上で、一緒に仕事をしているという。「前借りがあるからこの全集、終りまで出さなアカンからなあ」、けして「先払い」とはいわない「前借り」という。こういうところが、稼業の表裏を生き抜いてきた者の証左なのよ。劇作家センセはまず「銭はあるんだ。健康だし、やっぱり全集だからハードカバーで、組みは一段、六分冊(六巻)でいきたい」と、銭はともかく健康と出版の関係がどう繋がるのかは私にはワカラナイ。ともかく豪語に近い構えで条件を並べたという。Mとはむかしからの馴染みの仕事仲間の製本屋が極めて良心的に見積もりを出す(ほぼ業界の半額程度になる)。そいつをKさんが劇作家センセにみせる。劇作家は豪語も健康も何処へやら、云う「ホンってこんなに高くつくのぉ」。で、「五巻にして、二段組みでもいいか。ハードカバーもまあ」なんてことになる。ぼんぼん育ちとはそんなもんです。小学生のときに栄養失調と診断された私なんかとはまるでチガウ。さらにこのセンセ、いま、戯曲の全集なんてものが〈売れる〉とおもってらっしゃって、売れないので「なんで売れないんだ」といつものごとくではあるが、憤慨激昂。「日本中の図書館が置いてくれればイイじゃないか」と、もう無理というより、なんというのか、コトバなし。
Mは変人というより、変態人なのだが、装丁の腕はイイ。のだが、二人目の劇作家センセイは社会派で、どういうワケかその手の方は何事にも一家言あって、装丁に対してのクレームが多い。表現を替えれば何事にも自分の意見を持ってらっしゃる。
さて、そこに今度は付き合いの長い評論家女史から「劇評を一冊のホンにしたいの」と注文が来た。Kさん断わるワケにはいかないので「まず、手持ちの資料があれば」と返信する。と、大きなダンボール箱に山盛り未整理の原稿が送られてきた。中には例の透明ファイルに入っているものもあるが、ファイルを取り出すと、ファイルのほうが(あのファイルですぜ)劣化のあまりに粉々になった。急いで仕分けバイトにマスクを買いに走らせた。整理するだけでも月単位じゃすまない仕事になりそうだ。つまり、みなさん遺品製作の御歳なのだ。
そんなこんなで、私は未発表のミステリなんかのペーパーブックス(むかし在った、ハヤカワ・ミステリとかハヤカワS.Fみたいなアレ)を依頼しようとおもっていたのだが、云い出しにくくなった。
ただ、「この全集を最後の仕事にしたくないんや」のひと言を聞いて、じゃあ、こっちは銭がナイので、自費出版ではなく売り上げ勝負にもっていけたらのつもりで、かつて、高校時代、スタイリッシュに持ち歩いたハヤカワのペーパーブックス。「いしい商店」の向こうをはって、依頼した。未完の小説も幾つか書き終えたいが、まともに仕事が出来るのもあと二年くらいだろうから、休み休みではあるがあまりのんびりしていられない七十代の仕事になる。

:さて、予告はここから。このブログで書いた鬱病と鬱疾患の論考(というより思考の痕跡)をかなり改訂(改稿)したので、次回あたりから、再度連載いたしますが、二度読むのは面倒な方はすっ飛ばしてけっこう。だいぶんにワカリヤスクしたつもりですので、今一度の方は、再度再読。よろしく。


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