last job revision 2
15~28
15・フロイトの最大の功績は、〈意識〉〈無意識〉という概念を理論的に整理したことである。(つまりその発見者というのではナイ)。ジグムント・フロイト(英語読みはフロイド)の業績を、私なりに簡単に述べておく。
16・「抑圧された欲働は生命エネルギーの根源となっている」。これは、人間の行動のエネルギーの源泉を物理学の第一法則の如く探求していく過程においてのinspirationだとおもわれる。(エネルギーを探求のはふつう物理学なのだが、エネルギーという概念、コトバは副詞的、比喩、文学的とやらに使われる。フロイトは精神エネルギーを概念的ではあるが、力学的、物理学的に考察したとおもわれる。(やや私のドクサでもありますが)
17・彼は「欲働のエネルギー」の存在するところを〈無意識領域=エス〉と名付けた。
18・〈無意識領域=エス〉をcontrol(統べるもの)を「超自我」と名付けた。
19・〈無意識領域=エス〉のcontrolの方法として、「超自我」は〈抑圧〉を選んだ。(理由はワカラナイ)
20・「超自我」の〈抑圧〉による〈無意識領域=エス〉によって生ずる心的領域を「自我」と定義した。(この場合の〈心的〉とは吉本老師の『心的現象論』での用語(自己表出と指示表出)であり、心理学とは無縁である)
21・従って「自我」は〈無意識領域=エス〉と、「超自我」のcontrolによるひとつの現象である。よって、それは〈無意識〉や〈意識〉同様に、身体的なものでも精神的なものでもナイ(或いは、ものでもアル)。いわば両者の関係の確率度による〈現象〉だ。
22・「自我」は精神現象であるから、当然マルクスの自然哲学における「疎外」に晒される。このマルクスによる「疎外」が、フロイトにおける「精神分析」に大きく影響しているのは理の当然といえる。
23・フロイトは「17」~「22」(無意識の存在)の査証を「リビドー(性的欲働)」を用いて論理化するのだが、この類例があたかも量子力学の法則が(当初「不確定性原理」と称されて量子力学の原理と誤解された)「不確定性関係」そのもののように誤解された如く、フロイト精神分析理論の神髄と見誤れ、すべての精神、神経障害は「性的欲働」に要因を持つと収斂されるかのような誤解を生じることになる。
24・こうした誤解はカール・ポパーによって、さらに膨張(拡張)する(横やりが入る)。すなわちポパーお得意の、「反批判出来ないものは科学ではナイ」のだから、他人さまのオメコ(→ほんらいは宮中、殿上人用語で、性器、性行為を示した。畿内、京都、関西圏でこの用語が多用されているのはそのため)のように各人各様の趣味趣向などにいちいち反論出来るかということになる。ポパーによると、反論の余地が無い個人の「性欲働」を基底にしているフロイト精神分析理論は科学ではナイということになる。ポパーの信奉者は「科学哲学」派という新興宗教的intelligentsiyaに多いのだが(あくまで憶測、私見の域を出ない)ポパー批判はひと言で足りる。曰く「あらゆるものに反批判出来るほど未だ科学は進歩していない」(これはおそらく雰囲気からして、ウィトゲンシュタインが述べたのだろう。そのため、彼はすぐにカッとなるポパーにストーブの火カキ棒で殴られたという逸話がある(半ば伝聞)。
25・しかし「何でもリビドーかよ」という皮肉は若いころ、たくさん聞いた。私はその「リビドー」というコトバすら知らなかった。(力道山というプロレスラーが当時、人気があったが、これを「リビドー山」という役名にして舞台の登場人物にしたことはある。この役者、本番当日tightsを忘れてきてパッチ姿で演じた。が、これが逆に客受けした。そんな時代でしたナ)
26・ジャック・ラカンは、「じゃあ、こうしよう。性欲働を人間はどういうふうに手に入れていくのかを科学的にかんがえるところから始めようじゃないか」と哲学者を挑発したのではないだろうか。(に、してもこのひと、ラカンさんのホンは難しくて立ち読み出来ない。買う銭もナイ)。ラカンはフロイトに還れ、を提唱するのだが、その理論の難解さと女にもてた(のか口説き上手だったのか)ことでも知られている。ところが、その理論の中で数学を援用したところ、ここぞとばかりに数学者から「ラカンの数学はマチガイである」と叩かれて(たぶん叩いたこの数学者はモテなかったんだろうな)、ラカンの理論ではなく、いまやラカン論のほうが多く書店に並んでいる。そういう書店も殆どいまは無いのだけど。(もったいないハナシや。エラーなら量子コンピュータも多くやらかすことで有名である)私としては、ラカンはなんやスピノザみたいやなあという感触だけは持っている。なんつうか、senseというか、発想のイキナリの鋭さ、白昼のknife(けして暗闇からではナイ。それと、クニフェと読んではイケナイ)の煌きを感じる。
27・「数学」と「数学的思考」はチガウのだと論を開いてもイイが、私自身数学は苦手なので数ⅡBまでしかワカラナイ。自燈明 自燈明。ハナシをもどす。
28・しかし元中日ドラゴンズの落合博満さんなんかは、数Ⅰか数ⅡAなんじゃないかな。「1対0でも、10対9でも、たとえ、100対0でも勝ちは勝ち、負けは負け」とかなんとかの名言がある。そのとおりです。outputだけ観ていれば、野球は簡単で楽しい。とはいえ落合監督がが観ていたのは、inputなのだろう。
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