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2022年5月29日 (日)

Sophism sonnet・69,11-16

バリバラ

劇団に在籍していた神戸浩からの依頼(紹介かな)で、NHKの『バリバラ(本タイトルは『バリバラ みんなのためのバリアフリー・バラエティー』)のトーク部分に出演してみたが、テレビが無いのでリアルタイムでは観ていないのだが、番組のDVDが送られてきて、それを観て、そうかなるほど『共同幻想論』『マス・イメージ論』とはかくなるものであったかと、今更ながら「あのホンの主旨がよくワカッタ」ので、ちょっと長年の肩の荷が降りた気分だ。「国家というものは〈共同幻想〉ではナイ」という命題も半可通だったのが理解が出来て、それだけで充分に価値ある番組だった。(私にとって、『マス・イメージ論』などは、『ハイ・イメージ論』よりも難度が高かったからな)。
いい換えれば、(二回しか観ていないのだけれど)『バリバラ』という番組はfunctionされた(テレビのバラエティ番組なので、演出、編集されたということになるのだが)マス・イメージなのだ。nonfictionでもナイ、fictionでもナイ。といってrealityがあるのは登場する「身体障害者」と呼ばれる彼らの身体以外には何もナイ。アトは、ふつうの(健常者というのだが)方々がおやりになっていること、さらにはおやりになれない〈許容度合い〉のアップされたバラエティ番組なのだ。サンプリングとリミックス、そいつを重度障害の方ではナイ、社会的ハンディの高い方々を活用して製作している、けして受け太刀ではナイ打ち太刀の番組なのだ。
ちょいとネット・レビューをみてみると、「見せ物」というコトバも(否定的な意味合いで)みられるが、たしかに「見せ物」だとおもう。製作者側が「見せ物=バラエティ」だといっているのだから確信犯なのはマチガイない。
私が出演した「神戸浩、涙のお父っつぁん編」(と、これは私が勝手にそう称している)では、番組中に神戸自身のコトバとしてあったように「ボクは世間を見返してヤリタイ。このカラダでっ」がほんとのテーマで、感動というよりリベンジだったな。リベンジというのが語弊になるなら「反抗」「抵抗」でもイイ。~かのリベンジ、反抗に雨が降らせたいと望むなら、神よ雨を降らせよ~(と、スッタニパータふう)でござんす。

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