last job 5
62~
62・抑圧されていたエネルギーが、本来的に言語表出されるべきとき、言語変換を拒まれて別の変容で表出されようと試みられたら、無意識のエネルギーを統べる「超自我」は、どんなsystematicを選ぶのか。その選択肢には、言語変換を望んでさらなる「抑圧」という手段を以て表現を拒む確率もある。
63・そのような無意識へのさらなる抑圧は、表現という意識的な表出を拒んで「意識への抑圧」と「無意識的」に変容する確率もまたある。
64・それは「抑圧」された無意識下のエネルギーが、意識的に表現されずに、そのまま作用素を逆行することになるということだ。
65・単にimage(図式)で述べれば、これは量子の活動領域が「混合状態」に変容することだ。
66・量子の活動領域が「混合状態」にある場合、波動は収束せず「重なり合わないままの状態」で動き回ることになる。
67・「66」のような状態に置かれた場合、「outputされるべき表現」は、あたかもそのままで「疎外」されたかのような状態になる。
68・方程式に従えば「表現され得ずして疎外されることはナイ」ゆえ、混合状態でエネルギーがそのままで「意識の抑圧より上位の状態」となったとき、それでもoutputされたものは、無意識→意識=疎外ではなく、無意識→無意識=疎外として現出されたものになる。つまり無意識は意識された表現になり得ていない。
69・それは、現出されたモノの向き(ベクトル)が、「外向き」にも「内向き」にもなるということだ。
70・この場合の量子は何に属するのかを「重力」と仮定しておこう。
71・何故なら、エネルギーは意識の抑圧の度合いからして最も弱くなっており、そのヒトに働いている「重力波・重力子」は作用素を通過しても、function(作用・変容)の度合いは少なくなるだろうが、変容されていることに変わりはナイので、試みに最も弱い「力」を充てたみたという、それだけのことなのだが。
72・状態ベクトルが不完全な(収束しない)まま現出されることが起きた場合でも「疎外(起きるべきは起きるべくして起きる」)は、量子力学的に確率としてあり得る。
73・極論すれば、疎外が表現ではなく疎外のままで作用素(function)を通過する、あるいは逆行することも確率としてはあり得る。
74・量子力学的には厳密に正しくはナイとしても、具体的(現実的)に、言語が言語として表現されずに表出するという現象を私たちは経験している(或いは垣間見ている)。
75・およそ「鬱病」の表出「鬱疾患」とは、そのような現象(あるいは形態)にみえる。(また当人にとっては感覚される)。
76・とりあえずながらまとめれば、「鬱病、鬱疾患とは、言語が言語として表現されずに表出してしまって表現されたときの疎外」である。
77・この表出が、身体的、精神的に苦痛、苦難をともなうのは、もとより人体という自然が、身体性としても精神性としても、そういう「疎外」のmechanismを持ち得ていないからだ。
78・この命題(仮説)(「77」)が正しいとして、では、言語が言語として表現され得ないとは、当人にとってどういうことの(何の)因果で生ずることなのだろうか。
79・その考察、試行のために、私たちは「言語」と「因果」における〈了解〉に進んでみる。
80・「了解」。「無意識を意識化して表現」するその表現は何のためになされるか。ここにきて、私たちは「communication(伝達)」という鬱病、鬱疾患に対してまったくチガッタ視点、視向、試行に辿り着く。
つづく
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