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2022年5月27日 (金)

Sophism sonnet・69,11-15

分断

「むかしさすらい いま絆」とかいうフレーズが巷に現れたかとおもうと、すぐにどっかいっちゃって、昨今、耳にするのは「寄り添う」と「分断」なんだけど、なるほど、この二つは正反対の意味だなと理解出来なくはナイ。アトは「国連の機能不全」なんだけど、こういうのはたいていメディア関連もしくはいわゆるSNS現出で、なるほどそうだねだなんて聞き流しているのはちょっとボケだな。
「分断」については、「分断」されていなかった世界なんてのが歴史上あったのかと自問すれば、そんなのなかったヨ。分けられて、関係が断たれているなんてのは、いま始まったことじゃナイなあ。「分断」をわりと具体的に責められているのが「国連」なんだけど、つまり世界をまとめる力が無いということなんだけど、「国連」というのはなるほど理想的にはそういう機関、権力があるシステムだとおもえばおもえ、だナ。「国連の機能不全」なんてのがいわれだしたのは、いままで陰に隠れていたかのような組織が、ロ×ウ戦争関係の「安保理」で、どんどん前に出てきて、「拒否権」やられて、それが「機能不全」なんだけど、それはそれで「機能」じゃねえのかね。だって、少なくとも世界中の大小さまざまな国が集まって、世界の情勢の情報は得ていて、ロシアやアメリカや日本の姿勢は観ることが出来るのだから、それで私はイイとおもう。誰も(どこの国も)ロシアが始めた侵略戦争にロシアが反対するなんてparadoxが起こるなんて魔法がみられることを期待してナイでしょ。「国連」の機能はそういうこと(もの)ですよ。
「寄り添い」たいヒトは寄り添ってりゃいいとおもいますよ。でもね、釈迦ブッダは最も古い教典「スッタニパータ」で、こういっている(正確には、そういったと記されている)。
「あらゆる生き物に対して暴力を加えることなく、あらゆる生き物のいずれをも悩ますことなく、また子を欲することなかれ。況んや朋友をや。犀の角のようにただ独り歩め」「交わりをしたならば愛情が生ずる。愛情にしたがってこの苦しみが起こる。愛情から禍いの生ずることを観察して、犀の角のようにただ独り歩め」。おれは「寄り添う」よりこの「ただ独り歩め」のほうが好きだナ。孤独、ねえ、おれはそういうのはワカラナイ。「退屈」のいい換えじゃないのかね。そういうのより、この気温差の激しさのほうがキツイ。自律神経の不調で鬱疾患がひどくなって、朝っぱらから錯乱して喚いたりして、そいでその記憶がナイんだから始末が悪い。ともかく「犀の角のようにただ独り歩め」に近づけるよう、修行だな。
ロシアが負けるというニュースの翌日には、ウクライナ苦戦って、ウクライナに多大な軍事援助しておきながら、アメリカがいうにはウクライナ「分割」も考慮なんて、まあもう、白人のヤルことは信用ならねえ。しばらくはニュースは聞きたくナイな。

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