Sophism sonnet return 03
もう少々、胡椒を
記憶するところ、かのお姐さんが私に対して組織への(つまり統一協会でんな)「勧誘」をおこなったことは無い。当時(いまでもそうなのか知らんが)「原理研究会」というものがあって、そこで獲物の羊たちは若い悩みを打ち明けて相談に乗ってもらい、組織へと勧誘されるのだが、このお姐さんは私の悩みを聴いてくれたということはナイ。というか、私はそのようなことを話したことはナイ。さらに、というか、私にはそもそも次々に襲って来る疾病以外に〈悩み〉というものはなかったので、まず三十歳あたりまで生きられたらそれでイイとおもっていたし、そんなニンゲンに将来の展望などあるはずがなかったから、中学校、高校での進路相談、三者面談でも、その場しのぎのウソで誤魔化し通してきた。教師が期待し、母親が喜びそうな職業を適宜並び立てて、そういう職に着く気持ちなどさらさら無く、窮余の策として、「フランス留学」なんてことを云いだしたのだから。
よってか、ごってか、ろくてか、ななて、このお姐さんとも自身の将来について、あるいは現在社会の不平について話したことはなかった。ではお姐さんは私に何を話したのかといえば、取り立ててナニも話さなかったとしか記憶しかナイ。この組織の支部員とお姐さんとのあいだの徒然なるハナシは、呼び出されて支部(民家なんですが)にのこのこ出向いたときには、耳にした。支部員の「死んだらどうなるんですか。あの世というのは、天国というのはどんなものなんですか」という支部員の真摯な問いにお姐さんはしゃあしゃあと「この世と一緒」と応えていた。「支部長の好きなことって何ですか」という問いには「パチンコ」と云い。嫌いなことという問いには「新聞配達」と返事していた。支部員が壁に飾ってある文鮮明とその妻の写真を観て、「褒め上げている」と、「私、このハゲの顔、キライなの」と平然といって退けていた。私の内心と一致していたことはその三つだ。
「剰余価値説は、まちごうてナイとおもうてんねんけどなあ」と、悪友の秀才はかなり悩んでいたが、お姐さんは「剰余価値説」について「そんなものは単なる分配の問題です」と一蹴したらしい。「勝共連合」というのは「反共」ではなく、「共産主義に勝る主義」と定義されている(と、私もアトからけっこう勉強したのですが)。なんやかんや云っても、「資本主義」とは何かが、岸田総理のいう「新しい資本主義」以上にいまとなっては定義しづらいのだし、さらに「共産主義」やら、その途上の「社会主義」になると、世界情勢を観ているぶんには単純な権力闘争でしかナイし、行き着くところ、Utopiaのような社会になるなど、後々に、さまざまなアルバイトを通して、労働者たるや「酒と女とプロ野球」で連帯していても、とても「革命」などやれそうな連中ではナイということを身に知って了解したし、「私の好きなものはね、朝寝坊。ゆっくり寝られるのが好き」とそんなことも云って支部員の顰蹙をかっていたお姐さんが気にかけていたのは、心配していたのは、私自身に彼女自身と相似するものを多くかんじとっていたからなのかも知れぬ。私は一度だけ、彼女に質問したことがある。「あなた、自殺未遂したことあるでしょ」。お姐さんには何も応えなかったが、これはアタリだったと私はおもっている。当時の統一協会は、霊感商法などとは縁遠い、生真面目なanti communism の集団だったような気がする。つまり、誰だか「これは商売になる」という狡賢い者が(これこそ、政治家の誰かなのだとおもうが)侵入して、結局、自業自得の路を歩んでいるだけなのではないか。案外、真相はその辺りだろう。
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