last job revision 5
56~63
56・ここで例えば「無意識」や「疎外」を入力(input)しても、同様に作用素に「無意識」「疎外」を設定しても、同じことになる。出力(output)は「固有状態」なのだ。
57・ちなみに「作用素」(またはその代替)として、ナニかを設置すれば、鬱病、鬱疾患が、薬理や医療の作用を受けず、その「状態=本質」のまま変換された「現象」として姿をみせるのか。そのナニかが解れば鬱病、鬱疾患の本質に近づけるかも知れない。
58・ここで「作用素」を外してみる(通過させない)という試みは論理的にも実践営為としても何の意味も持たない。Inputとoutputという営為がなくなれば、「何もしない」のと同意だからだ。
59・フロイト-マルクス路線にもどっての、鬱病、鬱疾患の検証をつづけたいのは山々(やまやま-副詞・ぜひ、そうしたいという思い)だが、少々「現象」と「状況」・「情況」について整理しておく。
60・「現象」も「情況」「状況」も時間的、空間的な要素を度外視すれば「状態」であることにかわりはナイ。対応させてみると「現象」とは主体の「表現」を含み、「状況」は単に「事象」であり、「情況」は普遍的感覚を含む。下記、例で示すと、
「本日の天気は、気持ちよく澄み渡ったさわやかな秋晴れです」⇒これは、〈澄み渡った〉〈さわやかな〉〈秋晴れ〉という主体の表現(心情・主観)が含まれるので「現象」。ただし、このコトバを天気ニュースのアナウンサーが放送したのと、ピクニックにやって来た家族の誰かが云ったのではチガウという「横やり」は正鵠ではナイ。そういうのは単に「ケチ(金品を惜しがって出さない吝嗇-りんしょく-ではなく、細かいことに執着して、みみっちい「怪事(けじ)」が訛ったほうの意)」をつけている程度のクレームとして無視すればイイだけのことだ。「本日の天気は、晴れです」と、これが単なる事象の「状況」でここに普遍的感覚用語としての「秋晴れ」を付すると⇒「本日の天気は秋晴れです」という「情況」になる。⇒「本日は気持ちよく晴れています」も同じ程度のものとおもってイイ。(ただし、クリシェ(フランス語cliché:決まり文句、常套句)になっている文節は区別しにくいので、たとえば-いつもお元気ですね-とか、-今年の風邪は胃腸に来るらしいです-などは、まさにその例で、どの範疇でcommunicationされているのかは判別がつきにくい。(何度もいうように、だからウィトくんの言語論は役に立たないことが多いのだ)。
61・「固有状態」では、主体の表現はどうなるのか。「風が吹いている感じです」などは、蓋然的に「情況」を示している。何故なら、感覚体験と表現との境が曖昧だからだ。この感覚の度合いが常に表現されるものなら、それは〈本質〉に含まれて然るべきだが、それがクリシェなのか〈本質〉なのかは、主体→主格(つまり「格」ですな)に由来しなければならない。よって、ソシュールやウィトくんはこのあたりで、「語り言語」が「文字言語」より優位であることに鼻を高くするのだが、昔の新劇の赤毛に付け鼻の芝居じゃあるまいし、この辺りも無視。
62・「気持ちよく澄み渡ったさわやかな秋晴れです」は「現象」だが、天気の〈本質〉というものではナイ。あくまで主観表現である。すると「現象」は「固有状態」といえるのか。
63・鬱病、鬱疾患が作用素においてはナンの作用も受用しない「固有状態」だとすれば、私たちはここで矛盾に突き当たる。鬱病、鬱疾患の「固有状態」における「現象・情況・情況」つまり主観表現の線引き、振り分けに足踏みするしか術はなくなる。私は「現象」=主観表現は「固有状態」であるといってよいし、逆に「固有状態」ではナイoutputといってもよいとする。つまり「分けない」。
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