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2022年9月13日 (火)

last job revision 1

試論 鬱病(鬱疾患)とはなにか=(命題としての提示・論旨、というより、こう考えおもいつつたどりついた現在)

☆現在も45年前も抗鬱剤は数多出現したが、鬱病がなんであるかは未だに医学的にワカッテいない。まず、私なりの希望着地点を定義しておく
1・鬱病とは、精神的な疾病でもなく、身体的な疾病でもない、よって疾病ではない。
2・鬱病とは「ほんらい表出されるべき〈モノ〉」が「表出されないで残存、蓄積されるか疎外されて表出された〈状態・情況〉をいう」。
3・鬱疾患とは鬱病の「表出」として捉えられるあらゆるものを含み、(病態と称されるモノ・痛感、嘔吐感、易疲労など)、「表出以外」としてとらえられるあらゆるもの(病態とはいえないモノ、自殺・自傷・不安・不眠など)を含む。

4・ここでいう「表現」とは、〈意識的〉領域なoutputを持つものであり、「表出」とは〈無意識的〉領域なoutputを持つものである。
5・これらのかんがえかたは量子ビットを用いた思考であり、重なりあったビット=量子ビットとして了解される(量子力学的には「状態ベクトル」のことである)。
6・この「重なり合ったビット」とは、「積み上げられた」としてもかまわないが、無限枚数のセル動画の重なり、音楽的には無限のトラックを持つ音源をimageしている。
7・ここでいう〈意識・無意識〉という用語は、フロイトに倣っている。
8・フロイトと弟子であった(理解者であった)カール・グスタフ・ユングとの決裂は、この〈意識・無意識〉領域の在り方を巡ってのことだ。と、その程度に理解しておいたほうが単純明快でイイ。
9・フロイトは意識と無意識は個別に存在するものではナイと、両者の対称性を述べたのに対してユングは独立して存在するという固別性に確執している。
10・フロイトからすれば、〈意識・無意識〉は物理学でいうエネルギーの第一法則からの転用、応用、援用であるから(よって対称性である)、固別の存在では有り得ない。つまりどちらか一方だけが存在するということは不可能である。
11・似たようなことは仏典でも「不二の法門」として、維摩経で述べられている。簡単にいえば「二つに分けてはいけないかんがえ」のことで、例の最たるものは「仏とヒト」だ。これを一休禅師は『般若心経』解読において、『無濾』とは大心であり小心はなんでも二つに分けてしまうが、ものごとは大心(二つに分けられるものではナイ)でかんがえるべしと説いている。数学では似た概念に〈収束点列〉がある。
12・私は〈意識・無意識〉領域の在り方においては、フロイトの流儀に倣うが、いわゆる唯物論者においてのこの〈意識・無意識〉の領域は脳、身体の何処にも存在が確定されないところから「観念の装置」というやや苦しいスキームとして捉えている。(私の学問の初心は三浦つとむ老師の唯物論的弁証法なので記しておく)
13・ユングの思想も量子ビットの一つとして扱う。つまり、「分けない」
14・量子ビット思考について、こう云っておけばイイとおもわれる。/量子ビットは、普通のビットとはチガッテ、「0であり、かつ1でもある」/。「これは量子は波でもあり粒子でもある」とする量子力学の量子に対する定義と同じことを基本的に用いているということだ。これを「重ねる」とするのは波の収束「状態ベクトル」と同じだということをいっている。

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