Sophism sonnet return 07
聖書と鋏(はさみ)は使いよう
「献金」についてだ。要するに「銭」や。
『新しい共産主義批判』は、どういうワケか「弁証法批判」の章からいきなり知能低下する。大学生(いまどきのではナイにせよ)からいきなり中学生の「理科」になってしまう。もう少し云いかえれば福田さんの原作・脚本による『33分探偵』の「なんやかんや理論」になってしまう。
結論からいえば、
〇この世界は「神」という、あるいはその創造したる「有機体」である。
〇よって、弁証法、ニュートン力学におけるニュートンのコトバを借りていうならば、「太陽系の天体の軌道計算は出来る。しかし、何故、かくのごとくそのよう天体配列になったのかを知ることは不可能としかいいようがナイ」に異論を唱えて「そのような論理は要するに何も云っていないのと同じだ」と、来る。そこまでは、まあ、イイ。そのアト、何故そういう天体配列になったかを述べるに、「この宇宙には創造された目的があって、そのためにそういう配列になっている、と〈原理〉は解いている」と、そういわれると、けっきょくそれは「なんやかんや、あるからそうなったんや」と寸分違わない。
〇で、弁証法は「闘争」をこの世の矛盾の解決に用いるが、それは誤謬、誤報、誤導であって、なぜ、そういうことが起こったのかというと、「ほんらいは、否定の否定は〈闘争〉ではなくそれはサタンのせいであって、授受作用によるものが正しい」とある。この授受作用というのは、ワザとそうなのか(都合よく隠蔽したのか知って知らんふりなのか)弁証法の用語でいえば、「対立物の相互浸透」をいいかえているにすぎない。となると、まあ「闘争」というコトバも、単に殴りあうことをいっているのではナイと、この誤謬、誤報、誤導を戒めねばならないのだが、この知力の急降下は何でなのかワカラナイ。
〇で、サタンの世界からほんらいの有機物(有機体)の世界にもどすために、なんで「献金」「銭」が必要なのかもまったくワカラン(というかそんなこと、どこにも書いてへん)
これでは、聖書を都合いいように解釈して、三流のスペース・オペラに仕立て上げたところに着地させたことになるが、なんでや。
〇この著者はほぼ頭の部分は「マルクスもここまでは正しいのだが」と、苦渋に似た書き出しを用いている。さぞや、ほんとに悔しかったのかも知れない。だいたい、共産主義(基本的にはマルクス-スターリン主義)を経済学的にみごとに批判しておいて、いきなり、宇宙が有機物(と、書いているがたしかに有機物もあるだろうが、ここは〈生命体〉といいたかったのだろう。それはあまりにあまりにあまりなので、古くは五島勉(あの『ノストラダムスの第予言』の著者・1999年(平成11年)、と学会より日本トンデモ本大賞特別功労賞も、そんなことをノストラダムスの予言が外れてから書いていたナ)聖書解釈を拡大拡張ひん曲げたのだろうけど、なんでや。著者はいまでは先代教祖になっているが、盗作(というより、原稿ごと盗んだ)という説は、ほんまかも知れんナ。
:何はともあれ、最近よく貼ってある自民党のポスター、こないだの選挙の当選者と岸田がならんでにやり笑いをしつつ「ゆっくりといっしょに歩いていきましょう」何処へや、地獄にか、と云いたくもなり、ゾゾッと悪寒がしたり。
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