Sophism sonnet・69,11-01
いちじゅういっさい
子供の頃(昭和の三十年代だな)は何処の家だって貧しかったので(もちろん金持ちの家もあったけど富豪っていうのはナカッタネ)食っているものが似たりよったりだったから、奇妙な安心感が食卓(のようなシャレたいい方なんかしたことナイんだけどね)には、あったのだ。だいたい一汁一菜というのが何のことなのか、物書きを始めてからもしばらくワカラナカッタ。耳で聞いただけでは漢字にならない。一、十一歳、一重一切、うーん。つまり汁があっておかずがあって、なんだけど、そういうものがセットになっている飯なんぞなかったから、たとえば唐がらしの細いものが「しし唐」ならピーマンを日本語でどういうふうに呼べばいいのか、ともかくそういう太い唐がらしを観たこともなかったし、ジャコというのが極小魚の名前だとおもっていたら、ありゃ漢字で書くと「雑魚」なんだナ。つまり雑な魚で正式にはいろいろと名前があるんだろう。唐がらしは、一汁じゃないから一菜に入るのだろうか、食卓に焼いて焦げた唐がらしだけ、という飯も珍しくはなかった。これは辛いのは子供にはとても食えない。もちろん、青色、緑色してるんだけど、唐がらしに赤色があるというのも知らなかった。豆腐は年中おかずになって、夏は冷や奴(単純にやっこというてましたが)冬は湯豆腐、いまのようにご託の書かれた豆腐なんかナイ。単純に鍋を持って買いにいくか、豆腐屋の喇叭を聞き逃さぬように家でアルマイトだかアルミの鍋抱えて待っている。この白い歯ごたえのナイ食い物はぜんぜん味なんかナイ。そういう一菜のほうを口にしながら、しまったと後悔しても遅いのだが、「これ(とおかずのことを示して)ばっかりやな」と文句の一つも云ってしまうと、拳固のアトで「こういうものも食べられへんビンボな家はいっぱいある。贅沢いうたらアカン」と、躾けというより我が家の貧困のいいわけが正しいのだが、食卓の一汁一菜は美味いにせよ不味いにせよアリガタクいただかなくてはならない。こいつは拳固の痛さとともに身に沁みているのだが、そういう身上は心情となって、順戦時下でも食えることはありがたいとどうしてもそうおもってしまう。マウリポリでは、狭い地下に閉じ込められて食うものもなく、なんだか今日の昼飯は、かじきの照り焼きの出来立てがあったのでそいつにしたのだが、これが美味くて、そうなると、ああ、マウリポリには申し訳がナイなと、擦り込みに悩まされながらカジキを食す。戦争はヤだね。狭いとおもった製鉄所は東京ドーム233個入る広さだと知ったときは、ちょっとホっとした。要するにシェルターになっているんだなあ。
メディアは順戦時中だから、ウクライナ視線、アメリカ視線のニュースばかり提供するが、こちとら高みの見物で世界状況は三割の打率でワカッテきたから(難しくいうと分析ネ)、なるほど、日本の首相はいまアジア諸国まわりのセールスマンやってんだなあ、アジア・アフリカは米欧も中・ロも関係ねえし、銭だけだもんなあと、子供の頃、ビンボしておいて良かった。ビンボには何とか耐えられるとおもいつつ、しかし古希近いカラダの壊れ方じゃ、もたねえな、ともおもう。よって、貧乏性の私は臨時収入なんか入ると焼き肉食べるのと同額の銭を国境なき医師団に送ってしまうのだ。
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